ある人間が、他人に一杯のお茶を供するということは、
それほど容易な事柄ではない。……
その行動は、機械的なものであって、
そこには私に対する認知がひとかけらも存在していないといっていい。
一杯のお茶が私に手渡されたけれども、
私に一杯のお茶が供せられることはなかったといえるのである。
わが国のお茶のセレモニーにおいて、
真に彼の自己もしくは彼女の自己であるところの一人の人間が、
ほんとうに、みかけでなく、一杯のお茶を供する者によって
彼もしくは彼女自身の存在を認知された他の人間に、
実際に、単なるみかけだけでなしに、供するということは、
世界中でもっとも単純にして、かつ、もっとも困難なことである。
127p
―― 自己と他者/R.D.レイン 著、
―― 志貴春彦、笠原嘉 訳、1975、みすず書房
形式やルールに基づいて行われるセレモニーは、
誰がしても、誰にされても、同じようになされる。
誰が供されても、私に供せられなくても、
つまり、する者は代替可能、される者も置き換え可能で、
単純な行動には、見かけ上、何の違いもない。
単純な形式ゆえに、私に供せられることが困難になる。
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- 2023年09月24日 00:00 |
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ペンギンは、海を飛ぶように泳ぐ。
空のように海を飛ぶ。
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- 2023年09月23日 00:00 |
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翼は退化して飛べなくなった。
脚はひざを曲げたまま固定され、
足首から下だけで歩く。
最も過酷な場所を選んで暮らし、
子育ては最も過酷な時季に行う。
夏でも氷点下を超えることがない南極大陸は、
冬には沿岸部でも-40℃を下回る。
空を飛ぶこともできただろう。
温暖な沿岸や湖沼で、
生きることもできただろう。
ほかにも方法はあった。
鋭い爪と強靭な握力、暗闇を見通す眼。
しかし、ペンギンは、
ペンギン以外にはなれなかった。
なれなかったからペンギンである。
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- 2023年09月22日 00:00 |
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2019年11月、京都新聞は、
青葉容疑者が、大阪から京都の病院に転院する際に、
治療に携わったスタッフに述べた言葉を報じた。
「人からこんなに優しくしてもらったことは、今までなかった」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/74638
約4か月にわたって治療に当たった主治医は、
治療とは別に、青葉容疑者と毎日15分の対話を続けたという。
容疑者のフレーズを知って、
僕がまっ先に思い出したのは、
https://www.msz.co.jp/book/detail/02347/
「自己と他者」、R.D.レインのエピソード。
4 ある看護婦が、ひとりの、いくらか緊張病がかった
破瓜型分裂病患者の世話をしていた。
彼らが顔を合わせてしばらくしてから、
看護婦は患者に一杯のお茶を与えた。
この慢性の精神病患者は、お茶を飲みながら、こういった。
<誰かが私に一杯のお茶をくださったなんて、
これが生まれてはじめてです>。
この患者についてのその後の経験から、
この述懐に含まれている単純な真理が実証されるにいたった。
126-127p
―― 自己と他者/R.D.レイン 著、
―― 志貴春彦、笠原嘉 訳、1975、みすず書房
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- 2023年09月21日 00:00 |
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「逆に聞くが、京アニが(自身の)作品をパクったときには何か考えたのか」
「パクりや『レイプ魔』と(被告自身が)言われたことに
京アニは良心の呵責(かしゃく)はなく何も感じず、
被害者としての立場だけ述べてどう思うのか」
https://news.yahoo.co.jp/articles/0122d52e9b46f1a55336e97fa4290dd87596534c
京アニはパクっていないし、
レイプ魔とも言っていないが、
どれだけ情理を尽くして説得しても、
訂正は不可能と考えたほうがいい。
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- 2023年09月20日 16:00 |
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青葉被告はこの日の被告人質問で、
コンビニ強盗事件の逮捕後に簡易鑑定を受けた際の言動として、
「母と兄にガソリンをまいて殺してやろうと思った。
無差別殺人をしてやろうと思った」と話したことを認めた。
実行しなかった理由を検察官に問われ、
「小説に対して、どこかで思いがあり、
つっかえ棒になった」と説明した。
https://news.yahoo.co.jp/articles/4812f6ac918fefce9cdbdc621797b9a07de8237a
誰かの夢を笑わずに、応援することは、
ひいては、どういうことなのかに気づかされる。
人の心の支えは、笑うものではない。
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- 2023年09月20日 00:00 |
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友だちとして、彼/彼女に沿うときは、
正直でありさえすれば、
>どんなに荒唐無稽でも、
>どんなにつじつまが合わなくても、
>どんなに言葉が通じなくても、
彼/彼女にとっての事実と言っていい。
すべての人に起こる出来事ではないし、
程度も表われ方も人それぞれのとき、
何かをスタンダードなもの差しにして、
照合することもできないときには、
目の前のたった一人の友だちを、
唯一のスタンダードに定めよう。
いつかそう気づいたときに、出会いはやり直せる。
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- 2023年09月19日 14:00 |
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自分で決めたことなら、
失敗も受け容れることができる。
とか、もっともらしいことは言えるけれど、
自分のことなら、失敗だけは避けたい。
自分が失敗するくらいなら、
成功なんかしなくても構わない。
自分で決めたことだから責任を持てる。
とか、かっこいいことは言えるけれど、
自分が責任を負うくらいなら、
差し当たり、何も決めたくはない。
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- 2023年09月19日 00:00 |
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>検察側が「起訴される前には(公安に)監視されているという話をしていませんね」
>「(警察の)取り調べや(精神)鑑定でも公安について質問されています」
>「あなたは『公安は作り話』と答えていましたね」と詰め寄られると、
>青葉被告は「そう答えていました」と発言したのだ。
https://news.yahoo.co.jp/articles/2873423c26851082b3b8513051a870da7019ca1d?page=3
妄想と作り話は違う。
妄想なら、正直でありさえすれば、
>どんなに荒唐無稽でも、
>どんなにつじつまが合わなくても、
>どんなに言葉が通じなくても、
被告人にとっての事実と言っていい。
でも、作り話なら虚偽だ。
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- 2023年09月18日 16:00 |
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>ブログなんてものは、ランダムな、
>いろんな価値観がくっついた人たちに、
>それぞれの意味で読まれるほかはない。
>
>救急車のサイレンがうるさいのは、
>自分の寝つきが悪かっただけのことであり、
>そして、なによりも、
>
>自分の大切な人を運んでいないからである。
この程度の文章でも、誤読は避けられない。
次のうちから、最も正しいと思われるものを選びなさい。(5点)
①青梗菜は、救急車のサイレンがうるさい、と感じているが、
受忍限度と公共の福祉との比較考量において、(ry
②青梗菜は、寝つきが悪い、と書いているが、
寝具の、とりわけ枕の重要性についての認識が、(ry
③青梗菜は、自分の大切な人を運んでいないときに、
救急車のサイレンがうるさい、と感じているが、(ry
④青梗菜は、比喩的に、自分の価値観を運ぶ文章は、
うるさく感じない、と書いているが、(ry
②を選ぶ者を小学生と馬鹿にしながら、③を選ぶ中二は少なくない。
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- 2023年09月17日 14:00 |
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