tetsugaku poet
2010年、チュニジアで、
抗議の焼身自殺をした青年の映像が携帯電話で撮影され、
それをきっかけに各地で反政府デモが発生、
2011年、民主化要求デモ、アラブの春が、
北アフリカから中東に広がった。
僕たちは、そんな力を秘めた携帯電話を持ち歩き、
その演算処理能力は、
アポロ計画の時代の巨大な計算機をはるかに超える。
なんてふうに、
僕たちは、ちょっとググっただけで、
小利口なことが言えるようになった。
タイトルをスマホの作用にして、
この後、どういう展開に続くのか、
僕はまだ決めていないけれど、
結論まで書くことができると思う。
僕は、アラブの春もアポロ計画もよく知らない。
それでも、ググって、ヤフってヒットしたら、
ネットに落ちていた言い回しを、
僕が考えていたことと勘違いすることができる。
アポロ計画を持ちだしたのは、
時代の変遷を示す使い古されたメタファーで、
僕が思いついたことではない。
検索は思索ではないが、
書いているうちに、違いがあいまいになってくる。
ネットから拾ってきて編集して、
またネットに返して、
その作業を無駄とは言わないが、
無駄なことをしている認識はあったほうがいい。
だから、もう続きは書かない。
スマホで何をしているのか、といえば、
ふつうには、Facebook、LINE、Twitter、mixi、
ソーシャルゲームや音楽配信や、そんなものだろう。
たいていは、考えることもなく、表現に工夫もなく、
ラフな個人の感想が、そのまま公(おおやけ)に上げられる。
スマホの画面では、
文脈のある長文など、読むのも書くのも無理だと思う。
落ち着いてひとつのことを熟考することができないし、
その必要もない。
その必要がないから、あの画面だ。
だからと言って、
スマホが思考力を奪うという論の立て方も、
すでに画一的で、思考力を奪われた論調だと思う。
スマホは、馬鹿も作るし、ふつうも作るし、
天才も秀才も奇才も作る。
ただし、
たかがスマホごときとは、関係のないところで。


- 2013年10月27日 12:18 |
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好き嫌いには、理由がない。
それは、そう結論づけたのではなくて、
主観だらけの同語反復に陥るのが、透けて見えていたから、
とりあえず、しかたなく。
理由は、もちろん僕が知っていなければならない。
僕の知らないことは、
僕の理由にはなり得ないだろうから。
僕が知っていることが分かれば、
それでじゅうぶんなのかもしれない。
わざわざ探しに出かけることもないだろう。
僕はいつでもここにいて、
ミニを好きだと言っている。

説明とは、論理的でなければならず、
論理的な言葉は、それ自体の論理を持つ。
理由も、主観も、同語反復も、
例えば、文化も、伝統も、ファッションも。
二階建て横置きパワートレインや、前輪駆動でさえ、
それ自体の論理があり、
直截にミニそれ自体を説明する言葉ではない。
そして、迂闊に、
例えば、パワートレインが好きだから、と言ってしまえば、
その途端に、また振り出しに戻ってしまう。
―― なぜミニのパワートレインが好きなのか。
論理は、循環であり換言であり同語反復であり、
僕が知っている言葉の中から、
新しい発見が生まれるわけではなく、
せいぜい新しい文章表現が生まれるだけだろう。
それこそ、循環であり換言であり同語反復ではあるが。
循環であり換言であり同語反復であるなら、
答は問いの中にある。
なぜ好きなのか、
その中にすでに、好き、がある。
…ここから組み立てれば、正解かもしれないけれど、
しかし、それでは収まりが悪い。
そう結論づけたくはないし、
理由がない、とは言いたくないから、
いつか、また探しに出かけてしまい、
きっと、また手ぶらで戻ってくるのだろう。


- 2013年10月24日 22:52 |
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こんなに小さなクルマでは、
たいして遠くには行けないけれど、
馬鹿の世界に近くなるからそれでいい。
馬鹿の世界の入り口は、
狭くて低くて目立たないけれど、
ミニならかんたんに通れるからそれでいい。
僕がミニに乗り込めば、
ミニはすぐさま方向を見定めて、
僕は馬鹿の世界に運ばれる。
どこに行っても、どこまで行っても、
損得や、勝ち負けを忘れたような、
馬鹿の世界に囲まれる。

哲学は馬鹿の地平に雪を降らせ、
文学は馬鹿の夜空を明るく照らし、
馬鹿の旋律が響けば花が咲く。
こんなに小さなクルマでは、
たいして役には立たないけれど、
馬鹿の世界に風を吹かせる。


- 2013年10月22日 11:18 |
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理由がない、ということは強い。
なぜ好きなのかも分からないうちは、
嫌いになる契機を得られない。
そして、理由は、必ずしも合理的である必要はない。
合理的でなければならないと考えること、
それ自体は合理的とはいえない。
合理性への帰依は信仰だ。
などと、合理性は、自らを壊すときにも合理性を求めるから、
僕は、なんとかつじつまを合わせようとして、
もともと理由のないことを、
分かりにくい姿に変えて行き詰る。
価値判断の基準らしきものが僕の内側にあって、
しかし、僕にはそれを外側に問う技量がなくて、
僕の外側は、損得や、勝ち負けの話ばかりで、
内と外とがまるでかみ合わないでいる。
でも、床に座っているような目線で、
エンジンと排気の音を聞いて、ハンドルを抱え込むと、
同じように与えられた道路から、
より多くの愉しみを引き出しているのが分かる。
僕は、その感情や感覚を言葉化する能力が、
足りていないのをもどかしく思い、
そして、そんなクルマにほれ込んでしまった自分をうらめしく思う。
なんとも、ふがいない。

損得や、勝ち負けを忘れて、
馬鹿になりたい。
時代遅れのクルマに乗り込んで、
馬鹿の地平を駆け巡りたい。
花咲く丘にクルマを停めて、
馬鹿の世界の点景になりたい。


- 2013年10月19日 12:02 |
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全軽自協(全国軽自動車協会連合会)のまとめによると、
2013年度の新車販売累計台数354.3万台のうち、
軽自動車の販売台数は140.8万台(39.7%)と、ほぼ4割のシェアを占めています。
軽自動車が普及している都道府県TOP10ランキングを見ると、
1位が佐賀県(100.2%)、2位が鳥取県(100.1%)、3位が島根県(98.3%)、4位が山形県(98.2%)、
5位以降は長野県、福井県、沖縄県、新潟県、山梨県、宮崎県の88.9%と続きます。
「一家に一台」の割合を超える県(佐賀・鳥取)が出たのは今年が初めてとか。
逆に普及率が低いTOP10では東京都(11.3%)、神奈川県(21%)、
大阪府(26.6%)、埼玉県(37.7%)、千葉県(38.4%)、北海道(39.3%)、
京都府(41.2%)、兵庫県(41.4%)、愛知県(49%)、福岡県(54.4%)の順。
09/11、08:34、clicccar
…知らなかった。
大阪市内に住んでいると気がつかない。
たしかに、地方の若者たちは、
軽自動車の重要なユーザーになる。
軽自動車、軽以外からの乗り換えが4割
マクロミルは、日刊自動車新聞と共同で、
軽自動車・コンパクトカーに関する調査を実施し、その結果を発表した。
2013年に軽自動車を購入した新規増車の内訳は、
新規10.6%、切替え81.9%、増車7.3%その他0.2%。
そのうち、新規を除く対象者に1台前に所有していたクルマをたずねたところ、
軽自動車だった人は56.2%と半数以上、
残りの44%は普通車やコンパクトカー、ハイブリットカーなどからの
ダウンサイズ購入という結果となった。
10/04、09:30、レスポンス
…知らなかった。
軽自動車購入者の4割が普通車から車格を落としている。
消費者は軽自動車で妥協した、そういうことだろう。
だから、メーカーが軽自動車市場に舵を切るのは正解だ。
しかし、メーカーは、
なぜ妥協できるのかを考えなければならない。
今どきの普通車は、
軽自動車で妥協できる程度の車ばかり、ということだ。


- 2013年10月17日 20:43 |
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右、その意味の中には、
半分くらいは左が含まれていて、
―― ときには、まん中も含まれていて、
出会いの意味には、
別れを含んでいて、
―― 出会ってしまったのなら、それは必ず、
幸福の意味にも、
不幸がつきまとう、
―― そのどちらの意味も、うまく語れないにしても。
では、好き、を考えるときは、
嫌い、からのアプローチをしてみようと思いつく。

「我々が研究したのは、
いわゆる『ヤンキー文化』と呼ばれるような地方の若者たちのテイストでした。
軽自動車の重要なユーザーである彼らに訴求するデザインとはどのようなものか。
実際の現場の声を聞いてきたんです」
http://www.sankeibiz.jp/business/news/131005/bsa1310051800002-n1.htm
嫌いなクルマをわさわざ挙げることは大人げないが、
こんなクルマは、嫌いと言っていい。
その通り、地方のヤンキー向けだと思っていたし、
研究が実を結んで、実際にDQNが乗っているけれど、
ホンダは、因幡の白兎の神話を知らないのか?
何万台売れたのかは知らないが、
まだ、和邇(わに)の背中を渡っている途中なのに。
ホンダは、好きも嫌いも理由がなかった僕に、嫌う理由を示した。
僕と同じ感想を持った人は少なくないと思う。
作った側が、田舎のDQNが喜びそうなクルマを作りました、と言っている。
僕は、田舎のDQNが喜びそうなクルマは嫌いだ。


- 2013年10月14日 11:47 |
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燃費とか、価格とか、
何人乗れて、どれだけ積めて、
それで損とか、得とか、
勝ったとか、負けたとか。
それは、数値化して比較すること、
つまり、競争すること、優劣を競い合うこと。
ミニはずいぶん昔に競争から降りたクルマだから、
数値化される損得や勝ち負けの埒外にいて、
言葉化される感情や感覚に価値を移している。
比べるのではなく、語られる。
優劣を競えば、
ミニは今どきのどんなクルマにも劣るけれど。
ミニと比較されるクルマといえば、
昔からビートルが挙げられてきた。
しかし、FF、RR、水冷、空冷、
ラバーコーン、トーションバー、
直線的、流線型、イギリス、ドイツ、
なにからなにまで違うミニとビートルの、
何を比較しようというのだろう。
比較といいながら、
実は数値化ではなく言葉化によって、
文学や哲学のコンテキストで、
すり合わせていなかっただろうか。
例えば、結婚したり子育てをしたり、
損得や勝ち負けの埒外のできごと、
そんなのは文学や哲学の領分だと思う。
人によっては埒内かもしれないが。
というよりは、文学や哲学は、
結婚や子育てが具体的になれば、
それらのリアルな体験を領分の中に取り入れ始める。
文学も哲学も結婚も子育ても、
今どきは流行らないけれど。
僕がなぜビートルではなくミニを選んだのかは分からない。
その逆だったとしても、理由は分からないだろう。
そして、理由がない、ということは強い。
なぜ好きなのかも分からないのに、どうやって嫌いになれと?
損得や、勝ち負けを忘れて、
馬鹿になりたい。
時代遅れのクルマに乗り込んで、
馬鹿の地平を駆け巡りたい。
花咲く丘にクルマを停めて、
馬鹿の世界の点景になりたい。



- 2013年10月12日 21:52 |
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単純に考える。
もとより難しく考える頭もないけれど。
判断基準が、損か得かに移っただけではないか?
~離れも、未婚率も、少子化も。
僕が思いつくことなんて、
きっと間が抜けている。
つまり、ブログなんか書いていても、
何の得もないわけで。
何の得もないことをやっている人が、
~離れや、未婚率や、少子化を考えても、
的が外れているに決まっているわけで。
何も分かり合えないわけで。
つまりは、おそらく、
みんな利口になったわけで。
例えば、~離れなんて、
何の得もない無駄な問題なわけで。
金銭に見積り得ないものごとは、
機会費用を考えると損なわけで。
たぶん、何を問題としているのか、
そこから理解されないわけで。
問題が共有されないことには、
最初から問題なんてないわけで。
答がないのは困るけれど、
問題はなくても困らないわけで。
問題は少ないほうがいいわけで。
できれば、ないほうがいいわけで。
答がないことを考えるのは無駄なわけで。
無駄なことを考えるのは損なわけで。
損なことを考えるのは馬鹿なわけで。
馬鹿が利口のことを考えても余計なお世話なわけで。
馬鹿に利口のことなんて、
分かるわけがないわけで。
それでも、馬鹿はやめられないわけで。
馬鹿は、自発的な意志によって選択されるものではないわけで。
いつでもやめられるような馬鹿は、
もとより馬鹿とはいえないわけで。
自発的な意志による馬鹿は、
利口と呼ぶべきで。
利口は馬鹿になれるとしても、
馬鹿は利口にはなれないわけで。

しかし、馬鹿にもほどがある。
クルマ離れなんて呼ばれて久しいのに、
よりにもよってこんなクルマを。


- 2013年10月10日 21:08 |
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プリウスだらけ。
日増しに、プリウスだらけ。
大衆車、と呼んでいいくらい。
しかし、初代プリウスはめっきり見かけなくなった。
先代も減ってきた気がする。
気がかりだったことは解消された。
劣化した動力電池の交換費用、
そんなものは考えなくてもよかった。
そこまでして乗り続ける人はいない。
廃車にして、また、地球に優しいクルマを買えばいい。
ビートルも、キャトルも、チンクも、ミニも、
大衆車は、計画的なモデルチェンジはしなかったし、
簡単にゴミにならなかったけれど、
そんなのは、この国では環境保全につなげない。
初めから環境保全なんて考えていない。
環境保全の手段と目的と、節約までがごっちゃになっているから、
わけの分からないまま、エコが定着して、
エコバッグ、エコポイント、エコカーになって、
エコカー減税、エコカー補助金なんてことになる。
この国の人たちは、
生態系(ecology)の最適化と、
節約(economy)の区別もつかない。
大衆車の代名詞、カローラにHVが搭載されたが、
HVは大衆車になれるのだろうか。
大衆に愛されるクルマになるのだろうか。



- 2013年10月06日 21:53 |
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じゅうぶんに年季が入ってから、
ファッショナブルな要素を付加されることが大切だ。
そんなクルマのおしゃれさや、かわいらしさは、
古くなればなるほど増えてゆく。


最初からおしゃれなクルマなんて、
少しもおしゃれではない。
ボーヴォワールならこう言う。
おしゃれなクルマは、
おしゃれに作られたのではない。
おしゃれになったのだ。


- 2013年10月06日 21:51 |
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