>(幸せとは)瞬きもせずに目を凝らしても
>見付かる類のものじゃない
なんて歌詞が、
>自由も、平等も、幸福も、進行形の行為を離れて、
>それら単独で存在することはない。
なんて意味を持つのかどうか。
なんて問いは、まったく問題にならない。

―― Daisuke Richard
問題になるとするなら、前提として、歌詞は、
その意味が明確に決められていなければならない、
ってことになる。
歌詞は、論文ではない。
こんなふうに読まれなければならない、
って類(たぐい)のものではない。
音楽も、映像も、芸術ってのは、みんなそうだ。
おおよそ芸術なら、観る者、聴く者を、
意味の創造に駆り立てる。
今どきの、流行りの歌に、力はあるか。
どんな歌が、力を持つのか。
どんな歌詞が、力を殺(そ)ぎ、力を与えるのか。
それは、感受しようとする心に、力を伝えるか。
観る者、聴く者を、駆動させるか、って問い直され、
小恥ずかしいけれど、大げさに言うのなら、
それが、感動、ってことだろう。
夢ならばどれほどよかったでしょう
未だにあなたのことを夢にみる
―― Lemon/米津玄師
―― 米津玄師 作詞作曲、2018、Sony Music Records
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- 2020年11月30日 00:00 |
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>進行形の行為を描き、
>サ変動詞を見つけることかもしれない。
自由も、平等も、幸福も、進行形の行為を離れて、
それら単独で存在することはない。
それらが、自分とは別のどこかで生成されていて、
受け取りに行けるわけではない。
どこかに、それらがあるものとして探すときには、
例えば、幸福、なんて言葉を使いながら、
僕たちは、不幸を数え上げることになる。

―― Daisuke Richard
瞬きもせずに目を凝らしても
見付かる類のものじゃない
―― 瞬き/back number
―― 清水依与吏 作詞作曲、2017、UNIVERSAL SIGMA
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- 2020年11月29日 00:00 |
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例えば、哲学、例えば、恋愛、例えば、努力。
哲学する、恋愛する、努力する、
なんてふうに、サ変動詞の多くは、
名詞に、する、がついた複合語である。
もともと、この国になかった名詞を、
無理に動詞にするときはこうなるが、
自由する、なんてのは動詞にはならない。
束縛する、統制する、専制する、とは言うけれど。
不自由する、と言うことはあっても、
自由する、とは言わない。
平等する、公平する、とも言わない。
差別する、とは言うけれど。
幸福する、とも言わない。
幸福は、それ自体が実体としてあるものではなく、
何らかの行為によって生成されるのに。
自由も、平等も、幸福も、その意味は、
進行形の行為を描き、
サ変動詞を見つけることかもしれない。

―― Daisuke Richard
歓びの歌が聴こえてくる ささやかな幸せ願うように
澄み渡る空をふと見上げる 今夜 どんな君に会えるだろう
―― 灯り/ストレイテナー×秦基博
―― ホリエアツシ、秦基博 作詞作曲、2017、Virgin Music
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- 2020年11月28日 00:00 |
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「あるのはただ解釈のみ」ではあるけれど、
僕たちは、他人のことは行動で解釈するのに、
自分のことは意志で解釈する。
それは、あるのはただ解釈のみ、なんて、
言えたりする所以(ゆえん)でもある。
他人に対しては、行動がすなわち思考で、言葉なのに、
自分には、「人の悪口ばかり言って、
自分は何もしようとしない」のも許容する。
他人に対しては、「あるのはただ行動のみ」を、
要求するほかはないくせに。
自分にとっても、あるのは行動のみで、
その背後にあると思われる意志を否定してみれば、
意志なんてのは、行動のパターンを示すものに、
名づけられた言葉に過ぎない。
行動を離れて、それ単独で存在することはない。
意志は、行動に随伴する現象に過ぎず、
行動を伴わなければ、自分への裏切りである。

―― Daisuke Richard
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- 2020年11月25日 00:00 |
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人が生きる客観的な意味なんて、
僕たちは知ることなどできない。
そもそも、客観、という立場さえない。
客観、という立ち位置が見つからない。
そんな問いに足を取られている限り、
思考はどこへも行き着かない。
だから、答を見出せる問いに作り変えて、
改めて、問い直してみると、
人は、どんなときに生きる意味や、
価値を感じることができるのだろう?
どんな人が、どんなときに、
昔は良かった、なんて思うのだろう?
どんな人が、どんなときに、
今どきの若者は、なんて言うのだろう?
そんなのが、答を出し合える問いになる。
生きる意味が分からない、なんて言われても、
言われた側には、いい迷惑でしかない。

―― The Dog、2007、Loretta Lux
みんなが同じ意味を生きているのなら、
検索窓に入力すれば済むけれど、そうでなければ、
生きる意味が分かってから生きる、なんてのは、
結果が分かってから決める、ってのに似ている。
決まってから決める、というのは、
端的に、論理矛盾、語義矛盾である。
分からないから、決めなきゃならない。
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- 2020年11月21日 00:00 |
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例えば、昔は良かった、なんてのに、リアルはない。
例えば、今どきの若者は、なんてのにも、リアルはない。
自分にとっては、リアルとしか言いようがない気分でも。
価値判断を伴わないリアルは存在しない。
価値判断なしには、いかなるリアルも存在できない。
しかし、価値判断なんてのは、自分のイメージである。
問いは、おおよそ、そんな問題に拘泥していても、
事実を確かめることができない問いであり、
昔は良かったも、悪かったも、等価である。
そんなのは、イメージの違いをアピっている言説が、
ふわふわと巷間を飛び交っているに過ぎなくて、
どちらに選好を示しても、価値に差はなく、
言われた側には、いい迷惑でしかない。
総じて「認識」という言葉が意味をもつかぎり、
世界は認識されうるものである。
しかし、世界は別様にも解釈されうるのであり、
それはおのれの背後にいかなる意味をももってはおらず、
かえって無数の意味をもっている。
―― 権力への意志、上/フリードリッヒ・ニーチェ 著、
―― 原佑 訳、1993、ちくま学芸文庫

―― The Dove、2006、Loretta Lux
いつの時代でも、良かったと思えるものごとは、
総じて、日々の努力の積み重ねであり、
若くても、年寄りでも、他人との関わりであり、
そこから得られるものごとである。
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- 2020年11月20日 00:00 |
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