02、おもしろい人は、
02、誰もが思いつくことを言わない。
誰もが思いつくことを、
思いつかない、ということではなく、
当然に思いついて、
でも、表現することを許容しない、
ということである。
平凡で、当たり障りのない会話は、
会話の忌避にほかならない。
たぶん相手も、そんな会話を望んでいないし、
そんな会話を望んでいない人を、
僕も相手にしたい。
仲良くなるということは、
きっとそういうことだ。
おもしろさ、とは外し方だと思う。
予想がつく言葉では笑えない。
言葉の限界で人は笑い、人は泣く。
だから、おもしろい人は、
平凡な人であることが求められる。
誰もが思いつくことを知っていなければ、
自らの考えの外れ方を量ることができない。
常識は、しっかり見据えている。
03、おもしろい人は、
03、極めて常識的な人である。
04、おもしろい人は、
04、何がおもしろいのかを、
04、お互いに知っている人たちの一人である。
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- 2016年06月27日 12:21 |
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01、おもしろい人は、
僕にとってのおもしろい人であり、
01、誰にとってもおもしろい人ではない。
誰にとってもおもしろいことなど、
おもしろいわけがない。
だから、誰にとってもおもしろい、
そんな人はいない。
以上、と書いて、結論にしてもいい。
nは0、または、nはnのまま、
あるいは、nは∞(無限大)になる。
おもしろさは、与えられるものではなく、
―― その意味で、nは0である。――
自らにとってのおもしろさを、
見つける努力と別のことではあり得ない。
―― nはnのまま、あるいは、∞である。――
なので、以下の記述は、
僕にとってのおもしろい人の特徴になる。
02、おもしろい人は、
02、誰もが思いつくことを言わない。
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- 2016年06月26日 19:41 |
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3、行動がワンパターン
4、優等生タイプでまじめ
5、無趣味で話題が少ない
そんな表面的なもの差しで、
つまらなさを測れると思っている、
その単純さを何と呼ぶ?
つまらない人の残念な特徴5個、
典型的なパターンに倣った表題の、
その安易さを何と呼ぶ?
優等生はまじめでつまらない、
などと、今さら誰も言わないような、
その凡庸さを何と呼ぶ?
趣味がなくてつまらない、
話題が少なくてつまらない、
その当然さを何と呼ぶ?
僕なら、つまらない、
と呼んでやりたくなるが、
そんな考えを巡らせている時点で、
僕は、つまらない人なのだろう。
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- 2016年06月24日 20:51 |
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1、常にテンションが低く、冷めている
感情の起伏のことか?
だったら、フラットなほうがよくないか?
なにかと騒ぎ立てる人よりも、
冷静な人のほうがよくないか?
それは、つまらない人というよりは、
思慮が深い人の特徴ではないのか?
考える人は、つまらない人なのか?
テンションが高くて、熱い人は、
思慮が浅くて、馬鹿にされないか?
他人を馬鹿にすることと、
おもしろいことが同義になる人には、
おもしろいと捉えられるのだろうか?
それとも、学生みたいにはしゃいでみせるのが、
おもしろい人の要件か?
などと、考えを巡らせている時点で、
僕は、つまらない人ということか?
疑問だらけで、次に移ると、
2、皮肉屋で、ものごとを斜めから見ようとする
が待ち受ける。
いろんな角度から、ものごとを見ようとするのは、
つまらない人の特徴か?
自分が見る角度のほかは、斜めなのか?
自分に沿わない意見は、皮肉なのか?
自分の枠に収まらないのが他人というものだ。
自分の枠に収まってしまうのなら、
自分と出会っているのと同じだろう?
しかし、そんなことではなく、
どんな人をつまらない人と呼んでいるか、
ってことくらい、僕にも分かっている。
みんなに合わせろ、って言いたいことくらい、
僕にも分かっている。
みんなと同じように考えろ、
つまり、考えるな、ということだ。
みんなに同調しない人を、
つまらないと呼んで排除する。
たぶん、それだけのことに違いない。
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- 2016年06月24日 20:48 |
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何でも知っているのに、
つまらない人がいる。
その逆の人もいる。
そんなことを考えながら、
検索窓に「つまらない人」を入れたら、
Googleは、こんなのを見つけてきた。
つまらない人の残念な特徴5個、
1、常にテンションが低く、冷めている
2、皮肉屋で、ものごとを斜めから見ようとする
3、行動がワンパターン
4、優等生タイプでまじめ
5、無趣味で話題が少ない
って、嘘だろう?
ひとつ残らず、僕に当てはまる。
僕がつまらない人なのは、どうでもいい。
誰かに、つまらないと思われても、
おもしろいと思われても、
僕のつまらなさも、おもしろさも、
増えも減りもしないから、
そんなのはいい。
僕は、つまらない人が好きで、
つまらない人をおもしろい人と思い込んでいた、
それには、なんだか違うと言ってみたくなる。
世の中は、そうなっているのか、
などと、驚いたふりをして、
つまらない僕から、言い訳をしてみる。
どんな言い訳をしてみても、
おもしろくない、と言われそうなのが悲しいけれど。
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- 2016年06月23日 19:21 |
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誰かの目に留まることも、
認められることもなく、
経済的な利益も生まなかった。
それでも創作をやめることができなかった。
芸術的な確信のようなものは、
持ちようもなかったと思う。
才能なんてあるわけがないのに、
どうしようもなく表現してしまった。
だったら、僕にも、
少しくらいは、ゴッホの気持ちが分かる。
僕は、教養に同意するのではなく、
ゴッホの心に同意する。

僕がブログを書き始めて、
もう何年になるのだろう。
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- 2016年06月21日 12:53 |
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―― 他人の気持ちが分からないのか?
心の貧しい人だ。――
そんな捨て台詞は、いつだって有効な反論になる。
僕を一気に疲れさせる。
言葉が通じないことを思い知らされて、
話題が打ち切られるから。
同情を寄せるのが、温かい人なのだろうか。
他人を哀れむことで、
自らを優しい人に仕向けるのが、
温かいということか。
苦しいから描く、苦しくなくても描く、
楽しいから描く、楽しくなくても描く、
上手に描けなくても、才能がなくても、
認められなくても描く。
そんなふうに、あらゆる対立を越えて描く人に、
もっともらしい気持ちが必要だろうか。
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- 2016年06月20日 12:22 |
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―― そんな理屈は、聞いたことがない。
教養がない人は、これだから困る。――
教養と呼ぶもの、
心の豊かさ、ものごとに対する理解力、
その担い手は、教養を信じることもなく、
それを疑うこともない、普通の人々だろう。
ニーチェっぽくいえば、畜群、
オルテガっぽくいえば、大衆。
明治や大正なら、特別なものだった教養は、
総中流の昭和を経て、みんなの所与になった。
ゴッホの絵は、価値があるに決まっている。
決まっているものは、考えても仕方がないし、
価値を疑っても意味がないものなら、
価値を信じる意味もない。
みんなの言葉でしか語れないくせに、
みんなの考えを自分の考えだと思っている。
僕には、正しい教養を教えてくれなくてもいい。
せめて構わないでいてほしい。
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- 2016年06月19日 22:54 |
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ゴッホの絵を観て、何を思うか。
僕なら、何も思わないけれど。
下手だと思うほかには、
僕には、うまく言語化できない。
多くの人たちも、
別に何とも思っていないから、
孤独や不安を検索軸に置いて、
気のきいたフレーズを探すのではないか。
心の不安を映し出す渦巻き、
感性を揺さぶる描線と色彩、
などと教養に支持されて答えれば、
ゴッホの心に同意したことになるのだろう。
ただし、ゴッホは、
自らの何らかの感情を、
絵という形に留めたとは限らない。
もしも、何の感情も込めずに描いたのなら、
別に何とも思わないことが、
ゴッホの心に同意する。
―― そんな理屈は、聞いたことがない。
教養がない人は、これだから困る。――
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- 2016年06月14日 20:38 |
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教養、って、
なんだか、いやな言葉で、
僕なら、ほめ言葉としては使わない。
使いみちがあるとしたなら、
スノッブを茶化すときくらいだろうか。
もちろん、使われたくもない。
幸いなことに、使われた憶えがないから、
僕に教養がないことは、
認めざるを得ないとして。
でも、そんな教養ならいらない、
って思える教養があると思う。
つまらない教養があると思う。
例えば、ゴッホの絵も、
ベートーヴェンの交響曲も、
名作と呼ばれる古典文学の数々も。
それらは、人々の批判に堪え、
価値があるものとして、
揺るぎない評価が定まっている。
自分の外側に教養がある。
正しさ保証する裏書きと、
同意する署名の束がある。
知識を積み重ねることで、
正しく絵を観たことになる、
正しく音楽を聴いたことになるが、
自分の内側は同意しているのか。
同意した上で、名を連ねるのか。
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- 2016年06月13日 20:51 |
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