ところで、コミュニケーション能力は、
対立させた敵と味方の、
味方の中で発揮される能力ではない。
そんなことなら、
何の能力もいらない。
Attacking, defending
Until there's nothing left worth winning
―― Don't Wanna Fight/Alabama Shakes
―― Brittany Howard 作詞作曲、2015、ATO Records
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- 2018年07月30日 21:34 |
- 政治
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何かを、正しい、と考えたなら、
それは、政治への意志であり、
すでに、対立を受け入れている。
すでに、正しくない者との差異があり、
正しくない者との分断があり、
正しくない者への排除がある。
すでに、敵と味方の差異があり、
同質な思考を持つ者で構成される仲間への、
分断化を指向する。
政治的、ってのは、
他人を敵と味方に対立させたかたちで、
敵を排除する構えなんだ。
対立のほかに、どんな構えもない。
それとも、正しくない者を否定して、
怒りをぶつけて、攻撃を仕掛けるほかに、
何かすることがあるとでも。
少ししゃべりすぎたね 君も少し紅いね
屋上の片隅で 想い出が揺れてる
―― 彼女/斉藤和義
―― 斉藤和義 作詞作曲、1994、ファンハウス
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- 2018年07月29日 20:32 |
- 政治
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政治的、ってことの中には、
本来的に怒りが内在していると思う。
なんて言ったところで、
政治的な思考パターンに取り憑かれている人の、
認知は訂正できないと思う。
真面目に考えているから怒るんだ。
そこは、動かないだろう。
逆に、怒らない僕は、不真面目で、
おちゃらけていることになる。
そうなると、また違う気がしてくるけれど。
では、怒っている人が、
真面目にものごとを考えている、なんてのは、
それも、また違うんだ。
でも、僕については、実際に、不真面目で、
おちゃらけているから、いいんだけれど。
ところで、政治は、どうやら、
平和、なんてのを希求しているらしい。
でも、対立、なんてのを駆動するのは、
同質な思考パターンを持つ者で構成される共同体への、
分断化の指向だ。
政治的、ってのは、
他人を敵と味方に対立させたかたちで、
世の中に向き合う構えなんだ。
敵だから怒りが湧いてくる。
仕方がないのかもしれないけれど、
そのベクトルは、平和の逆を向いている。
抜けば玉散る氷の声で
わたしが鳴かふホトトギス
―― わたしが鳴こうホトトギス/戸川純+Vampillia
―― 戸川純、真部脩一 作詞、Vampillia 作曲、
―― 2016、Virgin Babylon Records
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- 2018年07月28日 20:31 |
- 政治
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苛立ちが募るのなら、
考えなきゃいいのに、
なんて思ったりするけれど、
考えなきゃならないのだろう。
他人を見下すためにも。
怒っている人は、
とにかく、話がくどい。
他人を見下していると、
いい気分になって、
話が長くなるのか。
知識をひけらかしていると、
気持ちがよくなって、
話が長くなるのか。
だから、知っていることを、
ぜんぶ話さないと気が済まないのか。
知的な自分の意見を、
愚かな他人はありがたく拝聴すべきであると、
信じて疑わないのか。
とにかく、勝ち負けなんだ。
敵と味方なんだから。
見下されても仕方がないけれど、
情報量が多いと、僕には、
主張も、その理由も、
かえって分からなくなるんだ。
愚か者にも分かるように、
簡潔に教えてくれないのなら、
僕には、教えてくれなくてもいい。
他人を馬鹿にすることで、
相対的に、自分が優位に立てるのなら、
僕に理解されないほうが目的に適うんだ。
僕の愚かさ、理解力のなさ、
それは、おおよそは認めるにしても。
I'm always a few minutes wrong
You got to put me right there
And knock it down
―― Wail/The Jon Spencer Blues Explosion
―― Spencer, Explosion 作詞作曲、1996、Matador Records
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- 2018年07月27日 00:04 |
- 政治
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他人を、敵と味方に分けて、
世界に向き合えば、
当然に、怒りが沸いてくる。
政治的、ってことの中には、
怒りが本来的に内在している。
敵、ってのは、もとより、
その定義からしても、
腹立たしいものだ。
もとより、根絶やしにすべきものであり、
殲滅させるのに理由はいらない。
ところで、真剣な表情と、
怒っている表情は似ているけれど、
ものごとに真剣に取り組んでいることと、
怒っていることは、
似ているようで、違うと思う。
世の中には、僕のように不真面目で、
軽薄で、おちゃらけている人がいて、
それが、怒っている人の怒りを買い、
さらに怒らせることになるけれど。
でも、僕には、怒ることは違うんだ。
僕の不真面目さ、軽薄さ、
それは、おおよそは認めるにしても。
Attacking, defending
Until there's nothing left worth winning
―― Don't Wanna Fight/Alabama Shakes
―― Brittany Howard 作詞作曲、2015、ATO Records
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- 2018年07月26日 18:47 |
- 政治
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政治的な思考パターンが苦手だ。
他人を、敵と味方に分けるたがるから。
政治の話題に乗れない僕は、
敵でも味方でもなくて、
愚か者とみなされるけれど。
話について行けない僕は、
愚か者でも仕方がないとして、
でも、どこまでの知識があれば、
愚か者と呼ばれずに済むのか、
僕には、なんだか、見当がつかない。
自分の得意な分野に持ち込んで、
知識を誇示しながら詰問すれば、
他人を愚か者に貶めることなんて、
とても簡単にできると思う。
知らないことは、知らないもの。
誰だって、すべてのものごとに、
詳しいわけではないから。
では、政治のような、総合的な話題ついて、
詳しいと自負している人は、
いったいどんな人なのだろう。
もちろん、僕よりも知識があって、
僕よりも、全般的に包括的に総合的に賢くて、
それは、おおよそは認めるにしても。
Yes and they will run you down, down til you fall
And they will run you down, down til you go
―― Way Down We Go/Kaleo
―― Daníel Kristjánsson、Davíð Antonsson、Jökull Júlíusson、Rubin Pollock 作詞作曲、
―― 2015、Elektra Records
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- 2018年07月24日 21:07 |
- 政治
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ヨハン・ゴットリープ・フィヒテは、
カントをさらに進めて、
自分で決定する、のではなく、
自分で作る、と考える。
カントの、自律、だけでは足りない。
自分は、自分が作っていい。
フィヒテのほうが、僕たちには解りやすい。
では、解りにくいのは、
カントやスピノザやデカルト、
さらには、アウグスティヌスやプラトンになる。
デカルトに戻ると、
デカルトの、我思う、ゆえに我あり、には、
自分で自分を決定することも、
自分で自分を作ることも、
含まれていなかったということだ。
それ以前に戻るのは、きっと、
それ以後に変わるよりも難しい。
我思う、ゆえに我あり、
それ以前に戻るってことが、
僕には、どうしたって分からないのだろう。
僕は、自由でない、ってことを知らないし、
個人になる、ってことが分からない。
何か知ら落ち込むだ心は
人熱彷徨つて流し流され
思へば遠くへ来たものだ
―― 長く短い祭/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、2015、EMI Records Japan
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- 2018年07月23日 12:41 |
- 自由
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デカルトは、世界の外にいる。
世界から切り離されて、
何でも自由に思うことができる。
デカルトの自由は、まったくの自由で、
対象を選ばず、手当たり次第に妄想していい。
例えば、他人を自動機械にすることさえも。
世界に対しては、やみくもに、
無差別に、照準を定めずに自由だが、
デカルトには、自分と世界を制する神がいる。
自分と世界で、全部になるのなら、
全部を束ねる神がいる。
デカルトが世界の外に飛び出しても、
そこで待ち受ける神にぶち当たる。
自分と世界は分けることができても、
全部と自分の関係は何か。
全部を統べるのが神だから、
スピノザには、どこにでも神がいる。
全部と自分は対立できない。
カントは、理性によって自分を律し、
自らの行為を決定することを自由とした。
デカルトの、我思う、だけでは足りない。
考えて、行わなければ、自分が決まらない。
自分で律する、自分の行為を自分で決定する、
僕たちが考える自由に近づいてきた。
カントが考える、僕たちに共通の理性は、
神に照準された理性で、
僕には、不自由に思えるような、
遠慮がちな自由ではあるけれど。
幼い微熱を下げられないまま 神様の影を恐れて
隠したナイフが似合わない僕を おどけた歌でなぐさめた
―― 空も飛べるはず/スピッツ
―― 草野正宗 作詞作曲、1994、Polydor
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- 2018年07月21日 19:06 |
- 自由
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自分は、世界と別にあるのではなくて、
世界は、自分も含めて、丸ごと全部である。
バールーフ・デ・スピノザは、そう考えた。
デカルトと違って、
スピノザには、意志の自由はない。
世界=自然=神の中に自分がいて、
自分は世界=自然=神によって決定されている。
それを認識することを自由とするが、
難しくて、僕の手に負えない。
デカルトは、自分の自我だけを考えて、
疑わしい他人の自我は、
世界の側に追いやったけれど、
イマヌエル・カントは、
我思う、を、我々思う、にした。
やっと他人を巻き込んできた。
そして、思うだけでは不十分で、
各自は、各自の理性によって各自を律して、
各自が各自を決定する。
だんだん解りやすくなってきた。
幅広い心を くだらないアイデアを
軽く笑えるユーモアを うまくやり抜く賢さを
―― イージュー☆ライダー/奥田民生
―― 奥田民生 作詞作曲、1996、Sony Records
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- 2018年07月19日 20:07 |
- 自由
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デカルトは、
自分が考える、ということだけを頼りに、
世界から脱出した。
精神と自然を対立させて、
自分は、考える精神、自我であり、
世界の側は、物質、自然になる。
物心二元論、って考え方だ。
自分は、世界から切り離されて、
自由に意志することができる。
しかし、デカルトのいう世界は、
自分を除いた残りにすぎない。
世界丸ごと、全部ではない。
自分も、世界も、
お互いを除いた残りとして表され、
どちらも有限なものになる。
無限性を示すものとして、
神を要請するが、
そこから先は、
もう、僕の手に余る。

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- 2018年07月19日 12:41 |
- 自由
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