>だから、誰かの前で泣くことは、
>独りで泣くよりも、いくぶん、難しく、
>ときには、いくらかは、たやすい。
涙を共有してもらえない人の前で泣くなんて、
そんな、つまらないことはしたくない。
誰かの前で泣けるのなら、きっと、その誰かは、
共鳴できるものごとを、たくさん備えている。

もしも 君が彼らの言葉に嘆いたとして それは つまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈 何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる
―― ありあまる富/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、2009、EMIミュージック・ジャパン
>だから、誰かの前で笑うことは、
>独りで笑うよりも、いくらかは、たやすく、
>ときには、いくぶん、難しくなる。
笑いを共有してもらえない人の前で笑うなんて、
そんな、虚しいことはしたくない。
誰かの前で笑えるのなら、きっと、その誰かは、
共振できるものごとを、たくさん備えている。
あなたが泣いて そして笑って
ひとつ欠けたままの僕のハートが ほら じんわりふるえる
―― アイ/秦基博
―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan
こんな人の前で泣いてもつまらないとき、
こんな人の前で笑っても虚しいとき、
泣くのも、笑うのも、いくぶん、難しくなる。
涙も、笑いも、反故にされてしまうから。
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- 2020年05月19日 00:00 |
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>では、誰かの前で泣くこと、笑うことは、
>自分が泣いたこと、笑ったことから、
>即時に、逃れられなくなることである。
だから、誰かの前で泣くことは、
独りで泣くよりも、いくぶん、難しく、
ときには、いくらかは、たやすい。
だから、誰かの前で笑うことは、
独りで笑うよりも、いくらかは、たやすく、
ときには、いくぶん、難しくなる。
即時に、誰かを、逃れられなくさせるからである。

いつか教えてよ
あの時の涙のわけを 笑顔の思い出を
―― Remember me/くるり
―― 岸田繁 作詞作曲、2013、Speedstar Records
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- 2020年05月18日 00:00 |
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>自分が考える愚かなことは、
>まだ、愚かな考えではない。
>愚かな考えでも、誰にも伝えなければ、
>まだ、愚考にはならない。
独りで泣くこと、独りで笑うことは、
まだ、泣いてもいないし、笑ってもいない。
泣いたこと、笑ったことを、誰にも伝えなければ、
まだ、泣いたことにも、笑ったことにもならない。
さほど泣いていないし、たいして笑ってもいない、
悲しくもなかったし、おかしくもなかった、
そう思い直すだけで、そう思い込むだけで、
泣いても、笑ってもいないことになる。

では、誰かの前で泣くこと、笑うことは、
自分が泣いたこと、笑ったことから、
即時に、逃れられなくなることである。
あなたが泣いて そして笑って
ひとつ欠けたままの僕のハートが ほら じんわりふるえる
―― アイ/Goose house
―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan
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- 2020年05月16日 00:00 |
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誰かに理解されて、誰かと共有できて、
自分の不機嫌は、多少なりとも尊重されるが、
たぶん、多くの男は、不機嫌な感情や、その理由を、
言語化したことがないままに育っている。
それに気づいたときには、びっくりしたけれど、
今さら、できないことは、できないから、
できないことをしようとしても仕方がない。

不機嫌の理由を主題に据えているのなら、
もとより、不機嫌が収まるわけがない。
自分の感情を壊すほうが手っ取り早いから、
酔っ払って眠れば、ほら、朝が来る。
できないことよりも、できることをする。
外形はともかく、内実として、甘えん坊にも、二歳児にも、
かまってちゃんにも、マザコンにもならないために。
誰かの不機嫌も 寝静まる夜さ
バイパスの澄んだ空気と 僕の町
―― エイリアンズ/キリンジ
―― 堀込泰行 作詞作曲、2000、Warner Music Japan
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- 2020年05月15日 00:00 |
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ほら 朝が来るよ 新聞は毎日パパの顔曇らせたまま
子供だって おとなになるよ

子どもだって大人になる、と子どもから諭されても、
パパは、まだ、甘えた子どものままでいる。
パパは、おそらく、不機嫌だけを表明して、
不機嫌になる理由を述べることはない。
男ってのは、おおよそ、そのあたりの説明が苦手で、
述べようとすれば、さらに不機嫌を募らせてしまう。
そんなのは、外形的には、二歳児の政治、
かまってちゃんの戦略、マザコンの戦術に等しいけれど、
不機嫌は、不器用なパパのコミュニケーションツールである。
ほら 朝が来るよ 新聞は毎日パパの顔曇らせたまま
子供だって おとなになるよ
―― Remember me/くるり
―― 岸田繁 作詞作曲、2013、Speedstar Records
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- 2020年05月13日 00:00 |
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自分が考える愚かなことは、
まだ、愚かな考えではない。
愚かな考えでも、誰にも伝えなければ、
まだ、愚考にはならない。
愚考は、愚考を表すことで愚考になるから、
愚考とは、愚考を表すことの許容である。
自分が感じる機嫌の悪いことは、
まだ、不機嫌ではない。
機嫌が悪くても、誰にも気づかれなければ、
まだ、不機嫌にはならない。
不機嫌は、不機嫌を表すことで不機嫌になるから、
不機嫌とは、不機嫌を表すことの許容である。

愚かなことを考えるのと、
愚かな考えを表明するのは、
似ているけれど、次元が異なる。
機嫌が悪くなるのと、
不機嫌な感情を表明するのも、
似ているけれど、違う次元の、
それぞれに、異なる出来事である。
誰かを憎んでたことも 何かに怯えたことも
全部かすんじゃうくらいの 静かな夜に浮かんでいたい
―― 流れ星/スピッツ
―― 作詞、作曲、草野正宗、1999、ポリドール
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- 2020年05月11日 00:00 |
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例えば、友人、との比較において。
おおよそ、かけがえのない友人、というときは、
少しずつ、特別な人に引き上がって、
かけがえのなさは、回顧的に、事後的に語られる。
替えがきかなくなってから、
大切さが分かる、そんな合理だ。

しかし、恋愛においては、かけがえのなさを、
予想的に、事前的に語ってしまう。
恋愛、というのは、そんな不合理な順逆だ。
それは、感動の順序でもある。
>まず、予想的に泣いて、先に、事前的に笑ってから、
>なぜ泣いたのか、って合理が回顧的に分かり、
>なぜ笑ったのか、って合理が事後的に分かる。
>感動、ってのは、そんな順序だ。
一気に、特別な人に引き上がって、
なぜそうなったのか、って合理は事後的に分かればいい。
まだここにない替えのきかなさを夢見て、
将来における大切さを先取りする。
恋愛、というのは、そんな幻想である。
ただ いとしくて だけど怖くて
今にもあなたが消えてしまいそうで 夢のように
―― アイ/Goose house
―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan
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- 2020年05月09日 00:00 |
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>だとすれば、自分が誰を探していたのかを、
>教えてくれる人が、探している人だったりする。
彼/彼女が、探していた人であることを教える、
ってことは、その彼/彼女も、また、
探されていた人であることを、自分が教えている。

埋もれている人たちから、彼/彼女を引き上げることは、
埋もれていた自分が、引き上がることである。
彼/彼女が、世界で唯一の人であるなら、
彼/彼女を選んだ自分も、世界で唯一の人になる。
選ばれた自分も、また、世界で唯一の人になる。
遠く 遠く ただ 埋もれていた
でも 今 あなたに 出会ってしまった
―― アイ/秦基博
―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan
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- 2020年05月08日 00:00 |
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ともすれば、僕たちは、
人を好きになったときに、
人を好きになる、ってことが、
どういうことなのかが分かったりするから、
そうすると、僕たちは、
自分が誰を探しているのかも、
まだ分からないままに、
誰かを探していることになるけれど、
だとすれば、自分が誰を探していたのかを、
教えてくれる人が、探している人だったりする。

ありふれた日々が アイ色に染まってく
はじめからあなたを 探していたんだよ
―― アイ/Goose house
―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan
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- 2020年05月03日 00:00 |
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こんな時代に、こんな国に生まれて、
こんな人たちに出会ったけれど、
どれもこれも、自分で選んだわけではない。
自分の意志に拘らず、自分に巡ってくる吉凶禍福、
そんな巡り合わせを、運命、と呼んでみる。
運命は偶然で、偶然に意味はなく、運命に意味はない。
こんな時代に、こんな国に生まれて、
こんな人たちに出会うことは無意味であるが、
意味は、自分の行動が、運命に優先するときに生まれる。
それを、自由、と言い換えてもいい。
こんな時代に、こんな国に生まれて、
こんな人たちと関わりながら、
自分の行動で、運命を変えたときに意味ができる。
自分で変えた運命だから、その後の運命を引き受ける。
それを、責任、と言い換えてもいい。
こんな時代にも、こんな国にも、出会った人たちにも、
予め用意されている意味は、どこにも探せない。
すべては、ことごとく無意味である。
人生は無意味であり、人は生きるに値しないけれど、
しかし、あるいは、それゆえに、
自分の行動が、自分の人生の意味を作る。

例えば「自由」 例えば「夢」 盾にしてたどんなフレーズも
効力(ちから)を無くしたんだ 君が放つ稲光に魅せられて
―― 365日/Mr.Children
―― 桜井和寿 作詞作曲、2010、TOY'S FACTORY
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- 2020年04月29日 00:00 |
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