開国という意味には、
自己を外つまり国際社会に開くと同時に、
国際社会にたいして自己を国=統一国家として画する
という両面性が内包されている。
―― 「日本の思想」、丸山真男
「自己」に引きつけて考えれば、
過去、ってのは、現在の僕の理解でもって、
過去を規定する、ってことだ。
愚かな僕の理解を超える過去は、
愚かな僕には思いもつかない。
過去は変えられない、
未来は変えられる、なんていうけれど、
僕は、未来を企てることで、
僕のしょぼい過去にも、
新たな意味を持たせることができる。
未来を画する、ということは、
過去を画する、ということであり、
過去と未来は、別のことではない。
過去は、現在と未来でできている。
現在と未来が過去を規定する。
では、過去くらい不確かなものはない。
現在と未来によって、
その都度、プロットが書き換えられる。
自分に照らせば、
歴史に客観性はない。
歴史と、取るに足らない僕の過去を、
一緒にしてはいけないし、
論理ではなくて、
実感に偏っているし、
客観的な根拠もないけれど、
もう試験を受けることもないから構わない。
僕が歴史と関われば、
そこに客観性を求めるのは欺瞞である。

―― 日本の思想/丸山真男 著、1961、岩波新書
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- 2018年08月25日 19:31 |
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開国という意味には、
自己を外つまり国際社会に開くと同時に、
国際社会にたいして自己を国=統一国家として画する
という両面性が内包されている。
―― 「日本の思想」、丸山真男
開国、というのは、もちろん、
江戸の終わりの開国のことで、
僕とは何の関係もない出来事で、
当然、僕が考えることではなく、
僕には、考える、という発想もない。
歴史は、考えても仕方がない。
正解を憶えるものだ。
知識があるか、ないかの、それだけのことだが、
しかし、それにしても、
「自己」という言葉づかいは何だろう。
平成の終わりの僕に引きつけて、
僕との関係を見つけようとするなんて、
それだけで、なんだか、
おこがましい気がしてくるけれど、
「自己」という表現に誘われてみる。
「自己」という、それ以外に、僕は、
どうやって歴史と関わることができるのか。
歴史を、僕の主観的なものにする以外に。
自己を外に開くと同時に、
自己を内に画する、この両面性は、
自分に照らせば容易に理解できる。
外と内とは、別のことではない。
自分を外に開くためには、
自分が内に閉じて、
ブレずにまとまっていなければならない。
国を国外に開くためには、
国内を統一国家に束ねる必要がある。
そんなものは、一緒にしてはいけないし、
論理ではなくて、実感に偏っているし、
客観的な根拠もないけれど、
もう試験を受けることもないから構わない。
僕が歴史と関われば、
歴史は僕の主観である。

―― 日本の思想/丸山真男 著、1961、岩波新書
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- 2018年08月24日 21:38 |
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損得や、勝ち負けなら、
コンゴは圧倒的に、損をしている。
どうしようもなく、負けている。
僕たちは、得をしていて、
勝っていることになる。
相対的には、当然にそうなる。
勝ったのなら、得をしたのなら、
単純に喜ばしいことで、
やましさを感じることはない。
でも、どこかが間違えていて、
僕たちの考えの何かに誤りがあるのなら、
僕たちは知りたくなる。
なぜこんな出来事が起こるのか。
同情にすり替えてはならない。
子供たちが、1日1$以下でコルタンを採集しているのは、
何にも代替できない事実である。
同情して、自らの優しさを確認できれば、
搾取する側にいる僕たちは救われるが、
それは、搾取される側の救いではない。
世の中的には、その感受性を、
優しさと呼ぶのかもしれないが、
では、僕たちは、コンゴの人たちに対して、
なんて優しくなれないのだろう。
たぶん、優しさはいらない。
優しさは、多くの不純物を含む。
主成分が、優位性になりかねない。
自分の心が満たされていなければ、
他人に対する優しさは出てこない。
圧倒的に得をしていて、
どうしようもなく勝っていて、それでも飽き足らずに、
どこまでも勝ち組でありたいと、
優しさまでも手中に収めようとするその心性は、
なんて欲張りなのだろう。

http://www.47news.jp/smp/47topics/inori/2014/08/post_20140804132030.html
カビラ大統領の任期は、
もうすぐ、12月19日で満了するけれど、
彼が居座り続けることは確実だ。
憲法が定める2期の在任期間を超えるから、
自分は変わらずに、憲法を変えるつもりだろう。
きっと、今は、政敵の殺害に忙しい。
天然資源があることが、幸運とは限らない。
誰が政権を握っても、その者を独裁者に変えてしまう。
おそらく、日本のメディアは報道しないと思う。
選挙が行われないことが問題なのに。
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- 2016年11月24日 12:06 |
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資本主義か、貨幣経済か、国際社会か、
もう何と呼んでいいのかも分からないけれど。
おおよそ資本主義と呼ばれているあれこれは、
僕には、隣人たちが相互に侵奪することを、
推奨しているとしか思えない。
僕が、調べて、考えて、書き始めたきっかけは、
コンゴに対する、やましさ、だと思う。
コンゴに対する、申し訳のなさ、すまない気持ち、
悪いことをしているという気持ち、
それは、たぶん、不公平感から来る純朴なもの。
それは、資本主義が背負う原罪のようなもので、
資本主義からは切り離せそうにないし、
善悪の埒外ともいえそうだが、
僕には、原罪に対する、自罰的な感情が生まれ、
あるいは、自罰的な感情が、原罪を生み出している。
同時に、すぐに浮上するのは、
きれいごとの、言い訳まじりの、中途半端な優しさと、
外から眺める、他人ごとでしかいられない立ち位置。
分かったようなことを、いい気になって書くような、
うぬぼれや、自己陶酔となんら変わりのない文章と、
いつだって、うまく選べない結語。

http://wired.jp/2013/02/22/smartphobe-war/
いくつもの小道が、迷路のように入り組んでいる。
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- 2016年11月19日 19:41 |
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