人が生きる理由は何か、
いきなりで、びっくりするけれど、
身の程知らずに、大きく出てみる。
人が生きる理由は何か、
なんて、なんだか小恥ずかしくなるけれど。
人が生きる理由は何か、ってのは、
生きるには、何か理由がある、
ってことである。
その理由は、人で括ることができる、
ってことである。
つまり、人はみんな、
同じ理由で生きている、
ってことである。
なぜ理由がいるのか、
なぜみんな同じなのか、
なぜか、そこは問わないままに。

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- 2018年01月28日 21:29 |
- 馬鹿
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ローバー純正のタンクエプロン。
メーカーが、こんなパーツを作るなんて。
ふつうのメーカーなら、その前に、
ガソリンが漏れないキャップを作るのに。

というか、その前に、
ガソリンが漏れているなんて。
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- 2018年01月23日 12:03 |
- ラパン/ミニ
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無限の可能性、なんて思わせぶりに書くから、
読み手は、ついつい惑わされる。
無限の、ってのは、可能性、に係るのに、
うっかりして、子供にも引っかけてしまう。
子供でも、大人でも、有限の生命を生きている。
人ってのは、何から何まで有限だ。
先のことが分からないから、
未来の組み合わせは無限になる。
しかし、それくらいの意味なら、
予測のつかなさ、でいい。
予測の不可能性、でいいのに、
不可能性を、可能性と言い換える。
否定が、肯定に書き換えられて、
「子供には無限の可能性がある」けれど、
そんなのは、大人もたいして変わらない。
子供でも、大人でも、空は飛べないし。
子供、無限、可能性。
書き手が、肯定、という位相を入れて、
読み手が、同じ思考構造を持ったことで、
問いが、肯定の外に出られなくなっただけのこと。
僕は、問いが共有できないくらいの馬鹿でいい。

「52」か、と問われたなら、「52」に見えてくる。
「89」か、と問われたなら、「89」に見えてくる。
「52」か「89」か、と問われたなら、
どちらかが正しいと思ってしまう。
僕は、「まき散らした砂粒に見える」と答える馬鹿でいい。
「52」にも「89」にも見えるけれど、
数字の模様に見えているだけ。
―― 嘲笑/玉置浩二
―― 北野武 作詞、玉置浩二 作曲、1993、
―― 2012、「Offer Music Box」、SMD itaku
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- 2018年01月22日 00:02 |
- 馬鹿
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子供には無限の可能性がある、
僕もそう思っている。
子供の可能性は無限と言ってもいい。
子供は、鈴木一朗にも、田中将大にもなれる。
同様に、宮﨑勤にも、加藤智大にも、
白石隆浩にも、オウムの実行犯にもなれる。
何にでもなれる。
嘘つきとか、横柄とか、粗暴とか、
恨みっぽくも、僻みっぽくもなれる。
努力をするのが嫌いとか、
被害者意識が強くて、
いつも誰かのせいにして生きているとか。
冷静な判断ができないとか、
多様な価値観が分からないとか。
そんな子供っぽい大人になる可能性は、
大人になる前に失くしたほうがいい。
―― 明日の風/山崎まさよし
―― 作詞、作曲、山崎将義、2000、ポリドール

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- 2018年01月20日 00:05 |
- 馬鹿
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子供には無限の可能性がある、
そのテーゼに続く話は、例えば、
野球選手とか、宇宙飛行士とか。
しかし、無限の可能性というからには、
可能性は、好都合なそれに限定されない。
当然に、不都合な可能性が含まれる。
みんなが不都合な可能性に言及しない理由は、
みんなが言及しないから。
僕がそれに言及する理由は、
僕は馬鹿だから。
―― One more time, One more chance/山崎まさよし
―― 作詞、作曲、山崎将義、1997、ポリドール

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- 2018年01月20日 00:04 |
- 馬鹿
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ちょっと休憩。
馬鹿も休み休み。
―― 花咲く土手に/玉置浩二
―― 須藤晃 作詞、玉置浩二 作曲、1993、Sony Records
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- 2018年01月17日 00:05 |
- 馬鹿
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大人には無限の可能性がある、
とは、誰も言わない。
理由は、誰も言わないから。
みんなが言わないことはみんなは言わない。
しかし、子供に無限の可能性があって、
大人にそれがないのなら、
無限の可能性は、直ちに矛盾する。
子供は、大人になるから。
不可逆的に、大人になるから。
大人に無限の可能性がないのなら、
可能性を失っていくことが、
大人になるということだ。
そして、それは悪いことではない。
無限の可能性なんて怖ろしいものは、
大人になる前に失くしたほうがいい。
―― 僕と不良と校庭で/山崎まさよし
―― 作詞、作曲、山崎将義、2003、ユニバーサルJ
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- 2018年01月17日 00:04 |
- 馬鹿
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