tetsugaku poet
2月は3勝でした。
10回参戦して優勝3回、準優勝2回、
上出来です。
月に3回も勝てれば、
年間最多になれるでしょう。
02/10決勝、「為になる随筆」ブログトーナメント、参加者24名、
★準優勝、『エロの力 1/x』、2013/11/17
02/13決勝、「自由不自由」ブログトーナメント、参加者31名、
☆優勝、『岐路に立つ』、2014/01/12
02/17決勝、「哲学詩・思想詩・宗教詩などの」ブログトーナメント、参加者30名、
★準優勝、『謙虚』、2013/08/23
02/20決勝、「自作小説 2014.02」ブログトーナメント、参加者25名、
★準々決勝戦敗退、『スーちゃん 4/4』、2013/03/10
02/22決勝、「文藝逡巡社 第3回 茶川賞」ブログトーナメント、参加者19名、
★準決勝戦敗退、『スーちゃん 1/4』、2013/03/09
02/23決勝、「反原発(52)」ブログトーナメント、参加者10名、
★1回戦敗退、『船長ら真っ先避難?沈没フェリーの生存者が証言』、2011/03/29
02/24決勝、「ほっとけない話」ブログトーナメント、参加者43名、
★準々決勝戦敗退、『佐村河内守と新垣隆 2/x』、2014/02/13
02/24決勝、「読書に関わる」ブログトーナメント、参加者29名、
★準々決勝戦敗退、『超訳 ニーチェの言葉』、2010/11/22
02/24決勝、「確率にまつわる」ブログトーナメント、参加者5名、
☆優勝、『骰子一擲(とうしいってき)』、2014/02/18
02/26決勝、「自己啓発」ブログトーナメント、参加者43名、
☆優勝、『闘え、馬鹿』、2014/02/18
自由不自由ブログトーナメント
確率にまつわるブログトーナメント
自己啓発ブログトーナメント


- 2014年02月27日 10:39 |
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速度は、距離/時間で求められる。
春と朝では、春の方が速い。
春は朝よりも速く
距離は、速度×時間で求められる。
春と朝では、春の方が遠い。
春は朝よりも遠く
時間は、距離/速度で求められる。
時間については、
春と朝では何がどうなるのだろう。
おそらくは、
何もどうにもならない。
同じ時間の中で、周りながら回るのなら、
春の時間も、朝の時間も同じ時間だ。
時間を、数量的に数え上げられる期間とすれば、比較はできる。
例えば、春を3月から5月の92日間とすれば、
春の期間は92日×24時間の2208時間になる。
朝を、例えば5時から11時とすれば、
朝の期間は92日×6時間の552時間になる。
朝が短くなるのは当然だ。
24時間のうちの6時間を朝とすれば、朝は4分の1、
4時間を朝とすれば、6分の1になる。
しかし、春の中に含まれる朝の期間と、
朝の中に含まれる春の期間は、同じだろう。
時間それ自体は長くなるとも、短くなるとも、
速くなるとも、遅くなるとも、
速くも遅くもならないとも言えない。
期間や速度を時間に帰そうとすれば、
同語反復やカテゴリー錯誤に陥ってしまう。
現在、2月23日、日曜日、23時23分。
待ち遠しい春だが、
春は朝を追い越せない。
その前に、必ず、
待ち遠しくない月曜日の朝が来る。


- 2014年02月24日 10:44 |
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現在、2月22日、土曜日、23時33分、
もうすぐ今日と明日が出会う。
もうすぐ明日が今日になる。
今日も寒い一日だった。
3月になれば暖かくなるのだろうか。
春はどこまで来ているのだろう。
地球と太陽の距離は、15000万km、
地球の公転軌道は、15000万×2×πで、94248万km、
公転周期は、365日、
3月まで、あと6日、
94248万×6/365で、1549万km。
春まで、あと1500万km。
現在、2月23日、日曜日、00時03分、
昨日と今日が出会った。
今日が昨日になった。
朝はどこまで来ているのだろう。
地球の赤道半径は、6378km、
赤道の円周は、6378×2×πで、40074km、
大阪市の緯度は、北緯34度41分10秒、
10進で、34.6862971、
40074×cos34.7で、32947km、
2月23日の大阪市の日の出は、6時35分、
32947×6.5/24で、8923km。
朝まで、あと9000km。
50km/hのクルマで走れば、
春まで30万時間、朝まで180時間もかかる。
春には34年後に、朝には7日後にたどり着く。
くだらない計算をするよりは、
寝て待ったほうがよさそうだ。


- 2014年02月23日 10:52 |
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地球の自転周期は、約24時間。
地球の平均半径は、約6371km。
単純に計算して、赤道付近の自転速度は、時速約1668km。
大阪市は、北緯34度40分くらい。
1668×cos34で、大阪市の自転速度は時速約1383km、秒速約384m。
秒速約384m、
それは、朝が訪れる速度。
地球の公転周期は、約365日。
軌道の長さは約93890万km。
大雑把に計算して、地球の公転速度は、秒速約29.8km。
秒速約29.8km、
それは、春が訪れる速度。
春は朝よりも速く訪れる。
きっと、昼の間にも、夜の間にも、
季節が移り行くから。


- 2014年02月22日 12:27 |
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コインランドリーを囲む薄い緑のフェンスに額を押しつけて、
彼は前かがみのまま動かない。
様子をうかがいながら、僕は彼に近づいた。
具合でも悪いのだろうか。
阪神タイガースのキャップを、
つばを後ろにしてかぶっている。
年は五十を越えたくらいか。
僕の思い込みだが、
野球帽は、かぶっているその人を格段にアホに見せる。
とりわけ、阪神タイガース、
もちろん、これも僕の思い込みだが。
白い猫が僕を追い越して、フェンスの下の隙間をくぐり、
フェンス越しに置かれた段ボール箱のそばに座った。
箱の中では、白、黒、茶色の仔猫が四匹、くっついて眠っていた。
四個入りのおはぎのようだ。
そうか、阪神の彼は、仔猫を見ていたのか。
「この白い猫の仔どもですか?」
僕は問いかけた。
僕たちはフェンスにもたれて座り、ぼそぼそと話し始めた。
洗濯機が回っている、車が通り過ぎる、
テレビの音が漏れてくる、
布団を叩く、子供が泣く、犬が吠える、
ホームレスの男が何やら大げさに喋っている、
それらを除けば、ここは静かな場所だ。
三月の低い太陽が、
阪神と僕と猫の背中を、ゆっくりと温めていた。
四匹はみんなメス、
母親はシロ、父親はトラ、
クロも父親かもしれない、
シロが本気で怒るのでどちらも仔猫に近づけない、
トラは人によって様々に呼ばれていたが、トラに定着しつつある、
クロは警戒心が強く、あまり姿を見せない、
食べものを貰うときだけ、おっかなびっくり寄ってくる、
阪神は、野良猫の事情に詳しい。
仔猫はコインランドリーとその隣の住宅の隙間で産まれた。
人が入れる隙間ではなく、
段ボール箱も途中でつっかえてしまいそうな間隔だ。
手前に、餌と水と段ボール箱を置いたら、
まもなくシロと仔猫が移ってきた。
「その裏の家のネキで産まれてん」
さらりとネイティブな大阪弁がうれしい。
話題が野球に移った。
さすが、阪神。
阪神の頭は、野球で覆われているが、
頭の中も、野球で埋め尽くされているらしい。
僕には苦手な話題だ。
野球中継など、ここ何年も観ていない。
「同時やのに、なんでアウトになるんや」
阪神の設問は、僕にはあまり興味がわかない。
たとえば、打者が一塁ベースに達するのと、
一塁手がベースに接して捕球するのが同時のときは、
打者はアウトになるのか、セーフになるのか。
昨日の試合は、その判定のせいで敗れたらしい。
僕には、アウトでもセーフでも構わないし、
その理由の説明もいらない。
「その塁審が、同時はアウトと決めてるんやないですか?」
僕は、次の話題を探していた。
阪神は、水を替えるためコインランドリーに入り、
すぐに戻ってきた。
きれいな水が、子どもが砂場で遊ぶような玩具に入れられて、
猫たちに届けられた。
「シロ、来いっ! トラ、来いっ!」声がした。
「シロ、来いっ!」近づいてきた。
声は大きくて、かん高い。
コインランドリーの陰から、ジャン・レノを縮小したような、
小柄な初老の男が現れた。
白髪混じりの不精ひげを生やし、小さな眼鏡を掛け、
パジャマとも作務衣ともつかない妙な服を着ている。
「トラ、来いっ!」
小さな袋を二つ持って、猫を呼びながらこっちに向かってきた。
「土佐、特撰、5本入り、80円」と印刷された包装を破りながら、
ジャン・レノは猫を急き立てた。
「喰え、喰え、早よ喰え」
竹輪をちぎって、猫に遣るのかと思ったら、
自分の口に入れ、「美味い、美味い」と言っている。
お約束のボケは、お約束ゆえに可笑しい。
また竹輪をちぎって、今度は僕に向かって「食べるか?」と訊いた。
しかたがないから貰って喰った。
美味くも不味くもない竹輪だ。
「これは土佐の特撰竹輪や」
五本八十円の竹輪に、
誰のためだか何のためだかわからない解説を添えながら、
ジャン・レノは猫に竹輪を配っている。
どこに隠れていたのか、トラとクロも寄ってきた。
クロは竹輪を咥えて少し離れた場所まで行き、
喰い終わるとまた近寄ってくる。
あまり意味のある行動とは思えないが、
それぞれに事情があるのだろう。
「水も替えたろ、待っとけよ」と言いながら、
ジャン・レノはさっき阪神が替えたばかりの水を手に取った。
「今、替えたがな」
阪神が言うのと、
ジャン・レノが水をぶちまけるのは同時だった。
「アウトや」
阪神がつぶやいた。
その通り。
判定はアウトで、説明はいらない。
同時はアウトだ。


- 2014年02月21日 20:37 |
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今、君の肩の上に舞い降りた雪の一片、
その中に水素の原子が1兆個あったとする。
数は適当だ、
1兆の1億倍でも、10億倍でも構わない。
1兆の水素の辿ってきた途はすべて異なるが、
共通することが2つある。
始まりは、宇宙の始まりとともに、
終わりは、君の肩の上に舞い降りた。
その途中、
それは、宇宙に投げ出された1兆の水素が、
君の肩の上で融けて、
再び出会うまでの出来事。
再び出会った1兆の水素に、
確率を問う者はいない。
以上でもなく以下でもなく、
一様に同じだけ偶然であるだろう。
君は、君の肩の上で、
1兆の水素が出会う偶然を、
無防備に見守るほかはない。
おそらくは、140億年ぶりだ。
……
それが
/星として生れた
数であるならば
それは存在するにしても
/断末魔のとりとめない幻覚とは別に
それは始まりそして止むにしても
/現われるや否定され閉じられるのではあるが湧き出て
/結局は
/夥しくも拡散してまばらになり
それは数えられるにしても
/単位でさえあれば総計による明証として
それは照らすにしても
それは
/もつとわるい
/いな
/以上でもなく以下でもなく
/一様に同じだけ
偶然であるだろう
……
―― 『骰子一擲』/ステファヌ・マラルメ著、秋山澄夫訳
1991、思潮社
存在と時間、それらは並立ではなく、
時間はすでに存在であり、存在はみんな時間だ。
存在すなわち時間とするのなら、
経歴はその本質になる。
では、
水素1粒の独自性は、
水素1粒そのものに在るのではなく、
そのものの経歴にある。
例えば、星になり、月になり、
塵になり、海になり、空になる。
海月(くらげ)になり、花になり、蝶になり、
猫になり、人になる。
10,000年凍り、2,000年沈み、
10日間空に舞う。
結び、離れ、映し、考え、歩き、
燃え、燃やし、燃やされた。
宇宙の始まりから、君の肩の上まで、
君が水素1粒の軌跡を想えば、
君は宇宙の中心から、宇宙の片隅の地球までを、
描き出す画布を得るだろう。
今、また君の肩の上に、
一片の雪が舞い降りた。


- 2014年02月18日 22:01 |
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世の中には、
意味のないことに夢中になっている人がたくさんいて、
だから、生きる意味なんて問いが分からなくなる。
もしも、みんながそんな人を馬鹿にするなら、
生きる意味には、他人を馬鹿にすることを加えたほうがいい。
そうしなくてすむのは、
たくさんの馬鹿が、がんばって生きているから。
誰かに、馬鹿だ、と言われることは、
その誰かの意味に収まっていないということで、
馬鹿は、馬鹿な分だけその誰かを越えている、
軽々と越えている。
だから、馬鹿にありがとう、
がんばれ、馬鹿。
利口は考えなくても利口だから、
その分、馬鹿は考える、利口の分まで考える。
考えても、馬鹿は利口にはなれないし、
馬鹿のままではあるけれど。
僕の中の馬鹿にありがとう、
闘え、馬鹿。
負けるな、馬鹿。


- 2014年02月18日 10:05 |
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お気づきかもしれません。
今年から、ランキングのバナーを貼っています。
押せとか、ポチとか、そんな面倒なことは言いません。
わざわざ書くということは、
きっと、なにかを察してほしがっていますが、
でも、ほんとうに、どうでもいいので。
今月から、「ブログ村」のトーナメントに参戦して、
善戦しています。
2月5日、「為になる随筆」ブログトーナメント、参加者24名、
準優勝、『エロの力 1/x』、2013/11/17
2月8日、「自由不自由」ブログトーナメント、参加者31名、
優勝、『岐路に立つ』、2014/01/12
2月12日、「哲学詩・思想詩・宗教詩などの」ブログトーナメント、参加者30名、
準優勝、『謙虚』、2013/08/23
この調子で参戦し続ければ、
優勝を積み重ねることができるかもしれません。
トーナメントを意識して書けば、
戦績も良くなるはず。
でも、その先になにがあるのでしょうか。
年間最多優勝を目指しましょうか。
何十万のブログの中で、
なにかで1番になれるなら、
なってみたいと思うのです。
いいでしょう?
くだらないことでも、
1番になるなら。
為になる随筆ブログトーナメント
自由不自由ブログトーナメント
哲学詩・思想詩・宗教詩などのブログトーナメント


- 2014年02月18日 10:04 |
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つまり、判断基準がないものに対して、
みんなで、分かったふりをしていた、
ということだろうか。
寒い時期に、寒い話だ。
新しい判断基準を作るのが現代音楽とするなら、
広く理解されるような音楽は、
新しいとはいえない。
新しいと言えるためには、
その音楽は理解されてはならない。
強引に端折ると、
僕に判断基準はない。
しかし、その分からない音楽が高い評価を得ると、
つまり、世の中に基準ができてくると、
基準がない、という基準を持ち続けることが困難になる。
基準は僕を包囲していて、
僕はいつでも身を委ねればいいから。
高い評価を得ている音楽が理解できないことに対して、
良さが分からない僕に耐えられなくなる。
僕の内にある劣等感は、外にある判断基準を取り込めば、
優越感に変わるだろう。
僕たちは、すでに共有している高評価のインデックスを、
指示し合っているにすぎない。
それは、誰にとっても、聞きかじりの、知ったかぶりの、
音楽的な雰囲気を漂わせただけの遊戯だろう。
僕は、aikoが分からない、
と言ってしまおう。
わけの分からないコード進行、
落ち着きのない主旋律の半音、
でも、結局は次に落ち着く音を探している。
個人的な表現が独善的で、そのくせパターンは少ないから、
何を聴いても同じに聴こえる。
どこがいいのか分からない。
村上春樹も分からない、
と言ってしまおう。
かっこつけているのが分かってしまう文章に、
しらけてしまう。
詩的な雰囲気を漂わせて、
技術的にもてあそんでいる感じが否めない。
話題になるから読んでしまうけど、
どこがいいのか分からない。
佐村河内守と新垣隆に教わったことは、
高い評価を得ていることがらに対して、
良さが分からない不安に耐えること。
王様は裸だとは言わないが、
だいじょうぶ、
2月の寒空の下、
かなりの薄着だと思っていい。


- 2014年02月15日 10:51 |
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ソーカル事件。
ニューヨーク大学物理学教授、アラン・ソーカルは、
著名な評論誌「ソーシャル・テキスト」に、
科学用語と数式をちりばめ、
意図的にでたらめを並べた疑似哲学論文を寄稿した。
疑似論文は1995年に受諾され、
翌96年、そのまま掲載された。
論文は高い評価を受け、
思想界から絶賛された。
聴覚障害、ヒロシマ、東日本大震災、
背景をまとわせたのは、佐村河内守だが、
それを売りに商売をしたのは、
NHKや、日本コロムビアや、
報道の権威、クラシックの権威だ。
僕たちは、
佐村河内守に騙されたのではない。
僕たちを騙したのは、
報道のプロ、クラシックのプロ、
プロの指揮者、プロの演奏家、プロの評論家だ。
ど素人にプロ集団がひっかき回されて、
今になって詐欺だとか、損害賠償だとか。
そんなのは、馬鹿というか、赤っ恥だと思う。
現代音楽の評論なんて、
音楽的な雰囲気を漂わせただけの遊戯だろう。
著者でさえ意味が分かっていない。
新垣隆が、適当に、取っ払いで作った曲なのに、
誰一人として見抜いた人はいなかったのなら。
96年、「ソーシャル・テキスト」誌の編集長は、
イグ・ノーベル賞を受賞した。
イグ・ノーベル賞は、
人々を笑わせ、
そして、考えさせる研究に対して与えられる。


- 2014年02月13日 13:25 |
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