シャンプーのときに目を閉じていたら、
背中が怖いでしょう。
でも、目を開けていて、
鏡に何かが映ったらもっと怖いでしょう。
でも、目を閉じていて、
髪を洗っている手が1本多いような気がしたら、
目を開けられなくなってしまいます。
僕には逃げ道がありません。
どうすればいいですか?
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- 2016年04月30日 12:44 |
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取り立てて、書きたいことなんてないけれど。
何かにかこつけて、
言葉と戯れてみたくなる。
この3行を読み返して気づく。
僕は、不合理な書き手で、
散漫な読み手と言わざるを得ない。
書きたいことなんてない、
としても、それを書いた以上は、
書きたいことがあったと認めざるを得ない。
取り立てて、
などと事前に軽く断りを入れて、
矛盾を回避しようとする根性がケチくさい。
しかし、確かに、
書きたいことなんてない、
と思ったのは僕であり、
書きたいことなんてない、
と書いたのも僕であり、
そこに矛盾を感じているのも僕だが、
それらは、すべて、僕が、
書きたいことなんてない、
と書いたから発生したことである。
書きたいことも、
書きたくないことも、
書かれる前には、僕にはなかった。
それなのに、書きたいことなんてない、
などと書いてしまうのは、
支離滅裂としか言いようがないが、
最初の読み手である僕は、
それを見過ごしている。
それは、きっと、言葉と戯れてみるために。
いずれにしても、僕が書きたかったことは、
僕によって追認されて、
僕が書きたかったことになる。
そんなふうに、
取り立てて、書きたいことなんてないけれど。
何かにかこつけて、
言葉と戯れてみたくなる。

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- 2016年04月28日 20:24 |
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笑いの成分のほとんどが、
他人を馬鹿にすることで構成されている、
そんな人は確かにいる。
逆に、きれいで、つるつるしていて、
愚かで汚い不純物には、
まるで取っ掛かりがない人もいる。
どちらも、僕には、
笑わせることが難しい。
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- 2016年04月28日 13:58 |
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他人の気持ちを考えることは大切で、
その理由は、
他人の気持ちが分かれば、
ものごとを自分に有利に進めることができるから、
ってことらしい。
大切なものは、目に見えない、
そう言いたがる人の多くは、
目に見える価値に囲まれて暮らしていて、
それに飽き足らずに、
目に見えない価値まで欲しがっているらしい。
僕は、言葉に簡単に置き換えられるような、
結論が欲しいわけではない。
僕が苦手にしている人たちと、
僕は、絶望的に分かり合えないだろう。
結論を同じくするゆえに。
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- 2016年04月25日 21:14 |
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これと言って、書きたいことなんてないけれど。
何かにかこつけて、
言葉と戯れてみたくなる。
ここまでの3行で、リズムが決まった。
「これと言って」から始まった文章を、
僕は、「取り立てて」に変えようと思いつく。
宛名が決まりかけている。
文章には、宛名があり、
届けたい人に贈られる。
ここまでの9行を読んで、
おもしろくない、と判断する読み手の宛名は、
13行目からは消え失せる。
抽象的な空間が開けてきた。
僕は、先を読みたいと思う読み手と、
信頼関係を結ぼうとしている。
ここまで我慢して読み進めても、
くだらない、と捨て台詞を放って立ち去らない人が、
まだ、どれくらい残っているのだろうか。
ブログでのテキストコミュニケーションは、
なんて楽ちんなのだろう。
分かってくれない人をふるいにかける。
書き進めれば、書き進めるほど、
分かってくれる人だけが残される。
話し言葉による対面コミュニケーションでは、
分かってもらえないことの多さに疲れる。
分かってもらえないのがデフォと言ってもいい。
問題を共有することさえ難しい。
伝わる気がしない人には、
誰だって心を開けないが、
分かってもらえない、
僕がそう嘆いても、
相手の捨て台詞のほうが正当だ。
くだらない、
なぜ分かってやらなければならないのか。

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- 2016年04月25日 15:27 |
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前を歩く人の、
てのひらが見えるときがあります。
水鳥が水を掻くように、
手首をひらひらさせています。
とても気になります。
なぜ急に立ち止まって方向転換をしたり、
いきなり腕を伸ばして指差したり、
何度も後ろを振り返ったりするのでしょうか。
それらは、同じ人が、
無反省に繰り返していると思うのです。
僕は、手の振り幅は小さいほうですが、
必要以上に手を振って歩く人がいます。
やましいことも、後ろめたいことも、
くよくよ考えることもなさそうで、
分かり合える気がしません。
手を軽く握って、
手首を外側に曲げて歩く女子は、
その努力に敬服します。
萌え袖は見飽きました。
極度の内股は不気味です。
ところで、僕は、
何も持たないで歩くときに、
手の振り方が分からなくなってしまいますが、
どうすればいいですか?
どうすれば思い出せますか?

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- 2016年04月23日 22:52 |
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同じ顔の、同じ目つきの、
同じ体型のクルマが、
同じ服を着て走っていることくらい、
みんな知っていて、
それを、つまらない、なんて言うけれど。
つまらなくても、利口な人なら、
こんなクルマを選んでしまうほどには、
馬鹿のフラグが立つことはない。
実際に馬鹿ができる人は、
並みの馬鹿ではないと思う。

すでに出来上がった枠組みの中で、
優劣をつけるのなら、
古いものは必ず劣る。
でも、炊飯器よりも、
鍋で炊くご飯が、僕には美味しい。
昔は良かった、ということではなく、
今でも、鍋で炊いたほうが美味いのだ。
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- 2016年04月22日 22:14 |
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難しいのは、考えることではない。
考えることなんて、
実は、ぜんぜん簡単なこと。
難しいのは、説明できないことを、
無理にでも説明しようとして働く自らの知性を、
自らの知性で抑え込むこと。
知らないことに耐えること。
知らないということを発見し、
答がない問いに耐え続ける力。
語り得ないものは、語り得ないままに、
空白は空白、懸隔は懸隔、
秘密は秘密、そのままに。
それが、神のクエスト。
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- 2016年04月11日 22:24 |
- 神
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