心がきれいな人なら、
きれいに見える。
相田みつをの書の不思議な効果は、
サンリオのキャラクター、
ハローキティによって結実する。
この幼稚さ加減は、
とても落ち着きがいい。
わざと下手くそに書いて、
気に入られようとしていた字にも、
確かな意図が与えられる。

きれいに見えるなら、
心がきれいな人だ。
心がきれいな人は、
ポエムとキャラクターが好きだ、
どうせなら、そこまで短絡してもいい。
理由は考えなくてもいい、
そう感じればいい。
考えない人は、なぜか、
考えることと感じることを対立させる。
考えてもだめだよ、感じなきゃ、って。
頭はよくても、心がね、って。
安っぽい詠嘆、みせかけの純朴さと、貧相な抒情、傲慢なへりくだり、
嘘の弁解、名声への執着、悟り自慢といった虚飾の匂いがする。
曲がりくねった文字も嫌いだ。
これは私の生理的反応である。
―― 「魔がさす年頃」/嵐山光三郎 著、2012、新講社
心が汚れている人には、
相田みつをの書は、こんなふうに見える。
でも、そんな反応も、
嵐山光三郎が陥っている、
反応のパターンの傾向に過ぎない。
結局は、好き嫌いに過ぎない。
好きと感じて肯定するのと同様に、
嫌いと感じて否定しているだけである。
誰もが感じているような、
悪口を並べているだけで、
何かを考えたわけではないだろう。
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- 2016年08月29日 21:46 |
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「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」
僕は、魔法を信じないから、
「見る人の心を映し出す鏡のような効果がある」、
そう読み変えて、因数分解する。
「不思議な効果」は、いったん切り離す。
単純な構成要素に帰着させると、
肯定的に見る人に肯定されている、
否定的に見る人に否定されている。
肯定する人に好まれている、
否定する人に好まれていない。
そんな、不思議な効果がある。

「ひとつひとつかたずけてゆくんだね
具体的にね」、
その通りに僕は、
相田みつをと相田一人を片付ける。
具体的に片付ける。
ちなみに、「片付ける」は、「ず」ではない。
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- 2016年08月28日 16:21 |
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「相田みつをの作品は癒されるとよく言われる。
だが、必ずしも癒しではない」
相田みつをの長男で、美術館の館長、相田一人は言う。
「見る人の心を映し出す鏡のような、
不思議な効果がある」

相田みつをの詩を読んで、
傷つけられる感受性もあることを、
相田一人には、分かってほしい。
そんな人は心が汚い、と言われれば、
その通りなのかもしれないけれど。
僕だって、自分の心が、
きれいだはと思っていない。
僕は、自分のことがよく分からず、
自分の心が美しいか、汚いかなんて、
確信できた例(ためし)がない。
相田みつをの詩を読んで、
そのまま受け取れる人は、
自分のことが分かっていて、
自分の心の美しさを、
了解している人である。
その美しさが、僕を傷つける。
僕は、美しさも、汚さも、
どうしても自信が持てないまま、
言葉を探して、悪あがきをしている。
そんな薄汚れた心を、
分かってもらえるだろうか。
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- 2016年08月26日 12:14 |
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僕たちは、日々、様々な体験をするけれど。
身につかないことは忘れてしまって、
身についたことを記憶に留める。
記憶しているということが、
身についたということであり、
身についたことを体験と呼ぶ。
相田みつをは何も考えていない。
だから、順序が入れ替わっている。
僕たちは、様々な体験の中から、
身についたことだけを取り上げて、
体験を再定義する。
体験したから身についたのではない。
すべての体験が身につくわけではない。
身についたのは、思考を巡らせたからである。
経験ということは、
たしかに人間には必要だと思うのですが、
どんなに経験しても、
人間というものはその経験を想像力のなかで造形できなかったら
経験にならないわけです。
―― 「反劇的人間」/安部公房 著、1979、中公文庫
どんな体験をしても、まだ言葉が与えられていないうちは、
体験は身につかない。
だから、体験にとって最も邪魔になるのは、
考えないことである。
考えた形跡がないということは、自らの体験に基づいて、
語れていないということだ。
相田みつをの書は、思考停止の呪文だ。
体験は、体験のままでは、体験にならない。
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- 2016年08月23日 22:53 |
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その通り、としか言いようがない。
きっと誰もが、その通りと思う。
だから、たぶん間違いではない。

間違いがあるとすれば、
その地点で思考を停止して、
作品に仕立てることにある。
体験して初めて身につく、
そんなのは、感想に過ぎない。
思考は、まだ始まってもいない。
相田みつをの書は、
ひとつ残らず、頭を使わせない。
何も考えずに分かった気分にさせる、
思考停止の呪文だ。
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- 2016年08月22日 23:01 |
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人間のすること、思うことを、
「にんげんだもの」という理由で正当化できるのは、
考えない人間だけである。
端的に言って、馬鹿だと思う。

人間は躓(つまづ)く。
その理由を、人間であることに求めて正当化する。
「つまづいたっていいじゃないか
にんげんだもの」
人間は嘘をつく。
その理由を、人間であることに求めれば正当化できる。
嘘をついたっていいじゃないか、
人間だもの。
人間は偽る、人間は裏切る、人間は騙す、
汚す、壊す、盗む、脅す、惑わせる、拐(かどわ)かす、
人間は追い込む、人間は傷つける、人間は殺す、
人間だもの。
人間だったら、開き直るな。
人間だったら、考えろ。
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- 2016年08月21日 20:22 |
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人間だったら、考えろ。
日が暮れても、考え続けろ。
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- 2016年08月21日 20:21 |
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