tetsugaku poet

qinggengcai

僕は、馬鹿なのだろうか ―― 馬鹿に仕向ける (。-`ω´-)ンー


ミニのホイールベースは、2035mm。
1959年から変わらない。
重心が低くて、まったくロールしないから、
交差点でも、六甲山でも、
くるくる曲がることができる。

曲がることが得意なクルマなら、
曲がることについては、
もう考えなくてもいい。
ミニは、うまく曲がれるから、
まっすぐ走るように仕向けられている。

常識的で、不幸な生い立ちもなく、
ありふれた、どこにでもいる、
取るに足らない、ふつうの僕なら、
少し足りない知識と、
うまく伝わらない表現で、

自分をどのように仕向けるのだろう。



    170121b.jpg



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  1. 2017年05月29日 12:03 |
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― 馬鹿の測定 (。-`ω´-)ンー


賢い人からは、
馬鹿な人の、馬鹿さ加減がよく解る。
馬鹿な人からは、
賢い人の、賢さがよく解らない。

馬鹿が単なる欠如だとすれば、
たぶん、それで合っている。
賢い人からは、馬鹿が測れる。
馬鹿な人からは、賢さが測れない。

馬鹿の物差しを越えている、
馬鹿の規矩が届かない、
だから、賢さが測れない、
そんな説明になるのだろう。

最初から、馬鹿を、
欠如と決めてかかればそうなる。
もしも、馬鹿が過剰だとしても、
逆の説明は成り立つが。

あるいは、馬鹿な人には、
賢さを失った代わりに、
得た何かがあるとしたなら。
賢い人が、賢さを得たことで、

失った何かがあるとしたなら。
そんな馬鹿な発想は、
賢い人には思いもつかないから、
あり得ないけれど。

確かに言えることは、
賢くても、馬鹿でも、
自分の物差しで測ることができるものは、
結局は、欠如だけになる。

僕たちは、そんなふうにしか測れない。



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  1. 2017年05月28日 20:26 |
  2. 自分らしさ
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― 仲間がいるから (。-`ω´-)ンー


馬鹿でも仕方がないけれど。
そして、僕が賢いとしても、
その僕の賢さは、

往々にして、賢い人たちからは、
馬鹿と呼ばれるような、
そんな賢さだと思うけれど。


仲間がいるから強くなれる、
例えば、こんなフレーズに、
イラっとくる人がいるだろうか。

仲間がいるから強くなれる、
説得もいらない、
正当化もいらない正しさがある。

しかし、このフレーズが絶望的なのは、
そんな意識が仲間外れを作り出すことに、
気づかせないからである。

そんなのが、最も僕をイラつかせる。



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  1. 2017年05月28日 12:03 |
  2. 自分らしさ
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― 愛、だとか、優しさ、だとか (。-`ω´-)ンー


肯定的なフレーズに隠されている、
半端ない否定。
寛容な見かけをした、
容赦ない不寛容。
そんなのが、最も僕を傷つける。

愛、だとか、優しさ、だとか、
誰からも反論されないような正しさ。
説得もいらない、
正当化もいらない正しさ。
そんなのが、最も僕を失望させる。

僕は、馬鹿なのだろうか。



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  1. 2017年05月27日 20:27 |
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僕は、馬鹿なのだろうか ―― みんな違って (。-`ω´-)ンー


人それぞれ、とか、
みんな違って、とかいうけれど。

そんなふうに括ることができるのなら、
人はそれぞれに大差がない。

みんな、などと括られた以上は、
みんなは、みんな以上でも以下でもない。

人それぞれ、ってほどには、
人はそれぞれになれないし、

みんないい、ってほどには、
人はそれぞれに違えない。

人それぞれ、とか、
みんな違って、とか、

そんなフレーズに収めてしまうことで、
もはや、それぞれ、ではなく、

人は、みんなのメンバーに成り下がる。



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  1. 2017年05月27日 12:31 |
  2. 自分らしさ
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写経の効用


写経はいいぞ。
心が落ち着く。
実にいい気分だ。
写経を始めて、今日で4日め。
もう三日坊主とは言わせない。

やってみれば分かる。
どんな意味なのか、
わけが解らないし、
その行為にも意味がないから、
とても落ち着く。

どんな意味なのか、
わけが解って、
その行為にも意味があるのなら、
落ち着いてなんか、
いられるものか。

誰かが考えてくれた、
小難しい説明を、
ひたすらコピペしているのは、
実にいい気分だ。
心が平安に保たれる。

写経はいいぞ。



    170523.jpg

    誤、貧因、
    正、貧困。



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  1. 2017年05月23日 21:08 |
  2. 未分類
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写経ノススメ


写経ヲスルト、
紙ノ上ニハ、ぷらすトまいなすノ、
生命波動ガ充満シマス。

紙ハ生キタ般若心経トナリ、
生命波動発生ノ原型ニナリマス。
高次元ノえねるぎーガ働キマスノデ、

途中デ止メテハイケ(ry



    170521.jpg



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  1. 2017年05月21日 19:22 |
  2. 反スピ
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 8/8


忘れる、というのは、
手には負えない逆説で、
何を忘れたのかを憶えていないと、
忘れるということに気づかない。

そして、忘れたい何かを、
忘れようと意識していたら、
いつまで経っても、
忘れることができなくなる。

得魚而忘筌、
それは、ただの喩えではない。
得意而忘言、は、
得魚而忘筌、に係っている。

得意而忘言、だけでは、
忘れることができず、
得意而忘言、の忘れ方が、
得魚而忘筌、である。


筌は、筌だけでは筌ではなく、
手や足や、川や魚で筌になる。
筌は身体や身の周りの世界と、
別のものではあり得ない。

筌を扱う漁師は、筌になる。
自らが筌であることをやめること、
それが、筌を忘れる、
ということにほかならない。

自らが言葉であることをやめること。
そんなのは、光境倶亡、つまりは、
色即是空としか言いようがなく、
いつまで経ってもできない話だ。

簡単な方法は、
身の周りの世界の、
ほかの何かになることだろう。
筌でも蹄でも犂(すき)でもいい。


荘子を読んで10日め。
そろそろ、荘子を忘れよう。
何も知らないくせに、
くだらないことを書き投げた。

どうか、笑って忘れてほしい!



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  1. 2017年05月19日 20:02 |
  2. 荘子
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 7/8


        主客を消滅させる答は、
        得意而忘言、である。
しかし、その答は、
問題をこじらせただけで、
        まだ解決はしない。
        忘れなければならないことを、
忘れずに憶えている。
得意而忘言、を憶えている。

        例えば、荘子の「渾沌(こんとん)」で、
        こんな話ができればいいけれど、
荘子を読んで10日めの僕は、
手元にある限りのツールで、
        やりくりするしかない。
        僕にできないことはできないから、

        僕にできることをする。



保福問:「長慶盤山道:光境俱忘,復是何物?
洞山道:光境未忘,復是何物?
據二老總未得勦絕。作麼生道得勦絕去?」
慶良久,福云:「情知你向鬼窟裏作活計」
慶云:「汝作麼生?」
福云:「兩手扶犁水過膝」
―― 景徳伝灯録、巻十九

保福が、長慶慧稜に問う。
「盤山は「光境倶亡、復(は)た是れ何物(なん)ぞ」と言い、
洞山は「光境未亡、復た是れ何物ぞ」と言っている。
この二者の説明では、
まだ主客を滅することができない。
どうすれば、滅することができるか?」
長慶は沈黙で答えたが、保福は言う。
「あなたは、鬼の住む暗闇に生きている」
長慶が訊き返すと、保福は言う。
「両手に犂(すき)を扶(ささ)え水は膝を過ぐ」
つまり、「膝まで泥水に浸かって田を耕している」



        長慶は、語らないことで、
        忘れたふりをすることで、
正解になったつもりでいる。
つまり、得意而忘言、を忘れない。
        それは、小利口になっただけ。
        問題をこじらせただけ。
正解は、得意而忘言、ではない。
正解は、月を見上げて、
        理屈をこねることではない。
        保福の「光境倶亡」は、

        地べたを見つめて働くことである。



    170519.jpg



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  1. 2017年05月19日 12:05 |
  2. 荘子
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得意而忘言と、得魚而忘筌と、色即是空 ―― 6/x


        自分にとって、それは、直ちに、
        忘れるべき説明に成り下がる。
                そこで、思い出したのは、
                『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』の「都機(つき)」。

心月孤円、光呑万象。
光非照境、境亦非存。
光境倶亡、復是何物。

        以下の20行は、読まなくてもいい。
        読んでも、たぶん、解らない。
                解るように書かれていないから、
                解るほうがどうかしている。



盤山宝積(ばんざんほうしやく)禅師云(いはく)、
「心月孤円(しんげつこゑん)、光呑万象(くわうたんばんざう)。
光非照境(くわうひせうきやう)、境亦非存(きやうやくひぞん)。
光境倶亡(くわうきやうくまう)、復是何物(ぶぜかぶつ)。

<心月孤円、光、万象を呑めり。
光、境を照らすに非ず、境亦(ま)た存ずるに非ず。
光境倶(とも)に亡(まう)ず、復た是れ何物ぞ>」。

いまいふところは、仏祖仏子、かならず「心月」あり。
月を心(しん)とせるがゆゑに。
月にあらざれば心にあらず、心にあらざる月なし。
「孤円」といふは、虧闕(きけつ)せざるなり。
両三にあらざるを「万象」といふ。
万象これ月光にして万象にあらず。
このゆゑに「光呑万象」なり。
万象おのづから月光を呑尽(たんじん)せるがゆゑに、
光(くわう)の光を呑却(たんきや)するを、
「光呑万象」といふなり。
たとへば、月呑月なるべし、光呑月なるべし。
こゝをもて、「光非照境、境亦非存」と道取するなり。
―― 正法眼蔵/都機



        道元は、底意地が悪い。
        こんな説明では、僕は解らない。
                よく解らないことを、
                理解しているかのように扱えば、
        それで思考は終わりになって、
        解ったふりだけが上手くなる。

                端折っていうと、
                見る者と、見られる者が忘れられた世界、
        見る主体と、見られる客体が、
        亡くなった世界、
                光や心と、境や法が、
                ともに亡くなった世界、
        「光境倶亡」とは、
        主客の対立が消滅することをいう。
                そんな世界があるのかどうか、
                それは、さておく。

        問題は、「光境倶亡」について語ること。
        問題は、そんな世界を説明するときには、
                まず、主客を対立させなければ、
                説明できないことにある。
        言葉で「光境倶亡」を説明しようとすれば、
        主客を分けることになるから、
                それは、直ちに、
                忘れるべき説明に成り下がる。

        復是何物、復た是れ何物ぞ、
        その答は、得意而忘言、である。
                吾安得夫忘言之人而與之言哉!
                夫(か)の言を忘るるの人を得て、

                之を言わんや。


  
正法眼蔵 二/道元 著、水野弥穂子 校注、
1990、岩波文庫



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  1. 2017年05月18日 19:07 |
  2. 荘子
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