それは、90年も前のこと。
fuckingな宗教批判といえば、
アントナン・アルトー。
彼は、血と精液と糞便が大好きだ。
……
過去十万年来、ヨーロッパでは百の戦争が過ぎ去った。そのことにヨーロッパはラサ(チベットの首都)で気がついたのだ。
御身らの僧侶たちの、いったいだれが、そこで、性的快楽を失ったろう、一回の食事すら失ってはいないのだ。
御身らこそが、戦争と平和の作り手。
しかし、御身らの穀物倉に蓄えられた阿片、ヘロイン、モルヒネ、ハシッシュ、甘松、麝香、その他くさぐさの毒物、
身体としてのこの私が眼にしたそれらの毒物は、いつも定量ずつ割当てられ、
汚され、いためつけられ、無毒化されたものでしかなかったが、
そういう御身らの穀物倉は、あそこラサでは、ただの一粒たりと失いはしなかったし、
阿片もその力を失いはしなかった。
こんがり炙った御身らの最後の罌栗、その種子もあまり流れださぬうちに、
御身らは私に会うだろう。
――“Adresse au Dalaï-Lama、ダライ=ラマへの上奏文”/Antonin Artaud
一、私は洗礼を受けたことを否認する。
二、私はキリストの名前の上に糞をたれる。
三、私は神の十字架の上で手淫をする(しかし、ピオ十二世よ、手淫はかつて私の習慣になかったし、こんご私の習慣となることもけっしてあるまい。おそらく貴殿は私のことを理解しはじめているはずだ)。
四、ゴルゴダで磔刑に処せられたのは、私なのだ(イエス=キリストではない)、そして私が磔刑に処せられたのは、立ち上って神とそのキリストとに抗議したためなのだ。
なぜなら私は一箇の人間であり、
そして神とそのキリストとは観念にすぎないからだ。
しかもその観念たるや、人間の手の汚らわしい印しがついている。
あれらの観念は私にとっては、かつて存在したことがない。
……
――“Adredde au Pape、ローマ教皇への上奏文”/Antonin Artaud
fuckingと言うためには、
言う側も、きれいなままではいられない。
自らをfuckingに貶めて、
対象を引きずり落とさなければ。
馬鹿にされた仏教徒もキリスト教徒も、
まったく意には介さずに、
それでも、引きずり下ろされたふりをして、
下品に応えてやるのが礼儀だと思う。
So fuckin' what?

『神経の秤・冥府の臍』/アントナン・アルトー 著、清水徹 訳、
1977、現代思潮社
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2016年01月30日 20:51 |
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I've walked this earth and watched people
I can be sincere and say I like them
You can't say no to hope,
can't say no to happiness
I want to go on a mountain-top
with a radio and good batteries
play a joyous tune
and free the human race from suffering
I'm no fucking buddhist
but this is enlightenment
The less room you give me,
the more space I've got
This is an alarm-call
so wake-up wake-up now
Today has never happened
and it doesn't frighten me
――“alarm call”/Björk
それは、20年も前のこと。
ビョークは、愉しい音楽で、
人類を苦しみから解き放つと歌った。
解放されるのは、人類のうちでも、
彼女の歌が届くような、
幸福な人たちに限られるとしても。
「on a mountain-top」で思いつくのは、
マタイ5章「the Sermon on the Mount/山上の説教」、
そして、「The less room you give me」は、
マタイ7章「the narrow gate/狭い門」、あるいは、
ルカ13章「in through the narrow door/狭い戸口」、
それらに係るのだろう。
ビョークによって、
キリスト教はそれとなく、
仏教はあからさまに揶揄される。
仏教は、ただ馬鹿にされるために、
引き合いに出されたようだ。
何を指してfuckingなのかも示されないままに。
仏教は、原理主義者による押しつけもなく、
宗教裁判も、魔女裁判もなく、
劣化ウラン弾やクラスター爆弾も伴わない。
それゆえ、彼女は無警戒に無批判に、
仏教を誹謗することができた。
イスラム教に対して、fuckingと言えるか?
馬鹿にされた仏教徒は、
もちろん、意には介さない。
彼女が演じた「Dancer in the Dark」の、
「Selma/セルマ」のような笑みを浮かべて、
どうでもいいという気分で、
応えてやるのが礼儀だと思う。
So fuckin' what?

『alarm call』、album『Homogenic』/Björk、
1997、Universal
『聖書 新共同訳 和英対照』、
1997、1992、日本聖書協会
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2016年01月30日 20:46 |
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