tetsugaku poet
孤独感は、一人でいるときよりも、
二人でいるときに訪れる。
僕の孤独感と、誰かの孤独感は違うのかもしれない、
そう感じたときに現れる。
分かり合えない、
ということに気づかされる。
もとより、僕たちは、
分かり合えるようにはできていないということに。
分かり合えない、
ということについては、確かに分かり合える。
分かり合える、
ということは、分かり合えないことが前提だ。
二人デ居タレドマダ淋シ、
一人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
シンジツ一人ハ堪(た)ヘガタシ。
―― 他ト我、北原白秋
そんなふうに、この二人は、
分かり合えないどうしだろうか。
真実の孤独は、
ぴったりと分かり合える二人に訪れるのではないか。
分かり合える基準が、
限界まで上がってしまったから。
ほかの誰かとは、
分かり合えないことを知ってしまったから。
一人デ居タレドマダ淋シ、
二人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ一人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
シンジツ二人ハ堪(た)ヘガタシ。
誰かがいなくなるということは、
死ぬということは、
僕に、二人でいることの、
孤独の意味を教えて、
いなくなることで、
僕に、一人でいることの、
孤独を与えることにほかならない。
二人の反対語は、一人といえる。
二人デ居タレドマダ淋シ、
一人ニナツタラナホ淋シ、
シンジツ二人ハ遺瀬(やるせ)ナシ、
ジンジツ一人ハ堪(た)ヘガタシ。
孤独は反対語もまた、孤独だろう。
- 2015年05月28日 21:35 |
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きっと、僕は、
僕がおもしろいと思うことを、
おもしろがってくれる人を探している。
だから、なるべくなら自分を崩さずにいたい。
そのためには、正直であること、
それ以外に方法はない、と思っている。
逆に言えば、僕を正直でいさせてくれる、
そんな人を探している。
僕たちの日常は、
嘘を社交辞令に混ぜ込んで、
心にもないことを言い合っている。
内実がともなわないような、
空々しい受け答えを繰り返している。
うっかりすると、ネットでのやり取りでさえ、
社交辞令の応酬になってしまうが、
そんなのは、もうたくさんだろう。
それとも、多くの人たちは、
ネットにおいてでさえ、
そんな返答を望んでいるのか?
嘘をついていることを知りながら、
その場しのぎに相手をほめることは、
分かり合おうとする気持ちさえない、
ということだ。
事実からかけ離れた相手と、嘘つきの自分を、
その場かぎりで、仲良くさせよう、
ということだ。
相手も自分も、馬鹿にすることだ。
できることなら、
やむを得ず、不本意にほめるときでも、
嘘にならないようにしたい。
多義性を駆使して、詭弁を弄してでも、
なんとか嘘にならないようにほめたい。
自分に筋を通すことができなくて、
どうして他人に筋が通せる?
僕たちはネットで、誰のために何をしている?
負けるな、嘘をつくな、
弱い者をいじめるな、
小さい頃に、そんなふうに教わった。
カントの定言命法は、
嘘をつくな、ということだ。
なんとかして、嘘を回避して、
真実を語ろうとする意思が、
評価に値する、ということだ。
負けるな、嘘をつくな、
弱い者をいじめるな、
どれも、無条件に正しいと思う。
- 2015年05月25日 22:53 |
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会話は、基本的には、質問と返答、
問いと答えからなる。
問いと答えの間に生まれて、
笑いを引き起こすような、
なんらかの矛盾をボケと呼ぶ。
多くは、天然ボケではない。
矛盾を含ませること、
でも、支離滅裂ではないこと。
意表を突くこと、
突き過ぎないこと。
シュールで、非論理的なこと、
でも、困惑させないこと。
おもしろがってくれること。
それらには、変哲な意図がある。
生み出さないと生まれない。
自分を馬鹿に貶めて、
自分がおもしろいと思うことを、
おもしろがってもらえると信じて投げる。
しなくてもいいような面倒な試みには、
もてなしの気持ちが込められている。
駄洒落が寒い理由は、
この辺りにある。
おもしろくもないことを、
おもしろいと思っている人のもてなしは、
痛ましくて、笑い合えない。
ボケ倒すわけにもいかないが、
僕も、おもしろい返しは心がける。
そして、なるべくなら自分を崩さない。
きっと、僕は、僕がおもしろいと思うことを、
おもしろがってくれる人を探している。
相手がおもしろがってくれるかどうかは知らないが、
それを知るには、僕がおもしろいと思う問いを投げ、
おもしろいと思う返答を返すしか方法がない。
その多くは、不成功に終わることが、
運命づけられているにしても。
うまくいかないことのほうが多い。
きっと、くだらないと思われるほうが多い。
それでも、誰が悪いわけでもなく、
それで、ぜんぜん構わない。
それは、それで、仕方がないこと。
おもしろさを分かり合えることには失敗しても、
分かり合えなさを知ることについては、
成功したのだから。
- 2015年05月23日 22:01 |
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「正しい発音をひてくらはいっ!」
大きな声で言い切る。
いい返しだ、と思う。
馬鹿だな、と同時に、頭がいいな、と思う。
明快に、矛盾を含ませている。
聞こえますか?
「いいえ、聞こえませんっ!」
かぶせ気味に、
まじめな顔で言い切る。
馬鹿で、頭がいい。
当然、矛盾に気づいている。
そして、聞こえますか?
と問うときに、
相手に聞こえていなければ、
問うことじたいが成立しない。
加えて、話しかけることは、
あらかじめ、または同時に、
聞こえますか?
というメタメッセージを含んでいる。
つまり、わざわざ問うこともない。
そんな矛盾も、浮き上がらせている。
- 2015年05月18日 21:24 |
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嫌いなものごとは避ける、
嫌いな人とはつき合わない、
それ以外になにができる?
自分が変われば世界が変わるとでも?
なんて無力な発想だろう。
変われる人は、
たぶん、最初から自分なんて持っていない。
好きになることが、できないから嫌っている。
嫌いな人ともつき合うということは、
できないことをすることだ。
両親が作ったベースに、
テレビや、ラジオや、小説や、マンガや、
音楽や、映画や、出会った人たちや。
僕は、いくつものパラメータが引き渡されて、
幾重にも折り重なったなれの果てだ。
嫌いなものごとのために、嫌いな人たちのために、
譲り渡せるものなど、なにひとつない。
僕を作ってくれた、僕を支えてくれた人たちを、
僕は大切にしたい。
僕が嫌いな人たちよりも。
弱い立場の者に強く当たる人、
自分よりも悪い状況の者を見下す人、
他人を馬鹿にして笑いを取る人。
そんな優しくない人たち、
それらは優しさとは関係がない思っている人たち。
上か下か、強いか弱いか、勝つか負けるか、損か得か、
そんな物差しで他人を測るのが、
習い性になっている人たち。
それが大人で、それが世の中で、それが世渡りで、
それをコミュニケーションスキルと呼んでいる人たち。
思慮の浅いふるまいに、
嫌悪感を持ったなら、
対他的な道徳に従うだけの善行に、
嫌気がさしたなら、
見せかけの優しさを不快に感じたなら。
嫌いと思う感性を、鈍らせてはいけない。
その判断基準を、捨ててはいけない。
捨てても、ぜんぜん意味がないから。
おそらくは、僕がなにを嫌っているのか、
それさえも分かり合えることはないのだから。
嫌い、ってことは、
譲れない、ってことだ。
- 2015年05月16日 23:02 |
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嫌い、ってことに、
理由はあるのだろうか。
好き嫌いには、
いちおうの理由を挙げることはできる。
例えば、かわいいから、かわいくないから、
かっこいいから、かっこ悪いから。
しかし、それらは理由だろうか。
自分が、なにを、かわいいと思うのか、
かっこいいと思うのか、
その問いに答えることが理由になるのではないか。
つまり、かわいいから、かっこいいから、
それらは好きの言い換えに近い。
さらには、かわいいから嫌い、
かっこいいから嫌い、それらも成り立つ。
かわいくないから、かっこよくないから、
どちらでもないから、
それらは、好きでも嫌いでも、
どちらでも成り立つ。
おそらく、理由よりも、好き嫌いが先に立つ。
好き嫌いは、あらかじめ、
または、理由と同時に、
好き嫌いのフィールドに上がってきて、
理由は、遅れて、
または、好き嫌いと同時につけられる。
嫌い、ってことは、おそらく、
嫌い、ってことだ。
- 2015年05月15日 23:17 |
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流行りの歌でいえば、
aiko、コブクロ、椎名林檎、中島みゆき、森山直太朗、…
僕は、彼/彼女らの歌を嫌いに挙げる。
とりあえず、思いつくまま、反論は勘弁してほしい。
EXILEも、凛として時雨も、和田アキ子も、
嫌いには挙げない。
彼/彼女らについては、わざわざ嫌うまでもない。
これも、思いつくまま、とりあえず。
いきものがかり、GReeeeN、スガシカオ、西野カナ、福山雅治、…
彼/彼女らも嫌いには挙げない。
彼/彼女らについては、どうでもいい。
これも、適当に、思いつくまま。
では、嫌い、ってことは、
それを好きな人も多くて、
もしかしたら自分も好きになれる可能性を、
残しているものごとではないか?
だいたいのところはよくて、
少なくとも最悪ではなくて、
でも、どうにも嫌な感じを拭えない、
その加減が絶妙なものごとではないか?
嫌い、ってことは、
嫌う必要がある、ってことで、
どうでもいいことではなく、
嫌わなければいられない、ってことだ。
無視できない、ってことで、
捨てられない、ってことで、
嫌ってでも、認めなければしかたがない、
ってことだ。
嫌い、ってことは、
逃れられない、ってことで、
忘れられない、ってことで、
嫌う以外に道がない、ってことだ。
どこかに、ありもしない期待を持っていて、
―― 嫌いだから、それは認めたくはないけれど、
そして、また見事に期待を裏切ってくれる。
まだ、和田アキ子にも、福山雅治にも行けないものごと。
嫌い、ってことは、
いつだって、道の途中にある。
- 2015年05月12日 12:47 |
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嫌い、ってことは、
その上位概念については、
好き、ってことだ。
好きなものごとの中に含まれている、
嫌いな成分が許せない、ってことだ。
嫌いなソングライターがいる、ってことは、
流行りの歌が好き、ってことになる。
上位概念の、音楽が好き、
言葉が好き、ってことになる。
それらを求めて、アンテナを尖らせている。
音楽に関心のない人なら、
きっと特定の歌手を嫌わない。
どうでもいいことには、
好きにも嫌いにも心が動かない。
音楽になにかを期待することもない。
僕には、常に嫌いな人がいる。
僕は、いつも誰かを嫌って生きてきた。
それでも、僕は、人が好きで、
人の言葉が好きで、人のふるまいが好きで、
人と関わるのが好きだと言おう。
何度裏切られても、
僕は、人に期待する。
- 2015年05月11日 19:26 |
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嫌い、ってことは、
不快さと切り離せない。
嫌い、それじたいについて考える地平も、
なんだか不快で、ぐったり疲れる。
不快なことは、誰だって避けて通りたい。
嫌い、ってことは、
再び不快な思いをするのを避ける、
ってことだ。
嫌いなものごとについて、
考えるのはよくない。
せっかく避けて通ったのに、
なぜ立ち戻る?
嫌い、ってことは、
いつでも嫌いでなければならないからだろうか。
うっかりして、気を許したり、忘れたりすると、
再び不快な思いをさせられる。
嫌い、ってことは、
ぐるぐる回って逃げ道がない。
考えごとの覇者、
最強の称号を与えよう。
- 2015年05月10日 21:36 |
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僕には、常に嫌いな人がいる。
小学生の頃から、欠かしたことがない。
僕は、いつも誰かを嫌って生きてきた。
人は嫌ってもいい。
人が人を嫌うのは、当りまえのことだと思う。
そう思わないと、僕は生きづらくなる。
ほかの誰かがどう思っているのかは知らない。
お互いの自己申告では、比較にもならない。
僕は、悲しいくらいに自己中な在り方しかできない。
自分は自己中ではない、
そう思う者は、このページを閉じて退場を。
なにも分かり合える気がしないから。
どんな人が嫌いか?
かんたんに即答できる。
僕は、僕を不快にさせる人が嫌いだ。
つまり、僕は、
僕に嫌いという感情を抱かせた人を嫌う。
循環するが、感情とはそんなものだろう。
軽率で、無反省で、自分に甘いサザエさんも、
他人事なら眺めていられる。
僕は、カツオではない。
世界の中心は自分でない、
そう思う者は、このページを閉じて退場を。
そして、自分が思う中心に、戻ることをお勧めする。
- 2015年05月09日 20:14 |
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