041、
>そんなルールのゲームはする気がしない。
ルールがゲームを構成しているときに、
ルールが間違えているはずがない。
例えば、囲碁なら、囲碁のルールが囲碁である。
こんなのは囲碁とは呼ばない、とか、
本当の囲碁はこんなものではない、とか、
それらは、すでに構成されたルールに依拠する話で、
否定するのは無理な話だ。
042、
>そんなルールの恋愛はする気がしない。
できないことは、しなくてもいいけれど。
恋愛なんてする気がしない、
恋愛をする意味が分からない、
なんて言われても、応える気がしない。
わざわざしなきゃならないことではない。
そんなのは、恋愛に価値を置いた環境で、
途中まで育たないと、無理なのではないか。
043、
>そんなルールの勉強はする気がしない。
できないことは、しなくてもいいけれど。
損得抜きに勉強する人もいるし、
何か得をすることがなければできない人もいるが、
しなくてもいい環境に置かれたときは、
わざわざしなきゃならないことではない。
今年は、まだ一冊も本を読んでいない、
そんな大人は、いくらでもいる。
044、
>そんなルールの努力はする気がしない。
できないことは、しなくてもいいけれど。
努力する能力は、すべての人が、
生得的に持ち合わせているわけでもないし、
等しく習得しているわけでもないだろう。
しなくてもいい環境に置かれたときは、
努力などやりようがないのが当然で、
わざわざしなきゃならないことではない。
045、
>そんなルールの人づきあいはする気がしない。
できないことは、しなくてもいいけれど。
できないことをしようとしても仕方がない。
ルールを否定した人づきあいは、できないことである。
こんなのは人づきあいとは呼ばない、とか、
本当の人づきあいはこんなものではない、とか、
それらは、すでに構成されたルールに依拠する話で、
否定するのは無理な話だ。

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- 2020年08月30日 00:00 |
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031、
>生まれてきたことは、愚かしい。
「自分が生まれてきたこと」が愚かしいとしても、
「人が生まれてきたこと」が愚かしいとは限らない。
そんなのは、愚かしいと思う人たちの間で、
勝手にそう思っていてくれても構わないが、
深刻ぶってみせても、それは、
生まれてきてよかった、という純朴な感想と大差はない。
032、
>生まれてきたことは、害悪である。
「自分が生まれてきたこと」が害悪だとしても、
「人が生まれてきたこと」が害悪とは限らない。
そんなのは、害悪と思う人たちの間で、
勝手にそう思っていてくれても構わないが、
深刻ぶってみせても、それは、
生まれてきてよかった、という純朴な感想と大差はない。
033、
>生まれてきたことは、災厄である。
「自分が生まれてきたこと」が災厄だとしても、
「人が生まれてきたこと」が災厄とは限らない。
そんなのは、災厄と思う人たちの間で、
勝手にそう思っていてくれても構わないが、
深刻ぶってみせても、それは、
生まれてきてよかった、という純朴な感想と大差はない。
034、
>生まれてきたことは、無価値である。
「自分が生まれてきたこと」に価値がないとしても、
「人が生まれてきたこと」に価値がないとは限らない。
そんなのは、価値がないと思う人たちの間で、
勝手にそう思っていてくれても構わないが、
深刻ぶってみせても、それは、
生まれてきてよかった、という純朴な感想と大差はない。
035、
>生まれてきたことは、無意味である。
「自分が生まれてきたこと」に意味がないとしても、
「人が生まれてきたこと」に意味がないとは限らない。
そんなのは、意味がないと思う人たちの間で、
勝手にそう思っていてくれても構わないが、
深刻ぶってみせても、それは、
生まれてきてよかった、という純朴な感想と大差はない。

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- 2020年08月28日 00:00 |
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026、
>ゲームのルールに従わない人は、
>ゲームをしていない。
ゲームをするには、ゲームのルールに従わざるを得ない。
ゲームのルールが、ゲームを構成する。
ルールの外し方が、その人らしさであっても、
まったく逸脱しているのなら、そもそも、ゲームをしていない。
誰もそれを、ゲームをしているとは思えないからである。
027、
>恋愛のルールに従わない人は、
>恋をしていない。
恋愛をするには、恋愛のルールに従わざるを得ない。
恋愛のルールが、恋愛を構成する。
ルールの外し方が、その人らしさであっても、
まったく逸脱しているのなら、そもそも、恋をしていない。
誰もそれを、恋をしているとは思えないからである。
028、
>学ぶことのルールに従わない人は、
>学んでいない。
学ぶには、学ぶことのルールに従わざるを得ない。
学ぶことのルールが、学ぶことを構成する。
ルールの外し方が、その人らしさであっても、
まったく逸脱しているのなら、そもそも、学んでいない。
誰もそれを、学んでいるとは思えないからである。
029、
>努力のルールに従わない人は、
>努力をしていない。
努力をするには、努力のルールに従わざるを得ない。
努力のルールが、努力を構成する。
ルールの外し方が、その人らしさであっても、
まったく逸脱しているのなら、そもそも、努力をしていない。
誰もそれを、努力をしているとは思えないからである。
030、
>人と関わることのルールに従わない人は、
>人と関わっていない。
人と関わるには、人と関わることのルールに従わざるを得ない。
人と関わることのルールが、人と関わることを構成する。
ルールの外し方が、その人らしさであっても、
まったく逸脱しているのなら、そもそも、人と関わっていない。
誰もそれを、人と関わっているとは思えないからである。
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- 2020年08月26日 00:00 |
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021、
>大切なものは、目には見えない。
では、本は、無条件に大切だ。
本は、景色でも、想いでも、考えでもないのに、
文字だけで読み手に景色を見せて、
想いを伝えて、考えさせる。
022、
>逆は、目に見えないものは、大切なもの。
本を読めば、目に見えるものは、
目に見えないものからできていることが分かる。
その、目に見えないものが、
目に見えるものよりも、大切なものである。
023、
>裏は、大切でないものは、目に見えるもの。
何かを見ても、何も感じない人は、
確かに目に見えていたとしても、
何も見ていなかったのと同じであり、
見えていなかったのと同じことになる。
024、
>対偶は、目に見えるものなら、大切ではない。
目に見えるもの、それ自体よりも、
大切なものは、目には見えないもの。
分かる人には、分かるもの、
分からない人には、分からないもの。
025、
>分からない人には、分からないもの。
書き手の想いや考えを、読み手に蘇(よみがえ)らせることは、
いつだって、失敗することが宿命づけられている。
大切なものは、拾い上げる人には、分かるもの、
見過ごしてしまう人には、分からないもの。

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- 2020年08月25日 00:00 |
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016、
>井の中の蛙から、海の話を聞かされても、
>的外れで、聞いていられない。
>とりわけ、毎日、海で泳いでいる人にとっては。
どちらがいい、悪いの話はしない。
井の中にいても、海に泳ぎに行っても。
悪いとすれば、語れない海の話をすることが悪い。
017、
>井蛙不可以語於海者、拘於虚也 ―― 荘子、
>井の中の蛙と、海についての言葉が通じないのは、
>蛙が作り上げた虚構について語るから。
どちらがいい、悪いの話はしない。
井蛙(せいあ)が作り出した虚構と、僕たちが作り出した虚構は、
異なる虚構だ、っていう、それだけのこと。
018、
>そんな人とは、生きることについての言葉が通じない。
>まともに生きたことがない人は、
>自分が作り上げた虚構について語るから。
作り出した虚構は、人それぞれ、異なる虚構だ。
他人の虚構について、考えること、考えようと努めることは、
できないことではないが、哲学よりも難しい。
019、
>海で泳いでいる人から、井底(せいてい)の話を聞かされても、
>的外れで、聞いていられない。
>とりわけ、井戸から出たことがない人にとっては。
どちらがいい、悪いの話はしない。
海に泳ぎに行っても、井の中にいても。
悪いとすれば、語れない井底の話をすることが悪い。
020、
>そんな人とは、生きることについての言葉が通じない。
>いわゆる、まともに生きている人だって、同じく、
>自分が作り上げた虚構について語るほかはないもの。
他人の虚構について、考えること、考えようと努めることは、
哲学よりも難しいが、大切なことである。
ひたすら、言葉を通じさせるために。
最後の花火に今年もなったな
何年経っても思い出してしまうな
―― 若者のすべて/フジファブリック
―― 志村正彦 作詞作曲、2007、EMI Music Japan
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- 2020年08月24日 00:00 |
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011、
>まともに働いたことがない人に、
>働くことが馬鹿らしいと言われても、
>まったく意に介さなくていい。
井の中の蛙から、海の話を聞かされても、
的外れで、聞いていられない。
とりわけ、毎日、海で泳いでいる人にとっては。
012、
>まともに努力をしたことがない人に、
>努力することが馬鹿らしいと言われても、
>まったく意に介さなくていい。
井蛙不可以語於海者、拘於虚也 ―― 荘子、
井の中の蛙と、海についての言葉が通じないのは、
蛙が作り上げた虚構について語るから。
013、
>まともに生きたことがない人に、
>生きることが馬鹿らしいと言われても、
>まったく意に介さなくていい。
そんな人とは、生きることについての言葉が通じない。
まともに生きたことがない人は、
自分が作り上げた虚構について語るから。
014、
>では、毎日、働いている人から、
>働くことは馬鹿らしくないと言われても、
>まったく意に介さなくていい。
海で泳いでいる人から、井底(せいてい)の話を聞かされても、
的外れで、聞いていられない。
とりわけ、井戸から出たことがない人にとっては。
015、
>そして、まともに生きている人から、
>生きることが馬鹿らしくないと言われても、
>まったく意に介さなくていい。
そんな人とは、生きることについての言葉が通じない。
いわゆる、まともに生きている人だって、同じく、
自分が作り上げた虚構について語るほかはないもの。

ブログを更新して、今日も終われリ。
過ぎてしまえば、うたかたの夏。
クラムボンはわらったよ。
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- 2020年08月23日 00:00 |
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006、
>働くことは、馬鹿らしい。
「自分が働くこと」が馬鹿らしいとして、
働いている人が馬鹿みたいに思えても、
「人が働くこと」が馬鹿らしいとは限らない。
007、
>結婚することは、馬鹿らしい。
「自分が結婚すること」が馬鹿らしいとして、
結婚している人が馬鹿みたいに思えても、
「人が結婚すること」が馬鹿らしいとは限らない。
008、
>学ぶことは、馬鹿らしい。
「自分が学ぶこと」が馬鹿らしいとして、
学んでいる人が馬鹿みたいに思えても、
「人が学ぶこと」が馬鹿らしいとは限らない。
009、
>努力することは、馬鹿らしい。
「自分が努力すること」が馬鹿らしいとして、
努力している人が馬鹿みたいに思えても、
「人が努力すること」が馬鹿らしいとは限らない。
010、
>生きることは、馬鹿らしい。
「自分が生きること」が馬鹿らしいとして、
生きている人が馬鹿みたいに思えても、
「人が生きること」が馬鹿らしいとは限らない。
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- 2020年08月22日 00:00 |
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001、
>働きたくないから、働かない。
でも、どうしようもない感情が残される。
普通に働いて、普通の生活をしてみたいという、
普通の感情を持った自分でありたかった、
それだけは、どうしようもなく残される。
002、
>結婚したくないから、結婚しない。
でも、どうしようもない感情が残される。
ありふれた結婚をして、ありふれた生活をしてみたいという、
ありふれた感情を持った自分でありたかった、
それだけは、どうしようもなく残される。
003、
>学びたくないから、学ばない。
でも、どうしようもない感情が残される。
人並みに学んで、人並みの生活をしてみたいという、
人並みの感情を持った自分でありたかった、
それだけは、どうしようもなく残される。
004、
>努力したくないから、努力しない。
でも、どうしようもない感情が残される。
よくある努力をして、よくある生活をしてみたいという、
よくある感情を持った自分でありたかった、
それだけは、どうしようもなく残される。
005、
>生きたくないから、生きない。
でも、どうしようもない感情が残される。
当たりまえに生きて、当たりまえの生活をしてみたいという、
当たりまえの感情を持った自分でありたかった、
それだけは、どうしようもなく残される。

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- 2020年08月21日 00:00 |
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