tetsugaku poet
人と比較して、
鯨は世界を少し欠いている、
牛は大きく欠いている、
植物はまったく欠いている。
では、その欠如を測る物差し自体はどうだ?
人は何かを欠いてはいないのか?
それが分かれば、もはや欠いてはいないから、
何を欠いているのかは知ることができないが。
神は人を創造し、
そして、人は神を理解することができない。
人が神を理解するなら、同時に神の絶対的超越性が剥奪される。
人はもはやそれを、神とは呼ばない。
人には、理解することができないものがあり、
それに対する欠如がある。
無限への憧れがあり、絶対者への依存があり、
天国や彼岸、ここではないどこかがある。
それはそうだ。しかし、以前には、おれはそのことを知らなかった。
今は知っている。
(相変らず、自然な口調で)この世界は、今あるがままの姿では、
我慢のならぬものだ。
だからおれには月が必要だった、幸福といってもよい、
いや不死身の命か、それはおそらく気違いじみた物に違いないが、
とにかくこの世の物ではない何物かなのだ。
―― 『カリギュラ』
カリギュラは月を手に入れたかった。
彼には、この世のものではない何ものかが足りていない。
月は、僕たちの手が届かない場所にあることを示しながら、
僕たちを照らしている。
月は人に自らを求めさせ、
そして、人は月を手に入れることができなかった。
1969年、アポロ11号が、
静かの海に着船するまでは。
やがて、僕たちは、竹取物語にもジュール・ベルヌにも、
心を動かされることはなくなった。
1972年、アポロ16号がデカルト高原に着船する頃には、
月からは、欠如さえも失われた。
知ることができない、というときは、
知ることができないこと、
そんなことがあるということの、
了解を含む矛盾がある。
…… 動植物の生の本質は
消去方式の考察をするという意味においてのみ
接近通路可能なのであるというテーゼへと強いるのであるが、
このテーゼは決して、動植物の生は人間の現有と比べると
価値が低いとか下等だとかいうことを言うのではない。
むしろこの生は多分人間の世界が全く識らないような開(ひら)け有(う)の
或る種の豊かさを具えている一つの領野なのである。……
…… 人間の側から見ると
動物は世界に関して貧乏的であるというだけのことであって、
動物有(う)がそれ自身において世界欠如であるわけでもない。……
欠如は或る仕方で変容すると苦になるが、
もし世界欠如と貧乏有(ひんぼうう)とが動物の有に属しているとすれば、
動物の国全体と生の国とには苦しむことと苦とが
貫き通っていることになる。……
―― 『形而上学の根本諸概念』
知ることができないものは、
正しいかどうかも分からない。
もとより、正しさを確かめるすべがない。
だから、正しさは、どうでもいい。
その問いを、問うか問わないかだけが残される。
問いを、問いとすれば欠如が生まれる。
では、欠如とは、不足ではなく、
過剰を含む矛盾がある。
『カリギュラ』~『新潮社世界文学 カミュ 2』
/渡辺守章 訳、1969、新潮社
『形而上学の根本諸概念』~『ハイデッガー全集 第29/30巻』
/川原栄峰 訳、1998、創文社
- 2015年09月29日 10:14 |
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雌ウシZを殺す権利は、
ワシントンでも、バグダッドでも、
東京でも、平壌でも、友好的に一致できる。
友好とは、支配する側の謂いである。
ちなみに、平和も、支配する側の謂いである。
…… しかし、たとえば他の惑星からの訪問者のような
誰か第三者をこのゲームに登場させて、
神様がその者に「すべての他の星の生き物を支配すべし」
といったとしたらどうであろう。
創世記のもつ当然性というものが、急に問題となってくる。
火星人の車を引っぱるためにつながれた人間や、
あるいは銀河から来た生き物に串焼きにされた人間が、
自分の皿の上でよく切っていた子牛の骨付きあばら肉のことを
もしかして思い出し、牛に(遅かりしだが!)謝るかもしれない。
…… 一頭の若い雌牛がテレザに近寄ってきて、
立ち上り、長いこと彼女を大きな褐色の目で見つめていた。
テレザはこの牛を知っていた。
マルケータという名であった。
自分の牛に全部名をつけたかったが、できなかった。
あまりにも多すぎたからである。
かつて昔、もちろん四十年は前のことだが、
この村の牛はみんな名を持っていた。
(そして、名前は心の記号であるので、
牛はデカルトの考えに反して心を持っているといえる。)
しかし、そのあと村は大きな集団農場へと変わったので、
牛たちは一生を牛舎の二平方メートルですごした。
そのときから名前を失い、
あるのは“machinae animatae(機械動物)”になった。
世の中はデカルトが正しいことを証明したのである。
―― 『存在の耐えられない軽さ』
鯨を殺す権利については、敵対する。
鯨は利口だから、という理由らしい。
裏を返して、突き詰めれば、馬鹿は死んでもいい。
そして、鯨の屠殺場には、壁が作れない。
裏を返して、突き詰めれば、隠されていればいい。
If slaughterhouses had glass walls,
everyone would be vegetarian.
もし屠殺場の壁がガラス張りだったら、
誰もがベジタリアンになるだろう。
―― Paul McCartney
僕たちは、捕食をしない。
切り分けて売られている食材が、消化器官の始まりで、
温水で洗浄する便座が、その終わりになる。
僕たちは、牛の最期の表情も、声も知らない。
もぎ取られる果実の、抵抗感すら知らない。
知っているくせに。
それは、誰もが均しく抱く、苦しみや悲しみで、
世界はそれに包まれているのに、
僕たちは、本来の意志とは結びつかない意志を取り出し合う。
僕たちも、共に苦しんでいるのに。
『存在の耐えられない軽さ』/ミラン・クンデラ 著、千野栄一 訳、
1998、集英社文庫

- 2015年09月28日 20:34 |
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ところで、アウグスティヌスのいう「理性」は、
例えば、「暴力」にも代入が可能だ。
「暴力」と「支配」が、ほとんど同語反復になりそうだが、
同語反復も許されるだろう。
理性を持つ、持たないは、最初から価値評価を含んでいる。
暴力が理性になり上がったのはいつだろう。
このインフレの契機は、例えば、素朴に考えて、
食物連鎖の頂点に立ったとき。
加えて、獲物を分配することで、
ずいぶん理性的な見かけが揃ってくる。
対象は、海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うもの。
家畜、という変な括りがまん中に入っているが、
食うために飼うこと、それは、相当に理性的だ。
しかし、生命を消費するために、生命を生産すること、
支配の限りを尽くした者が、自らを理性的だと評価すること、
その圧政は、
なんだか、暴力的な気配がしてくる。
感情を持つためには、理性が必要だろうか?
もちろん、感情を表現するためには、
感情に対応して思考するためには、理性が必要だが。
苦しみ、悲しみ、恐怖や不安の感情を経験するためには、
どれほどの理性を必要とするのだろう。
ウシの自然な寿命は二〇年ないしそれ以上であるが、
四歳になってもはやこれまでの生産レベルを維持できなくなると
「処分」を運命づけられる。
輸送と出荷のあいだはまだ運がよい。
二日間、餌、水、休息を奪われ、突っついておどされるが、
叩かれることはない。
屠場ではブタと違って斜面路を一頭ずつ歩いていくことを許される。
残念ながら、訓練ゆきとどかない気絶装置の操作員は空気銃をうまく扱えない。
雌ウシZを四回も気絶させようとしたのに、
彼女はまだ立って大声で鳴いている。
しかし処理ラインは止まらないので、
彼女は頭上のレールにつり上げられ、「スティッカー」に運ばれる。
そこで喉が切り裂かれ、失血させられる。
出血しているあいだはまだ意識が残っており、
四肢切断と皮剥ぎのあいだもまだすぐに死ぬことはない。
(連邦政府の検査官は、
彼が配置されているところで何が起こっているかを知ることができない。
さらに、彼は早いスピードで次々に送られていく死体に
病気の兆候がないかどうか必死で確認するので手一杯である。)
雌ウシZの体は加工肉かハンバーガーに使われるだろう。
―― 『動物の権利』
彼女は牛、僕たちは人。
苦しむのは牛だから、という理由で、
牛の痛みや苦しみを軽視するのなら、
僕たちは、恣意的に過ぎるというべきだろう。
牛と人が違うことくらい、牛だって知っている。
つまり、牛と人は違うから、云々、
後に続く説明は、僕たちの創作にほかならない。
彼女と僕は、種が違う。
違うと言うときには、どうしたって違う。
この違いはなくならない。
違うから、という理由で取扱いに差異を設ける、
その見かけは一見、もっともらしい。
しかし、この思考回路は短絡だ。
差異の理由を差異に求めるのは、
何も言っていないのと変わらない。
なにより、違うことと同じこと、
その線引きは、常に僕たちの恣意にかかっている。
少し飛躍してみる
―― 大きく飛ぶ訳ではない。
70年前のよく晴れた夏の日と、曇り空の夏の日。
その日のHiroshima、Nagasakiの出来事は、
正当化する必要もなかったのではないか?
苦しむのはJapだから、
そんな了解があれば、
それでよかったのではないか?
彼/彼女らは、yellow monkey
―― 種が違うから。
そして、僕は、僕の発想が、
少しも正しくないことを願っている。
『動物の権利』/デヴィッド・ドゥグラツィア 著、戸田清 訳、
2003、岩波書店
- 2015年09月28日 11:26 |
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…… 精神という点で動物は貧しく、人間は豊かだ ……
貧困と富裕との差異は、程度差をもってはいない。
というのはまさに、本質の差異があるがゆえに、動物の世界は
―― さらに動物が世界という点で、したがって精神の点で
貧しいのだとすれば、動物の一世界、
したがって一つの精神的世界について語ることが
確かにできるはずだ ――
人間世界の一つの種、あるいは一つの度合ではないからだ。
…… 動物にとっての世界の欠如は、純粋なる無ではないが、
だからといって質の違う次元、
たとえば人間の次元におけるある充満へ、
あるいは非―欠如へと、均質な目盛の上で照合されるわけにはいかない。
―― 『精神について』
仮に、鯨は、
人よりも貧しい世界しかもっていないとしよう。
しかし、鯨は、持っていないという次元において、
人とは違う世界を持っている。
逆にいえば、人とは別の世界を持ち得るから、
人の世界を奪われている。
それでも、鯨が人とは違う世界を持っていても、
その世界は、その精神は、人よりも豊かとは思えない。
それは、人には、当然のことだ。
人は、人の物差ししか持っていない。
人の物差しは、人とは違うものを測れない。
人は、人の物差しを超えるものを測れない。
人の物差しで測ることができるものは、
結局は、欠如だけになる。
『精神について』/ジャック・デリダ 著、港道隆 訳、
1990、人文書院
- 2015年09月27日 12:37 |
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神は言われた。
『我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。
そして海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、
地を這うものすべてを支配させよう。』 ……
―― 『創世記』
わたしたちは「殺してはならない」という言葉 …… を、
灌木にも適用されるものとしては受けとらない。
それは、灌木には感覚がないからである。
また飛んだり、泳いだり、動きまわったり、這ったりする、
理性を持たない動物にも適用される言葉としても受けとらない。
それは、これらの動物は理性によって
わたしたちの仲間とはなっていないからである。
これらの動物には、
わたしたちと共通の理性を持つことが許されていないのである
(この理由で、創造主の完全に正しい秩序づけによって
これらの動物の生と死はわたしたちの用に従わしめられているのである)。
―― 『神の国』 1巻20章
すべての存在者は、
理性をもつか否かによって序列化される。
理性をもつ者は、理性をもたない者の上位に位置し、
上位に位置する者は、下位に位置する者を任意に利用し、
改良し、処分する権限を持つ。
ありていに言うと、
鯨は、牛は、馬は、鹿は、馬鹿ということだ。
人は豊かな理性を持つ。
鯨はそこそこの、牛は貧しい理性を持ち、
植物は理性を持たない、人はそう思っている。
理性を持つ者が、それをもたない者の上位に位置する、
混ぜ返すと、その発想自体が、
貧しい理性に固有のものかもしれないが、さておき。
では、人は鯨や牛の世界を、
花に鳴く鶯、水に棲む蛙、生きとし生けるものを、
語り尽くすことができるのか?
『聖書 新共同訳』
1992、日本聖書協会
『アウグスティヌス著作集 11』/赤木善光、泉治典、金子晴勇 訳、
1980、教文館
- 2015年09月27日 09:52 |
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飛行艇の格納庫に、プレゼントボックスの試作品が運び込まれた。
幅が3メートル、高さが1メートル、奥行きは1.5メートル。
25センチほどの正方形の板を組み合わせて作られている。
着色はされていない。喩えるなら、巨大な積み木のようだ。
「佐藤っ、いいよ、始めて」
三脚につけられたビデオカメラを作動させて、鳩山が侑に言った。
「こっちもいいよ」
麻生(あそう)は、手持ちのビデオで撮影している。
他にも大人たちが遠巻きに見ているから、子どもたちは落ちつかない。
「なんとなく、分かるよな?」
侑が、子どもたちに笑顔を向けた。
「うん、ロープを引くのは分かる」
うなずいて、安曇が言った。
正面のまん中、上のほうに小さな穴が開いていて、そこからロープが下がっている。
「ってか、引っ張るしか思いつかない」
洋が答えた。
「そらそやな」
「でもね、何人で引っ張るの?」
忠義が、侑に訊いた。
「おっ、いい質問」
鳩山が、忠義をほめた。
「麻生さん、今の、メモ取っといてよ」
「私、今、撮ってんだから無理だよ」
鳩山と麻生は、よく分からない会話をしている。
「まずは、洋だけで引いてみようか」
どれくらいの力がいるのか、侑にも分からない。
「ん、分かった」
洋がロープを引くと、側面の上の方から壁が崩れ始めた。
蝶番(ちょうつがい)でつながれた上下二枚の板の、上側が折れて半回転する。
次に、下側の板が壁から外れてばらばらと床に落ち、大きな音を立てた。
やがて背面も崩れ始め、支えを失った天板が、ふわりと降りてくる。
「お~っ」
「いいね~」
「おもしろ~。でも、びっくりして手が止まったよ~」
「迫力あるよね。カメラがぶれまくった」
「次は、二人でやってみようか」
鳩山が提案した。
「そうですね、そしたら、鳩山さんと僕で」
「佐藤、それ、違うと思う」
「やっぱり。安曇ちゃん手伝って。洋は忠義(たちゅ)と交替な」
安曇と忠義がロープを引くと、残った壁は次々に崩落し、最後に正面の壁が一気に壊れた。
ぱらぱらと拍手が鳴った。
「気持ちいいなぁ」
「いいね~」
「二人で引くほうがいいね」
麻生が言った。
「うん」
侑もそう思う。
「完成品は、ロープやなくてリボンになるでしょ?」
「リボンの端を、二人で一本ずつ引っ張るのがいい」
「二人で引くように仕向けるには」
侑は、洋を見ながら言った。
軍手か~。
「二本のリボンの端に、それぞれ、子どもサイズの作業用手袋をくっつける」
- 2015年09月26日 11:41 |
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駅のホームに、
首吊りのロープを設置する。
それだけで、
飛び込み自殺は確実に減る。
どうして、静かに独りで、
死んでくれないのか、
事故処理に当たる者たちは、
みんなそう思っていることだろう。
その思いを、
そのままかたちにすればいい。
課題が、「飛び込み自殺を減らす」なら、
自殺は減らさなくてもいい。
自殺を減らすのは、
鉄道事業者の課題ではない。
その発想を、
そのままかたちにすればいい。
文科省の課題は、「いじめの件数を減らす」、
厚労省の課題は、「自殺の件数を減らす」であり、
どちらも、目ざましい成果を上げている。
いじめや自殺を減らすのは、行政庁の課題ではない。
鉄道事業者は、
与えられた課題に気づくべきだ。
- 2015年09月26日 11:38 |
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自殺者が減っている。
5年前と比べて、6,263人減少した。
2010年、031,690人
2011年、030,651人
2012年、027,858人
2013年、027,283人
2014年、025,427人
警察庁の死体取扱状況は、
5年前と比べて、4,672体減少した。
2010年、171,025体
2011年、173,735体
2012年、173,833体
2013年、169,047体
2014年、166,353体
死体取扱の減少と比べて、
自殺者の減少が著しい。
つまり、5年前と比べて、
事故や犯罪が増える傾向か。
それはそれで問題だろう。
では、自殺者が減り続けることを、
疑問に思ったほうがいい。
うつ病は、増加の一途を辿っている。
変死体の数は、
5年前と比べて、増えている。
2009年、015,731体
2010年、018,383体
2011年、020,701体
2012年、022,722体
2013年、020,339体
2014年、
その他の異状死体(犯罪死体・変死体以外の死体)の数は、
5年前と比べて、変わらない。
2009年、144,316体
2010年、151,808体
2011年、152,299体
2012年、150,377体
2013年、148,194体
2014年、
自殺者が減って、変死体が増える。
つまりは、警察が機能していないだけ、
と思えるが、そうではないらしい。
内閣府は、自殺者の減少について、
09年から地域ごとにきめ細かい対策を行えるよう財政支援した効果が表れた、
と説明している。
- 2015年09月24日 22:21 |
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未来は、一点透視の消失点から立ち上がり、
未来の可能性を過去の事実に変えて、
先頭車両はひたすら走り続ける。
走り続けることで、
先頭は、先頭になる。
止まれば、もはや先頭ではない。
走り続けることで、
先頭が感じているこの瞬間という体験は、
先頭自らに存在する全体性にほかならない。
僕たちは、瞬間から離れることはできない。
僕たちが意識を持つのは、
今の一瞬に局限されている。
僕たちを今に閉じ込めるために、
最も邪魔になるものは、
今、飛び移ったばかりの過去だろう。
今の一瞬前の過去は、
そして一瞬後から観た今は、
跡形もなく破壊されている。
打ち寄せる波は、
どこかに保存されている訳もなく、
次々に生起し、また砕け散る。
瞬間はそれ自体、次の瞬間に移すことができるのか。
それとも、瞬間は毎瞬に分断され、
次の瞬間とは絶縁されているのだろうか。
瞬間は、連続か、非連続か。
瞬間は、持続の虚偽の区切りか、
持続は、瞬間の虚偽の集合か。
存在は、時間と空間の結合点にある。
瞬間は、時間と空間を保証する。
持続は、そのどちらをも留保しているのに対して。
僕は、生まれたての次の瞬間を見出して、
その瞬間が死を迎えるまで留まっている。
僕は瞬間を離れ、次の瞬間に生まれる。
宇宙は一瞬に生まれ、一瞬に死ぬ。
アナウンスが聞こえる。
「白線の内側にお下がりください」
先頭車両が、駆け抜ける。
間違えてはならない。
飛び移る先は、そこではない。
- 2015年09月22日 16:14 |
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「いや~、後悔してるわ~」
「え~、どうして?」
「なんでもっと早く、花さんと仲良くならへんかったんやろ」
「そっちかよ」
「あ、侑さん。今は、だめだよ」
「うん、花さんの彼氏が来てるもん」
「なにそれ! うそっ!」
「うん、うそ」
「へ?」
「だから、うそだよ」
「なぁ、疲れてんだから」
「侑さん、お疲れっ」
「確かめてないの?」
「なにを?」
「つき合ってる人がいるとか、いないとか」
「まぁ、それは、うん」
「そこ、大事だよね」
「重要だよ」
「最重要だよ」
「三人で畳みかけんなよ」
「みんな、頑丈なもんは作れるけど」
「壊れやすい箱って、誰も考えたことがないかも」
「うん。内閣官房が、設計事務所とか、木工所とか集めてたわ」
「へ~」
「箱を作るだけやのに。秘書官と、折り紙作家とか、数学者とか、宮大工もいてたで」
「話がまとまるの? そんなメンバーで」
「ハリウッドのスタジオとか、フランスのおもちゃメーカーにも声をかけたらしいわ」
「言葉まで通じないよ。もうCGでよくない?」
「結局、寄木細工(よせぎざいく)の職人が模型を作って、木工所に発注することになった」
「変わった人が集まったわりには、ふつうっぽいね。箱は、ばらばらになるの?」
「紐を引っ張ると、内側のピンが順番に抜けていくギミックで」
「うん」
「くるっ、ぱたん、がらがら、くるっ、ぱたん、がらがら、ちゅう感じ」
「わかんないよ~」
「コンテナの壁が、百五十枚くらいの正方形の板に分かれて落下する感じ」
「すごい。見ごたえありそう」
「天板は、発泡スチロールが緩く組み合わさってて、はらりと落ちる」
「あ、いいね~。侑さんはなにか意見とか出したの?」
「ないない。クジラに載せるために、底の形状に注文をつけただけ」
「うまく行くといいね」
「でき上がってから、実験してみんと分からんわ」
「箱は色を塗ったりするの?」
「それそれ、色がな~、赤ちゅうかオレンジちゅうか、東京タワーみたいな赤になるみたい」
「そうなの?」
「なんか、もう決まってるっぽい。プレゼントのラッピングて、赤がふつうなんやろか」
「どうかな」
「日本的でええねんけど、放射性廃棄物のコンテナと同じ色やで」
「そこは気にしない」
「うん。宮大工は、漆(うるし)で顔料を溶いて塗りたがってた。神社の鳥居やないねんから」
「こだわるところが違うね~」
「あの人に任せたら、丈夫で長持ちする箱を作ってしまいそうやわ」
破壊させるために、届けられる物がある。
自らを破壊してみせることを、目的に含んでいる物がある。
物にも、それぞれに、事情がある。
- 2015年09月21日 19:43 |
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