努力をしたからといって夢はかなうわけでもないけど、
いままで夢をかなえた人で努力してこなかった人はいない。
―― 百田夏菜子
こんなのは、誰にでも言えるような、
よくある台詞かもしれないけれど、
僕には、「引き寄せの法則」よりも信じられる。
少々さぼっていても、
幸運が転がり込んでくることもある。
がんばっても、報われないことも多い。
それでも、努力しなければ夢はかなわない。
ももクロの百田は、まったく正しい。
法則、なんて呼べるような、
自然科学のようなものではないんだ。

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- 2018年09月30日 00:48 |
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例えば、資格試験に合格したいのなら、
教科書を読んで、過去問を解く。
それが、合格を引き寄せる方法だと思っている。
例えば、就職したいのなら、
彼氏彼女が欲しいのなら、
英語が話せるようになりたいのなら、
速く泳げるようになりたいのなら、
歌が上手くなりたいのなら、
やせてきれいになりたいのなら、
行ってみたい場所があるのなら、
それぞれ、常識的に引き寄せる方法があって、
総じて、努力、なんて呼ばれている。
僕は、「引き寄せの法則」なんてものが、
どんなものかは知らないけれど、
それが、常識的に引き寄せる方法とは、
別のこととしてあるのなら、
努力を嫌っている、としか思えない。
他人を軽視している、としか思えない。
僕だって、あまり常識的とはいえないけれど、
それでも、常識に逆らうときにこそ、
僕は、最も常識に配慮する。
常識は、他人がいることを意識して成り立つもので、
常識に反するときには、
他人に対して論証の義務を負うから。
スピリチュアルが語り出すのは、
いつも、哲学が黙り込む地点からである。
常識に反しながら、論証を放棄するのは、
他人を馬鹿にしていることにならないか。
中でも、努力している人たちを、
馬鹿にしていることにならないか。
とりわけ、努力しても、
報われなかった人たちを。
動画は削除されました
頑張って ダメで 悩んで 汗流して できなくって
バカなやつだって 笑われたって 涙こらえて
―― MR.LONELY/玉置浩二
―― 玉置浩二 作詞作曲、1997、Sony Records
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- 2018年09月29日 21:43 |
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しなければならない、ってのが、
答のない問いに耐える力を、ってことだ。
なんて、関連づけてみるけれど、
それで合っているのかどうかは知らない。
それが正しいかどうかなんて、
確かめるすべはない。
そんな思いつきは、たぶん、
この国で、僕が最初で最後だから。
変なことを言っている気がする、
なんて、よりにもよって、
ウィトゲンシュタインに対して、
そんなおこがましいことは誰も考えないから。
テクストを日本語で織り直すときの、
翻訳の問題は、いつも必ずついてくる。
糸も違うし、織り方も違う。
いつだって、パターンがずれてくる。
訳がずれているのかもしれないけれど、
しなければならない、ってのは、
身の程を知らない僕にはちょうどいい。
僕には、説明できないことを、
説明しようとする心の内を、
自分で抑え込むことは難しいから。
僕が今でも泳げないわけは
川で溺れたあいつのせいさ
―― カリント工場の煙突の上に/玉置浩二
―― 須藤晃 作詞、玉置浩二 作曲、1993、Sony Records
語り得ないことについては、
沈黙しなければならないが、
その裏は、語り得ることなら、
語らなければならない、になる。
それで合っているのかどうかは知らない。
その裏は、なんて、よりにもよって、
ウィトゲンシュタインに対して、
そんなおこがましいことは誰も考えないから。
語らなければならないのなら、
語り得ないことを語る人たちに対して、
語り得ることを語ってみようと思う。
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- 2018年09月28日 20:41 |
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リクールか、それとも、リオタールかもしれない、
「答のない問いに耐える力を」
なんてことを言っていた。
ウィトゲンシュタインの、
「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」
と共に、いつだって肝に銘じよう。
でも、改めて読み返すと、
ウィトゲンシュタインにしては、
変なことを言っている気がする。
語ることができないものごとについてなら、
黙っているしかない、のは当然だ。
もとより、語り得ないのだから。
語り得ないものは、語り得ない。
同語反復で循環させれば、間違いがない。
何も言っていないから、間違えようがない。
雨が降る日は、天気が悪いんだ。
昨日の夢 オレンジ色の翳り
今日の夢 沈黙の気配示す
―― 色彩のブルース/EGO-WRAPPIN'
―― 中納良恵 作詞作曲、2001、Universal Music
説教くさく、しなければならない、なんて言うのは、
僕たちは、語り得なくても、黙っていられなくて、
ついつい語ってしまうから。
沈黙を守るためには、まずは、
語り得るものごとの限界を知ること。
そして、ついつい語り得ないものごとまで、
語ってしまいたくなる自分に耐えること。
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- 2018年09月27日 19:27 |
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哲学は、カジュアル。
カジュアルでないとしたなら、
哲学をまとって、いったい、
どこに行くつもりなのか。
哲学は、日用品。
毎日の生活で使わないとしたなら、
哲学を手にして、いったい、
どこで使うつもりなのか。
ふだん着で、ふだん使いで、
汚れても、失敗しても構わずに、
気軽にするのが哲学だ。
自分の身体で、自分の感じ方で、
自分が分かる言葉で、
自分で哲学しないと意味はない。
でないと、似合わない服を着て、
使えない道具を持って、
難解な他人の哲学に、
分かったふりをすることになる。
そして 手は探る
あなたと居た町 思い出せなくなる前に
―― のうぜんかつら(リプライズ)/安藤裕子
―― 安藤裕子 作詞、安藤裕子、山本隆二 作曲、2006、cutting edge
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- 2018年09月25日 00:03 |
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ところで、「みんなちがって、みんないい」なんて標語は、
この国の国語教育においては、まるで通用しない。
テストでは、「みんなちがって、みんないい」の意味を、
次の4つのうちから選びなさい、なんて出題されるから。
この詩の感想文を書かせて、
点数をつけて、いいから悪いまで順番に並べるから。
論理的に解ける問題は、すべて、
問いの中に答が隠されているけれど、
出題者は、自分が何を言っているのかが、
まるで分かっていないように思われる。
小学生なら、答を選んでも構わない。
でも、僕たちは、いつまで、
先生と、答合わせをするつもりなのか。
―― 私と小鳥と鈴と/KONISHIKI
―― 金子みすゞ 作詞、BANANA ICE 作曲、2006、Warner Music Japan
―― 金木犀の夜/きのこ帝国
―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan
ところで、選曲は、
きのこつながり、だったりする。
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- 2018年09月24日 00:14 |
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詩のタイトルは、
「私と小鳥と鈴と」である。
鈴に接尾された「と」は、
読み手が、さらに任意の何かを、
つけ加えることを許容する。
テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。
私と小鳥と鈴と、ってのは、
人と、人を除く生きものと、無生物であり、
形あるものすべてといってもいい。
では、それらに何をつけ加えても、
私か小鳥か鈴のいずれかと、
同じ要素で括られる。
違い、ではなく、同じ、を作る。
鈴と、小鳥と、それから私を、
「みんなちがって、みんないい」と結ぶが、
ここでの「いい」は、おそらく、
積極的な価値判断ではない。
みんな違っていいし、同じでもいい。
金子みすゞは、違うこと対して「いい」と、
肯定しているわけではないだろう。
僕には、みんな違う、ってのと、
みんないい、ってのは、
並列に対置しているように読める。
「みんなちがうから、みんないい」ではない。
「みんなちがって、みんないい」である。
テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。
「みんなちがって、みんないい」を、
個性とか、only one とか、
さらには、差別とか、いじめとか、
そんな文脈での標語にするのなら、
それは、違いを違いとして肯定して、
その違いに価値の上下を、
つけられない意味になる。
「みんなちがって、みんないい」を、
テクストから切り取って、
詩から離れたところで、
みんなの手垢にまみれさせて、
また戻して、縫い合わせようとしても、
もう、金子みすゞの織り方で、
織られたテクストには戻らない。
テクストは、そんなふうに、
わずかに意味を変えてくる。
だいたい夜はちょっと感傷的になって
金木犀の香りを辿る
―― 金木犀の夜/きのこ帝国
―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan
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- 2018年09月22日 00:04 |
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金子みすゞの詩は、
飾らないけれど、思いやりのある言葉で、
僕たちに語りかけてくる。
―― なんてことを書こうと思えば、
たぶん、僕にだって書ける。
ついつい見過ごされてしまう小さなもの、
例えば、鈴や、小鳥に対しても、
優しいまなざしを向けて、真実を見つめる。
そして、誰かの悲しみを自分の悲しみとして、
―― なんてことなら、いくらでも。
金子みすゞに思いやりとか、
優しさを見つけることで、
それを表向きの理由にして、
自分の思いやりや、
優しさを見せつけることくらい、
金子みすゞの悲しみを踏みつけにして、
自分の心の豊かさをひけらかすことくらい、
鈍感で、心のない僕にだって、いくらでも。
だいたい夜はちょっと感傷的になって
金木犀の香りを辿る
―― 金木犀の夜/きのこ帝国
―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan
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- 2018年09月21日 00:02 |
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私が両手をひろげても、
お空はちつとも飛べないが、
飛べる小鳥は私のやうに、
地面を速くは走れない。
私がからだをゆすつても、
きれいな音は出ないけど、
あの鳴る鈴は私のやうに、
たくさんな唄は知らないよ。
鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがつて、みんないい。
―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ
個性とか、only one とか、
さらには、差別とか、いじめとか、
どうすれば、この詩を起点に、
そんなに遠くまで行けるのだろう。
「みんなちがって、みんないい」が、
一人歩きをしていないか。
「みんなちがって、みんないい」の、
ゲシュタルト崩壊ではないのか。
小鳥は、ふつうは空を飛ぶし、
鈴は、ふつうは揺すれば音を出す。
私が、走れるのも、唄を知っているのも、
そんなのは、没個性ではないのか。
個性なら、速く走れる鳥や、
たくさんの唄を知っている鈴にある。
あるいは、個性は、飛ぶことも、
走ることもできない鳥にある。
唄も知らないし、
音も出さない鈴にある。
だいたい夜はちょっと感傷的になって
金木犀の香りを辿る
―― 金木犀の夜/きのこ帝国
―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan
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- 2018年09月20日 12:21 |
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鈴と、小鳥と、それから私、
みんなちがって、みんないい。
―― 私と小鳥と鈴と/金子みすゞ
タイトルは「私と小鳥と鈴と」だから、
接尾された「と」を受けて、
さらに任意の何かを加えてもいいけれど、
とりあえず、この詩では、
鈴と、小鳥と、それから私、
その3つを括って、「みんな」と呼んでいる。
だから、結びの「みんなちがって、みんないい」、
そこだけを切り取ると、
この詩を台なしにしてしまう。
比べられないものを比較する、
僕たちには、そんなことができないから、
比べられるものを比較してしまう。
詩は、できないことを擁護する。
できないことでも、そのまま書くことを許容する。
できることなら、詩の形を借りなくてもいいんだ。
「みんな」なんて言い方は、
ふつうは、人と人と人と、を思わせる。
私と誰かと誰かと、の意味になる。
せっかく、比較から離れたのに、
最後になって、僕たちは引き戻される。
人と人と人と、を比べずにいられない。
「みんなちがって、みんないい」、
詩から切り離して、そこだけを一人歩きさせて、
たいていは、道徳くさい話が添えられるけれど、
この詩についての感想を書くのなら、
誰かの説教じみた詩論をコピペするよりも、
詩に戻って、詩を読んだほうがいい。
この詩は、ずいぶん遠くまで来てしまっている。
だいたい夜はちょっと感傷的になって
金木犀の香りを辿る
―― 金木犀の夜/きのこ帝国
―― 佐藤千亜妃 作詞作曲、2018、Universal Music Japan
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- 2018年09月19日 00:37 |
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