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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 3/3


    ブルデューは、美的性向とは端的に言って、
    内容や実用性と切り離して純粋に
    形式だけを受容する能力のことだと言っています。
    内容ではなく形式、
    絵画で言えば、描かれているテーマや対象ではなく、
    その「描き方」、つまりそれぞれの作品が持つ、
    描線や色彩のスタイル、技法、流派、
    「見せ方」を鑑賞し評価するための
    知識や態度のことです。……

    …… 写真についての印象調査で言えば、
    (対蹠点の発見 ―― 6/x
    「最初の聖体拝領」や「民族舞踊」など、
    「大衆がすばらしいと思うような
    ありきたりの被写体」ではなく、
    「表現されたものにたいする表現それ自体の独立性」
    を主張できるような被写体、
    たとえば「木の皮」や「キャベツ」など
    「社会的に無意味とされているもの」こそ
    美しい写真になる、
    と考える態度が美的性向なのです。

      美的性向とは、日常的な差し迫った必要を和らげ、
      実際的(プラチック)な目的を括弧にいれる
      全般化した能力であり、
      実際的な機能をもたない慣習行動(プラチック)へむかう
      恒常的な傾向・適性であって、
      それゆえ差し迫った必要から解放された
      世界経験のなかでしか、
      そして学校での問題練習とか芸術作品の鑑賞のように
      それ自身のうちに目的をもつ活動の
      実践(プラチック)においてしか、
      形成されえないものである。
      言い換えれば美的性向は、世界への距離(中略)を
      前提としているのであり、
      この距離は世界のブルジョワ的経験の原理なのだ。

    つまり、必要性から距離をとることが
    美的性向をつくりだすというのです。
    それは、経験と教育の結果だとブルデューは言います。[p69-70]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



pratique ―― [形] 実践的な、実用的な、実地の、
実際的な、現実的な、実利的な、便利な。
[女] 実践、実行、実務経験、経験的知識、慣行、やり方。



たぶん、僕たちは、経験よりも、教育が先なんだ。
僕たちは、社会的に無意味とされているものこそ美しい写真になる、
と考える態度が美的性向だ、ってことを教育によって学ぶ。

つまり、「木の皮」や「キャベツ」が美しい写真になる、
って答を丸暗記して、正解を知っているくせに、
知らないふりをして、経験によって気づいたように見せかける。

「木の皮」や「キャベツ」を指示して、
共有しているブルジョワ辞典のインデックスから引けば、
美的性向がある、と書かれていることを知っている。

美的性向が、答え合わせのようになっている。



    200127f.jpg



自分の中が空っぽでも、大衆を否定し、見下せば、
ブルジョワとしての自分の立ち位置は定まる。
そんな形式や対立なしでは、マッピングできないと、

信じ込んでしまっている世界が、
上とか下とか、勝ち負けとかで闘争している、
ブルデューの界ではないのか。

対立することなしに、価値を見出せないのなら。



    210119i.jpg



>描かれているテーマや対象ではなく、
って言うくせに、「木の皮」を上げて、
「最初の聖体拝領」を下げることの矛盾に気づかない。

「木の皮」にだって、凡庸さが丸出しになった写真があり、
被写体が「最初の聖体拝領」でも、
主体的に捉えて、自分なりに評価したときには、

巧みに表現された写真を見つけることができるだろう。



    

    For me to think childish thoughts like these
    But I'm so tired of acting tough

    ―― Hotel Yorba/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2001、XL Recordings



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  1. 2021年03月09日 00:00 |
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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 2/3


    「文化資本」 …… なぜそう名付けたか。
    それは、階層構造やそれぞれの界の中で、
    資本として機能するからです。
    資本とは何か。
    それは投資され、増殖され、蓄積されます。
    そして所有する人々に「利得」をもたらします。
    音楽を聴くこと、絵を所有すること、
    映画を見ること、外国語を習うこと。
    それだけでなく、「よい大学」に行くこと、
    上流階級のマナーを身に付けること。
    すぐには役に立たないような
    「高級な」教養を身につけること。
    これらはすべて、投資され、蓄積され、そして
    利得をもたらす資本の一種なのです。[p65]

    …… 家庭や学校でこのような上流階級や
    中産階級のハビトゥスを植え付けられた場合、
    それはその後の人生において
    非常に価値のある資本として、
    その行為者にとって有利に働くでしょう。
    ですから文化資本という概念は、
    趣味や文化的表現についてだけ
    言っているのではありません。
    むしろそれは、ある意味で
    「資本という側面から捉えられた性向」
    でもあります。[p66]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



多くの階層を行き来して、多くの界に身を置く、
ブルデューは、そんな性向は考えないのだろうか。
文化資本が、階層構造や、それぞれの界の中で、
資本として機能する、と言うのなら、
多くの階層構造や、多くの界の中で機能できるほうが、
資本としては、当たりまえに価値がある。

自分と異なるものごとに対する興味は、
おそらく、人が本来的に持っている性向で、
ハビトゥスが固まっていない若者なら、多様な、
自分と異なるハビトゥスに対して興味を持つはずだ。
一方で、ハビトゥスが固定された老人なら、
もう、自分と異なるハビトゥスを理解できない。

ハビトゥスは、自分の人生の履歴、蓄積だからである。



    200220e.jpg



もしも、人生、ってことに、或いは、
幸せ、ってことについて、一つの考え方を示すとしたなら、
多様なハビトゥスを身体化させることで、人生を豊かにし、
幸せを見出す可能性が広がる、ってことになる。
差異化、正当化、否定、嫌悪、卓越化による闘争で、
他人の人生や、幸せを踏みつけにしなくても。

よくなくても、上級でなくても、高級でなくても、
というか、そんなマッピングはすぐに書き換えられる。
上とか下とか、勝ち負けとか、
そんなのは、兵(つわもの)どもが夢の跡、である。
石碑さえ建たない古戦場には、
見渡す限り、夏草が生い茂っている。

ハビトゥスが、日を追うごとに、
変わりにくいものへと変わるのなら、
ハビトゥスとは、どうしようもなく不自由なものだ。
絶えず、聴くこと、所有すること、見ること、習うこと、
常に、他人と関わって、教養を身につけること、そうやって、
ハビトゥスを増やしながら、外に押し広げながら、

ハビトゥスから逃げなければならない。



    

    Every single one's got a story to tell, Everyone knows about it
    From the Queen of England to the Hounds of Hell

    ―― Seven Nation Army/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2003、V2 Records



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  1. 2021年03月08日 00:00 |
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文化資本 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 1/3


連載が30回を超えて、もうそろそろ終わってくれ、
って感じのブルデュー「ディスタンクシオン」は、
あと3回で終わりにする。
もう3回しかない、と思ってほしい。
まだ3回もあるのか、ではなくて。



    そもそも文化とは何でしょうか。
    これまで、人類学や社会学の
    さまざまな研究者たちが、
    さまざまに定義をしてきました。
    これらに対し、ブルデューの発想は
    極めて特異なものです。
    ブルデューは、行為者が身につけた文化は
    資本として機能すると考えて
    「文化資本」という概念を創出したのです。

    文化資本とは、経済資本と対比させることで
    社会や界の横軸を描くための概念です。
    ハビトゥスに近いものでもあるのですが、
    もう少し具体的で、それは文化財、教養、
    学歴、文化実践、文化慣習、
    あるいはブルデューが言うところの
    美的性向などを指します。
    美的性向とは、美的なものを美的なものとして
    評価する傾向性や能力です。
    絵を見てその美しさがわかるかどうか、
    音楽を聴いてその美しさがわかるかどうか。
    ブルデューはそうした
    美を受容する能力を含めて、
    文化資本という名前を付けました。[p65]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



絵を見て、音楽を聴いて、文章を読んで、
その美しさがわかるかどうか。
てっとり早いのは、他人の批評ばかりしていないで、
どうせ趣味なんだから、下手でも何でも、
自分で作ってみれば分かるんだ。

僕は、高校の頃は美術部で、
大学に入って、パース描きのバイトをしていて、
幼稚園の頃からピアノ、中学生からはギター、
ライターは仕事の一部で、それでも飽き足らず、
ほとんど毎日、こんなブログを書いている。

その程度の、取るに足らない真似ごとでも、
自分で作ってみれば、少しは分かることがある。



    200223b.jpg



例えば、自然の風景が描かれた絵が美しい、とか、
孤独を感じさせる絵が好き、とか、
そんなのは、自然や孤独のコレクターで、
美的性向、なんてのとは別のことらしい。
何について描くのか、は等価で、上も下もない。

どう描くのか、が表現で、
それは描くのと同時に、表わされ、現われる。



例えば、ジブリの映画について書く、或いは、
カウリスマキや、アンダーソンの映画について書く。
何について書くのか、は等価で、上も下もない。
どう書くのか、が表現で、
それは書くのと同時に、表わされ、現われる。

何について描くのか、何について書くのかは揺らいでもいい。
どう描くのか、どう書くのかを揺らさない。



    

    I hit myself with a stone, Went home and learned how
    To clean up after myself

    ―― Icky Thump/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2007、Warner Bros.



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  1. 2021年03月07日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 8/8


    …… いわゆる「現代アート」というものがありますが、
    非常に難解で、わかりにくいものばかりです。
    すでに「絵」でも「彫刻」でもないような、
    一見しただけでは「作品」であることすら
    わからない作品がたくさんあります。
    なぜそんなにわかりにくくなっているのでしょうか。

    あくまでもブルデュー風の解釈ですが、
    それは現代アートというものが
    他のジャンルから独立したものではなく、
    たとえばフランス印象派絵画のような、
    もっとも値段も高くて
    社会的権威付けもされているジャンルへの
    象徴闘争として構築されているからです。
    わかりにくい作品というものは、
    言い換えれば、「わかりやすい作品への抵抗」
    としてつくられているのです。
    ですから逆に、ゴッホやピカソのような、
    すでに十分権威付けられていて、
    途方もない値段がついている、
    もっとも象徴的な利得を多く所有している作家や
    作品に対する反抗なのだということが理解できれば、
    現代アートの難解な作品も、
    とたんによくわかるものになります。

    いずれにしても、文化的表現というものは、
    既存の枠組みや方法論を根底から疑い、
    それとは異なるアプローチをとることで、
    界に自身をマッピングし、
    自らの地位をすこしでも押し上げるための
    象徴闘争をしているわけです。[p55-56]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



    200220c.jpg



現代アートは、ロックに表現されたもの。
喩えではなく、副詞っぽい意味での、ロックに、である。

クラシックは重厚で美しく、ロックは軽薄で汚い、
って喧伝したのは、ロックの側だろう。

クラシックを、分かりにくいものに仕向け、
価値が高いものに仕立てたのは、ロックである。

ロックは、軽薄さと汚い音をアピった。
重い音楽と軽い音楽、古い音楽と新しい音楽、教養と娯楽、

基点を見つけて、軸を立てた。
対立軸の対蹠点に自らを置いて、

Roll Over Beethoven、敵とみなして、ぶっ飛ばしにかかる。
もちろん、ベートーヴェンには、少しも、

ぶっ飛ばされる筋合いはない。



    

    Roll over Beethoven
    They're rocking in two by two

    ―― Roll Over Beethoven/The Beatles
    ―― Chuck Berry 作詞作曲、1956、1963、Parlophone



    

    We all need to do something
    Try and keep the truth from showing up

    ―― Blue Orchid/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2005、V2 Records



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  1. 2021年03月06日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 7/8


    ここでしっかりと念を押しておきたいのですが、
    縦軸でメジャーかマイナーか、権威があるかどうか、
    あるいは横軸でどのような資本の種類が
    主要なものになっているか、という話は、
    それは「社会的にそう評価されている」という意味です。
    ですから、ある作品がある作品より「上」である、
    と言ったとしても、
    実際にブルデュー自身がある作品を
    ほかの作品より上であるとか下であると判断している、
    というわけではありません。あくまでも、
    「人々がそう思っている」ということです。[p52]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版

人々がそう思っている、としても、
人々、なんて人はどこにもいない。
自分以外の人々がそう思っていると、

人がみんなで思っていることで、
現れてくる人々である。



    200223e.jpg



    ここで「上」とか「下」とかいうのは、
    作品や表現活動そのものの
    「質」について言っているのではなく、
    社会的にどのように評価されているか、
    あるいは実際にどれくらい「売れているか」
    ということについて言っています。
    そしてその「上下」は固定的なものではなく、
    簡単に逆転します。
    そのことも念頭に置いてください。[p52]



    210222c.png

見当違いになりかかったマトリクスが、
上下が固定的なものではないことを物語る。
古い、ってこと、昔を感じる、ってこと。

昔とは、今を離れては感じられないことで、
それは、時間の経過ではなく、
昔ってこと自体が、変転流転、諸行無常のこと。

今でも変わらないものごとなら、
そのマッピングにおいて、今でも高止まりしているのなら、
僕たちは、古いとか、昔とかって呼ばないもの。

では、過去とは、過去のものごとではなく、
変わってしまった現在に生まれる。



    さらに大事なことは、たとえば
    文化的に権威付けられていて
    純粋にその「内容」が評価されるクラシックの演奏家と、
    大規模なビジネスとして展開されるアイドルグループの、
    どちらが「闘争」に勝っているかは簡単には
    わからないことです。
    界で作動している社会的ゲームは常に複数存在し、
    どの勝負で優位を保とうとするかは
    人によって異なります。
    同じ界にいたとしても、実はそれぞれが
    まったく違うゲームに
    参加していることもあるわけです。[p52-53]

大事なことは、まったく違うゲームに参加すること。
まったく違うルールを、いくつも作り出せること。
やっと音が出せたF、苦労して読んだ本。

プレゼントされたシロツメクサのネックレスは、
誰が編んだのかによってマッピングされる。



    

    Every single one's got a story to tell, Everyone knows about it
    From the Queen of England to the Hounds of Hell

    ―― Seven Nation Army/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2003、V2 Records



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  1. 2021年03月05日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 6/8


    界には縦の構造があり、みんながその中で
    卓越化の闘争をしている ……
    しかしブルデューのさらにおもしろいのは、
    横軸を置いて、界の構造を横に広げたところです。
    これにより、闘争の戦略の多様性、
    参加メンバーのハビトゥスの多様性が表現れます。
    つまり私たちは、垂直方向だけでなく
    水平方向にも広がった界のなかで
    闘争をしているのですが、そこでの「勝ち負け」は
    単に上下に一直線に連なっているのではなく、
    その戦略は非常に広くて複雑な
    「横幅」があるということになります。
    なお、その他に時間軸などが加わり、
    多次元になることがあります。

    このような界の構造は、ブルデューが想定する、
    もっともマクロな社会空間(階級)全体の
    構造と相似します。

    縦軸が資本量(社会階層)、横軸が資本構造
    (資本の種類、たとえば文化資本か
    経済資本かの違い)を表します。
    「文化資本」については、…… 簡単に述べておくと、
    文化に関わる知識や経験、学歴や教養、
    家庭のなかで前の世代から受け継がれた身体技法や
    態度といったものです。
    経済資本は文字通り、お金や財産の量です。[p49-50]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



    210222c.png

マトリクスの、y軸の+方向が、「資本量+」、
y軸の-方向が、「資本量-」、
x軸の+方向が、「文化資本-」および「経済資本+」、
x軸の+方向が、「文化資本+」および「経済資本-」。

文化資本、経済資本ともに高いのが、ピアノ、ゴルフ、チェス、テニス。
乗馬、狩猟は、文化資本が低めに配置されている。
サッカー、廉価な赤ワインは、文化資本、経済資本ともに低い。
中心あたりに、ギター、ミュージカル・コメディ。

なんだか、よく分からないマッピングだが、
「ディスタンクシオン」の刊行は、ネット以前の、1979年。
資本量という属性で、セグメントを作ることができた時代だ。
今どきは、ピアノというハッシュタグから、資本は量れないだろう。

ネットは、参加メンバーのハビトゥスを気にすることもなく、
別の世界に住んでいるような者でもつなげてしまう。



    200127a.jpg



ブルデューのマトリクスには、アナログで、フィジカルで、
アコースティックな趣味がポジショニングされているけれど、
今どきは、趣味に費やす時間が最も長い階層は、
生まれた時からネットがある20代前半、

学生か、或いは、就職して間もない頃である。
上とか下とか、勝ち負けとか、いったい何の話だろう。
30代以降は、忙しくて、疲れていて、趣味なんかとても無理で、
不本意ではあるけれど、テレビや動画や雑誌みたいな、

受動的に時間が費やされるように、日々の生活がシフトする。
差異化、正当化、否定、嫌悪、卓越化、いったい何の話だろう。



    

    Baby, let's shake hands, Oh, let's be friends,
    Oh, baby, let's be friends, I can't come up with a better plan

    ―― Let's Shake Hands/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、1998、Italy Records



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  1. 2021年03月04日 00:00 |
  2. ブルデュー、ディスタンクシオン
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 5/8


      趣味(すなわち顕在化した選好)とは、
      避けることのできないひとつの差異の
      実際上の肯定である。
      趣味が自分を正当化しなければならないときに、
      まったくネガティヴなしかたで、
      つまり他のさまざまな趣味にたいして
      拒否をつきつけるというかたちで
      自らを肯定するのは、偶然ではない。
      趣味に関しては、他のいかなる場合にもまして、
      あらゆる規定はすなわち否定である。

      そして趣味 goûts とはおそらく、
      何よりもまず嫌悪 dégoûts なのだ。
      つまり他の趣味、他人の趣味にたいする、
      厭わしさや内臓的な耐えがたさの反応
      (「吐きそうだ」などといった反応)
      なのである。

    「内臓的な耐えがたさ」はさすがに
    言い過ぎだと思いますが
    (ブルデューがよく批判される所以(ゆえん)です)、
    すべての趣味に対して
    寛容な人がいないのも事実でしょう。
    「これはいい」と判断を下す際には、必ず
    「あれは駄目だ」という判断が伴うのです。[p44-45]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



>そして趣味 goûts とはおそらく、
>何よりもまず嫌悪 dégoûts なのだ。
goûts は、dégoûts によって定義される。

おそらく、誇張ではなく、言い過ぎでもない。
ブルデューのハビトゥスは、異質なハビトゥスに対して、
吐きそうなくらいの嫌悪感を持つのだろう。

ブルデューには、異質な者たちとの調和を図り、
コミュニケーションを成り立たせようとするような、
そんな寛容なハビトゥスがなく、

求められているのは、差異化であり、
否定と自己正当化と嫌悪、断絶と不寛容、
仲間内だけで通じる言葉による闘争である。

闘争も、強調ではなく、言い過ぎでもない。



    200127c.jpg



    ここで重要なのは、
    趣味に関する「いい/悪い」の判断は、
    単純な記号のレベルではなく、
    自分の生き方そのものが関わっている点です。
    なぜならば、私たちは
    ハビトゥスによって方向づけられているため、
    私たちが好きになる音楽、映画、絵画、
    食べ物、服装などには、
    共通の傾向性があるからです。
    そして同時に、すでに述べたように、
    そのハビトゥスによって私たち自身が分類され、
    一定のクラスターを形成してしまうのです。

    ですから、自分が好きな映画作品を
    他者に否定されると、
    自分が好きな音楽も絵も食べ物も
    連鎖的に否定される可能性がある。
    ひいては自分そのものを
    否定されることにつながるわけです。[p45-46]



なるほど、いい/悪いの判断は、ひいては、
その人の生き方に対する肯定/否定につながる。
そんな傾向は認めてもいいけれど。

僕なら、生理的な嫌悪感だけで、
その人を否定するのは純朴に過ぎると思う。
もちろん、いい/悪い、好き/嫌いは言ってもいい。

けれども、いい/悪い、好き/嫌いだけで人を分けて、
それで人を判断しようとするのなら、
ブルデューは、間違いなく、狭量に過ぎる。

音楽や、絵や、食べものならそれでもいい。
しかし、いい/悪い、好き/嫌いだけでは、
必ず、人の意味が足りなくなってくる。

音楽や、映画や、絵画や、何でもいい、
どれだけ連鎖的に手繰り寄せても、人にはならない。
食べものや、服装なんて、人に比べたら、

少しも意味が書かれていないと思われる。



    

    She's in love with the world, But sometimes these feelings
    Can be so misleading, She turn and says "are you alright?"

    ―― Fell in Love with a Girl/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2002、XL Recordings



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  1. 2021年03月03日 00:00 |
  2. ブルデュー、ディスタンクシオン
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 4/8


    それにしても「闘争」という表現は
    ちょっと強すぎますよね。
    たとえば私は、誰かに勝とうと思って、
    あるいは自分の「趣味の良さ」を
    周囲にアピールしようと思って、
    グレン・グールドを聴いているわけではありません。
    彼のピアノが純粋に良いと思うから聴いているのであって、
    いきなり横から「お前はそれを聴くことで、
    他人に差をつけようとしているのだ」と解説されると、
    大きなお世話だと反発したくもなります。
    ブルデューの理論で、おそらく
    もっとも批判されるのがこの点でしょう。

    しかし、ブルデューは、たとえば正統的作品は
    「すべて、それ自身を知覚するための規範を
    押しつけようとする傾向を
    実際にもって」いると述べています。
    つまり私たちは、自分が持っているハビトゥスや知覚様式、
    あるいは自分の「ポジション」の価値を押し上げるために、
    趣味を通じて価値観の押し付け合戦を
    やっているというのです。[p42]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



喩えではなく、闘争めいてくるのは、
例えば、ガチオタたちのオタク語り。
でも、お互いに、相手の話を聞いていないし、
独りごとのように押しつけ合って、
関係性のために会話があるわけではないから、
闘争にもならない気がしてきた。



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    ブルデューによれば、数ある音楽のなかでも、
    たとえばグレン・グールドのピアノが良いと
    判断することは、必ず
    他者に対する差異化や卓越化
    (ディスタンクシオン)の動機が含まれます。
    ブルデューはこれを「象徴闘争」と名付けました。
    象徴をめぐる闘争ですから、
    勝ったからといってお金が儲かったり、
    実際に権力を得たりするわけではありません。
    シンボリックな利益をもとめて闘争するのです。

    つまり、人がなぜ好き嫌いの
    判断をするかと言えば、
    自分のハビトゥスの優位性の
    押し付けをやっているからである。
    それがブルデューの説明です。[p42-43]



それとも、成績とか、部活とか、恋愛とか、
多様なフィールドでの闘争を放棄した中二病。
或いは、あらゆる闘争に、ことごとく敗れて、
趣味の良さをアピるくらいしか戦場を持たない人。
そんな人たちの闘争心は半端ない。
ポートフォリオを組めないから、なけなしの、

持ち金のすべてを賭けてくる。



    

    And when I wake tomorrow, I'll bet, That you and I will walk together again
    I can tell that we are going to be friends

    ―― We're Going to be Friends/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2001、Sympathy for the Record Industry



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  1. 2021年03月02日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 3/x


    芸術、学問、スポーツ、政治、文学のように、
    小さなものから大きなものまで、
    この社会にはたくさんの界があります。
    それぞれが微妙に重なりあいながらも、
    界というものは相対的には自律的な存在です。
    そこには独自のゲームがあり、独自の「賭け金」
    (ブルデューがよく使う言葉です)があり、
    独自の判定基準があります。

    個人の側から見た場合の
    日常的実践を説明するための概念である
    ハビトゥスに次いで重要なのが、
    この界という概念です。[p41]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版

学問、文学、芸術、小さなメインカルチャーから、
ゲーム、漫画、流行りの歌、アプリ、SNS、
恋愛、仕事、ファッション、グルメ、お笑い、
大きな賭け金が動くサブカルまで。



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    ブルデューによれば、
    人びとの行為には「闘争」が伴います。
    人があることをするとき、なぜそれをするのか。
    それは、もっとも広い意味での
    「利益」を得るからだ、というのです。
    私たちはこの、非常に広い意味での
    ―― それこそ、自らを犠牲にして
    他人に尽くすことまでも含めた ――
    利益をもとめて行為をしているのです。
    そしてそれは、音楽の演奏や映画の鑑賞でも
    同じだとブルデューは言います。[p41-42]

持ってしまった、優しさ、でさえ、
伝わらないと分かっている人には伝えない。
僕なら、それを、最も伝わりそうな人に伝えるし、
伝わったときの効果が、最も大きい人に伝える。

リソースは有限であり、機会費用を考えれば、
反故にされる優しさは損失になる。



    

    For me to think childish thoughts like these
    But I'm so tired of acting tough

    ―― Hotel Yorba/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2001、XL Recordings



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  1. 2021年03月01日 00:00 |
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界 ―― 100分de名著、ブルデュー「ディスタンクシオン」 2/x


    ブルデューによれば、私たちの好みは
    家庭や学校を含む
    社会生活において培われたハビトゥスによって
    方向づけられ、規定されています。
    そしてこのハビトゥスによって、
    私たち自身が、ある種のクラスターに
    分類されていきます。

    ハビトゥスは人々の行為や感受性を、
    いわば個人の側から分析するための概念です。
    それでは、同じようなハビトゥスの人々が
    自らを分類しながらクラスターを形成していく様を、
    「社会の側から」見たとき、
    それはどのように見えるでしょうか。

    おそらくそれは、
    さまざまな座標軸によって構成される、
    ひとつの「空間」のように
    見えるのではないでしょうか。
    そして私たちは、この空間のなかで、
    お互いの資本やハビトゥスを「武器」として、
    何らかの「ゲーム」に参加しているのです。
    ブルデューは、私たちが
    ゲームに参加しているこの空間のことを、
    「界」と呼びます。[p40-41]

    ―― 100分de名著、2020年12月、ブルデュー、ディスタンクシオン
    ―― 岸政彦 著、2020、NHK出版



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たかが、趣味の話で、たいそうな、
って、僕だって、そう思う。

    『ディスタンクシオン』のテーマを大まかに言えば、
    趣味とは何か、文化とは何か ――
    趣味や嗜好(しこう)という個人的な領域が、
    いかに社会と結びついているかです。[p5]



でも、ハビトゥスは、僕の傾向性、性向、
僕の行為や感受性までも、その射程に収めている。

    …… ハビトゥスとは私たちの評価や行動の
    さまざまな傾向性のことであり、
    同時にそれらを生み出す原理のことです。
    また、それは一回性のものではなく持続性があり、
    異なる分野においても
    同じ傾向を示す(移調可能)と言っている …… [p32]



僕の与り知らない射程まで、
ハビトゥスが照射するらしい。

    私たちはハビトゥスによって
    趣味や好みを選んで(分類して)います。
    と同時に、私たちはハビトゥスによって
    分類される存在でもあります。
    ハビトゥスの側から見ると、
    ハビトゥスが人を分類していくのです。[p38]



人生の丸ごとがかかっているような、
ハビトゥスのバトルフィールド、

「界」に踏み出してみる。

    ハビトゥスとは何でしょうか。
    それは、家庭や学校のなかでたたき込まれた
    性向、態度、傾向性です。
    つまりそれは、それまでの人生の履歴、
    蓄積なのです。[p85]



    

    Every single one's got a story to tell, Everyone knows about it
    From the Queen of England to the Hounds of Hell

    ―― Seven Nation Army/The White Stripes
    ―― Jack White 作詞作曲、2003、V2 Records



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  1. 2021年02月28日 00:00 |
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