我思う、ゆえに我あり、っていうけれど、
「我思う」と「我あり」は違う。
「我思う」ゆえに「我思う」だったら違わない。
「我あり」ゆえに「我あり」だったら違わない。
「我思う」と「我あり」の間は平坦ではなくて、
僕たちが見落としそうな穴が開いている。
そのままでは、ゆえに、なんて接続はできない。
推論するには、穴を跳ぶための前提が欠けている。
隠されている前提は、
「思う我がいなければ、我は思うことができない」
そこは、当たりまえの実感として、跳び越える。
考える者は、すでに存在しているんだ。
「思う我がいなければ、我は思うことができない」
この逆は、「我が思うことができないなら、思う我はいない」
裏は、「思う我があれば、我は思うことができる」
対偶は、「我が思うことができるなら、思う我がある」
対偶が、我思う、ゆえに我あり、になった。
前提の穴の中で、結論がぐるぐる回っている。
論証としては、まるで意味がない。
かわるがわるのぞいた穴から
何を見てたかなぁ?
―― 楓/スピッツ
―― 草野正宗 作詞作曲、1998、Polydor
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- 2018年07月14日 12:14 |
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哲学なら、デカルトに倣いたくなる。
しかし、哲学をするのなら、
僕は、パスカルに倣う。
哲学をする我は、考える我、
もしくは、我は考える、になる。
ところで、哲学書を読むことは、
自分で考えることではない。
難しい本を読む難しさは、
理解する難しさであり、
自分で考える難しさではない。
我、つまり、デカルトについて考えたのが、
デカルトの哲学である。
デカルトは、デカルトと、
デカルトがいた世界について考えた。
デカルトが思う、ゆえにデカルトがある。
我、つまり、僕については、
僕が考えるほかはない。
僕が思う、ゆえに僕がある。
僕の代わりに誰かが考えても仕方がない。
もとより、僕がいる現在の世界なんて、
そんなものは、
もうデカルトは考えてくれない。
遠くに旅立った君の 証拠も徐々にぼやけ始めて
目を閉じてゼロから百までやり直す
―― みなと/スピッツ
―― 草野正宗 作詞作曲、2016、Universal Music
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- 2018年07月14日 00:03 |
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考える、といえば、ブレーズ・パスカル。
人間は考える葦(あし)である。
僕たちは、そんなフレーズを、
知識として、丸暗記して、
でも、少しも考えたりしないけれど。
そんなふうに、知識を頭に詰め込んで、
もの知りになっていくことの価値は、
どこにあるのだろう。
人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦に過ぎない。
しかしそれは考える葦である。
これをおしつぶすのに
宇宙全体が武装する必要はない。
一つの蒸気、一つの水滴もこれを殺すのに十分である。
しかし宇宙がこれをおしつぶすとしても、
そのとき人間は、
人間を殺すこのものよりも、崇高であろう。
なぜなら人間は、自分の死ぬことを、
それから宇宙の自分よりずっとたちまさっていることを
知っているからである。
宇宙は何も知らない。
だから我々のあらゆる尊厳は
考えるということにある。
我々が立ち上がらなければならないのは
そこからであって、
我々の満たすことのできない空間や
時間からではない。
だからよく考えることを務めよう。
ここに道徳の原理がある。
明らかに人間は考えるために作られている。
これが彼の品位の一切であり、価値の一切である。
彼のなすべきすべてのことは、
正しく考えるということである。
私は手もなく、足もなく
頭もない人間を考えることができる。
なぜなら頭は足より必要であるということを
我々に教えてくれるものは、経験にすぎない。
しかし、私は思考を持たぬ人間を
考えることはできない。
それは石か獣であろう。
―― パスカル、『パンセ』、断章347、146、339。
デカルトの、我思う、には、
思考に限らず、感情も含まれる。
パスカルは、人としてあるためには、
思考しなければならないという。
人は考えるために作られていて、
それが、人の価値の一切である。
エッセイなら、パスカルのように、
そう言い切りたい。
哲学なら、デカルトに倣いたくなる。
―― パンセ/パスカル 著、津田穣 訳
―― 1952、新潮文庫
彼らは奪えないし 壊すこともない
世界はただ妬むばっかり
―― ありあまる富/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、2009、EMIミュージック・ジャパン
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- 2018年07月13日 12:12 |
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僕は、ジョン・レノンを曲解しているし、
三時の知識もないし、
デカルトも解っていない。
何も知らない、ってことになるけれど、
それでもいいんだ。
自分が考える、ということだけで。
Imagine を検索しても、
誰もそんなことは書いていないし、
三時は、僕に理解できるような、
簡単な教えではないし、
自由とデカルトは、
何の関係もないのだろう。
知識がある、ってことが、
世の中的に、賢いと呼ばれているのは、
僕も知っているけれど。
でも、知識を頭に詰め込んで、
もの知りになっていくことの価値は、
どこにあるのだろう。
知識の量が多くなるにつれて、
人は考えなくなる。
知っていることは考えない。
解っていることは考えない。
知識があることを賢いと呼ぶのなら、
考える人は馬鹿になるけれど、
我思う、ゆえに我あり、
僕は考える、ゆえに僕があると思っている。
夕方5時のチャイムが 今日はなんだか胸に響いて
「運命」なんて便利なもので ぼんやりさせて
―― 若者のすべて/フジファブリック
―― 志村正彦 作詞作曲、2007、EMI Music Japan
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- 2018年07月12日 12:08 |
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自由とは、例えば、
がちがちのぐるぐるに、
自分を縛りつけていた世界から、
自分が離れることである、
としてみる。
ルネ・デカルトは、
世界と自分を切り離すことで、
自由になろうと試みた。
自分が考える、ということだけで、
確かに自分を存在させる。
自分が考える、それだけを頼りに、
デカルトは、世界から脱け出そうとする。
我思う、ゆえに我あり、
ってのは、そういうことだ。
考えることで、自分が世界から分離する。
安易で、大雑把で、正確さを欠くけれど、
解ったふりをして、
解らないよりはいいんだ。
我思う、ゆえに我あり、なんて、
意味も解らずに丸暗記するよりも、
僕には、全然いいんだ。
自分が考える、ということのほうが。
何もそんな難しい事 引き合いに出されても
知りません全然 だから気にしないぜ とにかく行こう
―― イージュー☆ライダー/奥田民生
―― 奥田民生 作詞作曲、1996、Sony Records
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- 2018年07月10日 12:18 |
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それ以前に戻るのは、きっと、
それ以後に変わるよりも難しい。
仏教思想では、仏陀が死んだ後の時代を、
正法、像法、末法の三時に区分する。
後世になるにつれて、
次第に仏教が形骸化、無力化する。
正法五百年、像法千年、末法一万年。
期間については説が分かれるが、
何百年でも、何千年でも、
そんなことは、まったくどうでもいい。
それは、未来を予言するような、
スピっぽい話ではなくて、
仏教が形骸化、無力化するのは、
認識の枠組みが変わるからである。
僕が安易にそう考えるだけで、
そんなに簡単な思想ではない、と思うけれど。
考え方を支配する認識の枠組みは、
五百年も経てば、すっかり変わる。
古い経典は、僕たちの考え方でも読める。
僕たちの考え方でも理解できる。
でも、僕たちは、五百年前の考え方では読めない。
僕たちの考え方以外では理解できない。
枠組みの支配を受けて、
仏教も、枠組みに隷属する。
変わってしまった考え方は、
もう二度と戻せない、
仏教は、そう言いたいだけなんだ。
始めませふ 安易な位置づけ
属隷の興行 簡単な選択
―― 真夜中は純潔/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、2001、東芝EMI
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- 2018年07月09日 12:03 |
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それ以前に戻るのは、きっと、
それ以後に変わるよりも難しい。
例えば、国。
国、それ以前。
Imagine there's no countries
It isn't hard to do
って歌を聴いて、
imagine できるという人は、
no countries を imagine することの、
hard さが解っていない。
国境なんて、人が勝手に引いた線で、
宇宙から観れば地球は、
なんてフレーズは、
道端で詩を売っている兄ちゃんや、
スピのセミナーを聞きに行く姉ちゃんに任せる。
全面的に任せる。
countries を想い浮かべて、
国境を消すのは違う。
それは、no countries ではない。
そんなのは、世界征服、地球征服だ。
一つの大きな国に置き換わっただけで、
依然として、国は残っている。
imagine するべきは、
countries と言いながら、
no countries を想う矛盾だ。
―― Imagine/John Lennon
―― John Lennon 作詞作曲、1971、Apple Records
泳いでた私は パクリと飲み込まれて
いま胃袋の中 そしてクジラ支配する
―― モビー・ディック/小島麻由美
―― 小島麻由美 作詞作曲、2014、AWDR/LR2
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- 2018年07月08日 21:24 |
- 自由
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日本列島=日本国家=日本国民、
それらを、ぼんやりと等号で結び始めたのは、
どんなに早くても江戸の中期だろう。
日本国、っていう概念は、
明治になって作られて、
ゆっくりと国が固まってきた。
自由、ってのも同じように考えてみる。
政治的に、宗教的に、社会的に、
ヒエラルキーにがちがちに封じ込められていた頃なら、
自由なんてものはなかった。
自由ってのも、ほんの仮初めの、
浅い歴史しか持ち合わせていない。
自由ではなかった、のではない。
自由なんてものがなかった。
自由なんて知らなかった。
だから、自由も不自由もなかった。
有無ではなくて、空(くう)だった。
自由という概念がなかった。
自由は、自らに由(よ)る。
自由が成り立つためには、
あらかじめ、または同時に、
個人、ってのが成り立っている。
社会にぐるぐるに縛りつけられていた頃なら、
個人なんてものはなかった。
自由とは何か、なんて問いは、
僕には、無理かもしれない。
僕は、不自由ではなかった、のではない。
不自由なんてものがなかった。
不自由なんて知らなかったし、
そして、だから、個人だった。
僕は、自由でない、ってことを知らないし、
個人になる、ってことが分からない。
どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか
太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう
―― 本能/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、1999、東芝EMI
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- 2018年07月07日 22:12 |
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―― ぼくらが旅に出る理由/小沢健二
―― 小沢健二 作詞作曲、1996、東芝EMI
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- 2018年07月05日 21:23 |
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