tetsugaku poet

qinggengcai

好き、について 12/xx


すべての音楽の中に、
いくつかの、僕の好きな音楽がある。
        すべての、とか、いくつかの、とかは、
        量を表現している。
すべての音楽も、僕の好きな音楽も、
量化表現されるものだ。


すべて、といっても、
たいした量ではない。
        すべての音楽、とは、
        僕が知る限りのすべての音楽であり、
僕が知らない音楽は、
僕には、存在しないのと同じである。
        音楽は、存在するから、
        僕に知られているのではなく、
僕に知られているから、
存在することになる。



    140103b.jpg

大量の音楽を聴けば、
大量の分節を持つ。
        その中から選ばれた音楽は、
        とびきりの、好き、になるはずだ。
その一方で、思うのは、
好きになれない音楽の多さ。
        もしも、僕が知っている音楽が、
        100曲だけだったら、
僕は、そのすべての音楽を、
好きになれたのかもしれない。


好き、というのは、
きっと、いくつかの、
        好きになれたのかもしれないものごとを、
        嫌うことである。



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  1. 2016年09月27日 23:08 |
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好き、について 11/xx


好き、とは、
分節と生成の傾向性である。
分節化されなければ、
好きも嫌いもない。
        分節の後、やがて生成が行われる。
        切り分けられた後は、

        なんらかの類似性で、再び括られる。


しかし、僕の好きな音楽は、
いつまで経っても、分散したままで、
それぞれが結びつこうとしない。
好き、という括りでしか括れない。
        重なり合う積集合の中は、
        結局、好き、だけしか見つからない。

        では、生成、って何だ?


好き嫌いという分節化の後で、
好き嫌い自体を変容させるのが、
生成ではないだろうか。
好きなものごと、とは、
自分の、好き、という判断基準を、
変えさせるものではないか。

僕の、ある基準によって、
好き嫌いに分けられるのではなく、
好き嫌いによって、
新たな基準が上書きされる。
        かつての基準が、違った基準に置き換えられる。
        好き、とは、誰かによって、

        変えられた自分のことである。



    150105a.jpg

僕の好きな音楽、とは、
定まったものではなく、
場当たり的な、つじつま合わせの、
フィクションに過ぎない。
        どうやら、好き、とは、
        僕の、好き、という基準に、

        収まるようなものではないらしい。


僕が、好き、と呼べるようなものごとは、
僕は、たいして好きにはなれない。
僕の基準に収まらないものごとを、
僕は好きになるに違いない。
        僕たちは、
        今まで、好き、という意味を知らなかった、

        そう思わせる人を、恋人に選ぶだろう。



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  1. 2016年09月26日 22:43 |
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好き、について 10/xx


再掲しないと忘れてしまう。
        小島麻由美、山崎まさよし、
        Little Barrie、THE BLUE HEARTS、
        スピッツ、Allman Brothers Band、
        槇原敬之、Stevie Ray Vaughan、

        安藤裕子、Bill Evans、
        JUDY AND MARY、Cannonball Adderley、
        奥田民生、Queen、
        北島三郎、Beatles、
16名を、好き、として挙げた。



    160925a.jpg
    http://www.liberallifestyles.com/?p=54619

北島三郎は外そう。
井上陽水や大瀧詠一に、
申し訳が立たない。
Cannonball Adderleyは、
Jackie McLeanと入れ替える。

Allman Brothers Bandは、
ドビュッシーか、
ショパンにする。
そして、17番目に、
Eric Claptonを挙げる。



    160925b.jpg
    http://wallpapersafari.com/eric-clapton-wallpaper/

20名を列挙するなら、
21番目が、Eric Claptonになる。
30名を挙げれば、31番目が、
50名なら、51番目がいちばん気になるから。
僕は、好き、と示されることのない彼が、

いちばん好きなのかもしれない。



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  1. 2016年09月25日 20:37 |
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好き、について 9/xx


平井堅とエグザイルが好き、
という人と、
平井堅と山崎まさよしが好き、
という人の、
平井堅の性質は異なる。

平井堅とエグザイルが好き、
それは、平井堅とエグザイルの和集合、
平井堅∪エグザイル、が好きということだが、
平井堅とエグザイルの共通部分、
平井堅∩エグザイル、を要素としている。



    160107a.jpg

僕たちは、平井堅に含まれるエグザイル性、
それが好きで平井堅が好きになることも、
そこは聴かないふりをして、
別の、補って余りある、
平井堅性を好きになることもできる。

平井堅が好き、
それだけでは、よく分からない。
平井堅、エグザイル、西野カナ、湘南乃風、加藤ミリヤ、
例示して、次第に傾向が見えてくる。
好き嫌い、とは、

その人そのもの、
分節と生成の傾向性である。



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  1. 2016年09月24日 12:51 |
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好き、について 8/x


好き、の反対は、嫌い。
あるいは、無関心。
嫌い、の反対は、好き。
あるいは、無関心。



    160923.jpg
    https://fanart.tv/artist/022589ac-7177-460d-a178-9976cf70e29f/mercury-freddie/

関心、の反対は、無関心。
関心の多くは、好きを伴い、
無関心の多くは、
関心を持つことを嫌っている。



    160923b.jpg
    http://www.queenonline.com/en/news-archive/rolling-stone-flashback-queen-steal-the-show-at-live-aid/

好き、の反対側に、
嫌い、を置くか、無関心、を置くか。
好き嫌い、を表裏一体として、
好き、の反対側には、

無関心、を置きたい。



    160923c.jpg
    http://www.pinknews.co.uk/2016/04/11/

逆、裏、対偶をやってみる。
命題を、
好き嫌いがある、ならば、分節と生成がある、
とする。

逆は、
分節と生成がある、ならば、好き嫌いがある。
裏は、
好き嫌いがない、ならば、分節と生成はない。

対偶は、
分節と生成がない、ならば、好き嫌いがない。
好き嫌いの反対側は、
分節と生成がなされない。

それを、無関心、と呼んでみる。



    160923d.jpg
    http://www.swagger.mx/radar/razones-por-las-que-freddie-mercury-es-el-hombre-mas-legendario

平井堅とエグザイルと山崎まさよしが、
同じに聴こえる人がいるとしたなら、
分節化ができない人である。
彼らに関心を持っていない。

彼らが好き、という自己申告はさておき、
無関心と言わざるを得ない。
きっと、流行りの歌なら何でもいい。
分節化ができなければ、

何も生成されるものはない。



    160923e.jpg
    http://metro.co.uk/2015/07/13/



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  1. 2016年09月23日 21:46 |
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好き、について 7/x


まずは、分節化されること。
例えば、ラマとアルパカとラクダの、
違いを感じること。
その違いによって、
世界は細かく切り取られる。

細かく切り分けられた世界は、
類似性によって互いを引き寄せ、
やがて、生成が始まる。
僕の好き嫌いが持ち込まれ、
僕の好きな動物が選び出される。



    160922a.jpg
    http://autoimages.org/lancia-a112/

好きな人は、
分節と生成の方法が似ている。
だから、多くの言葉はいらない。
どのように世界を切り分けて、
どのようにまとめ上げるか、

そんな手順を言葉にしなくてもいい。



    130203.jpg

アルパカは、哺乳類の種、
ハシビロコウは、鳥類の種、
生物群としては、大きく違う。
違うけれど、好き、で括ることができる。
しかし、括る理由は、言葉にできない。

分かる人には説明が不要で、
分からない人には、たぶん、
説明しても分からないものごと。
好き嫌い、とは、
世界を眺める方法、

分節と生成の傾向性である。



    160922b.jpg
    http://www.m-bike.sakura.ne.jp/?p=74558



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  1. 2016年09月22日 12:17 |
  2. 好き嫌い
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好き、について 6/x


手詰まりなので、
ソシュールっぽく展開して抜けたいと思う。
好き、とは、世界の切り取り方と、まとめ方、であり、
好きな人、とは、それらの方法が似ている人、
つまり、分節と生成の傾向性とする。



    160920a.jpg
    http://www.summersonic.com/2014/gallery/117.html

小島麻由美と、山崎まさよしと、
ブルーハーツと、スピッツは、それぞれに違う。
彼/彼女らは、音楽の地平から、
自分たちの音楽を、それぞれに切り分ける。
それを、分節と呼ぼう。

小島麻由美のアルバムは、
僕が1曲聴くごとに、
しだいに小島麻由美らしさを生成させる。
うまく言葉にはできないけれど、
小島麻由美の世界が現れる。

世界は小島麻由美によって切り取られ、
分節されたものが生成を行い、
生成は、小島麻由美の世界をまとめ上げる。
僕が、小島麻由美が好き、と言うときは、
その生成された何かを好きと言っている。



    160920b.jpg
    http://f01.ototoy.jp/feature/2014120607

山崎まさよし、ブルーハーツ、
スピッツや、槇原敬之や、安藤裕子についても、
それぞれの分節と生成によって、
僕は、彼/彼女らの音楽を聴き分ける。
やがて、彼/彼女らの生成がひとまとめにされて、

僕の好きな音楽、という生成が行われる。



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  1. 2016年09月20日 20:12 |
  2. 好き嫌い
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好き、について 5/x


僕の好きな音楽は、サザンや、Beatlesや、
テレビの歌番組や、ミュージック・ビデオ、
FM大阪の「ビート・オン・プラザ」、
NHK-FMの「クロスオーバーイレブン」、
月刊「Player」の記事、

Eric Clapton、Jeff Beck、Jimmy Page、
プログレ、ハード・バップ、ブルース、
加えて、小恥ずかしい和製フォークや、
昭和の中頃の歌謡曲に、少々のクラシック、
それらをベースにしている。

好き、とは、具だくさんのクラムチャウダーの、
スープの味を説明するようなものだ。



    160919c.jpg
    https://charmingmanmusic.wordpress.com/2012/10/13/interview-little-barrie/

誰もが知っているような、
ありふれた、しかし、
独自の指向のなれの果てが僕であり、
僕は、僕の好き嫌いで、誰かを受け容れて、
あるいは、誰かを排斥する。

僕が、例えば、セカオワに、
違和を感じるためには、
僕の好きな音楽がどこかにあるという、
相対的な認識を条件とするが、
そんなものが説明できるとは思えない。

僕が煮込んだクラムチャウダーは複雑すぎて、
もはや何かを抽出できる気がしない。



    160919d.jpg



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  1. 2016年09月19日 21:14 |
  2. 好き嫌い
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好き、について 4/x


セカオワでも、きゃりーでも、
aikoでも、なんでもいいけれど、
僕は、彼/彼女らを、
客観的に扱うことができる。
当たりまえのことだけれど。

この当たりまえを逆から言うと、
僕は、小島麻由美も、山崎まさよしも、
ブルーハーツも、スピッツも、
まして、Beatlesに至っては、
客観的になれないことになる。



    160919a.jpg
    https://www.musixmatch.com/album/THE-BLUE-HEARTS/LIVE-ALL-SOLD-OUT

例えば、「いとしのエリー」については、
僕は、今さら、何も言えない。
おそらく、好き、としか言いようがない。
僕の中に、好き、が溶け込んでいる。
初期のサザンオールスターズは、

僕の好き嫌いの、基準を作っている。
つまり、好き嫌い、という主観の側にある。



    160919b.jpg



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  1. 2016年09月19日 19:07 |
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好き、について 3/x


僕の好き嫌いの判断基準が、
どのように作られているのかはさておき、
僕には、確かに、
好きと嫌いの感情がある。

おいしいものが好き、とか、
戦争が嫌い、とか、
そんなのは、きっと、みんなも同じだ。
自分の生存への寄与に答が見つかる。



    160916.jpg
    http://ototoy.jp/feature/2014120607

僕は、何を、好き、と呼んでいる?

この問いは、好きでも嫌いでもいいものごとを、
人によって、好きとか、嫌いとか、
あるいは、どちらでもないとか、無関心とかに、
振り分けることが前提になる。

この問いに答えられるのは、
この世界には、僕しかいない。
ニーチェは、ニーチェと世の中について考えたけれど、
僕と世の中に関しては、

少しも考えてくれなかった。



    160916b.jpg
    http://www.lagoa.jp/shopdetail/006001000199/

答を考えるのは、
僕が最初であり、僕で最後になる。
僕が考えることが、
正しいのか、間違っているのか、

そんなことは、知らない。
確かめようがない。
もとより、正しいことが分かっているのなら、
考えることも、書き表すこともない。

なんて孤独な問いだろう。



    160916c.jpg
    http://kasankanationalpark.com/end-of-operations-at-shoebill-island-camp/



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  1. 2016年09月17日 20:41 |
  2. 好き嫌い
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