決定論 ―― すべての出来事は、
因果律によって決定されている、ってこと。
宗教や、スピリチュアルや、占いっぽく言えば、
運命論とか、宿命論とか。
例えば、僕が床に撒き散らした砂粒は、
僕の手から離れたと同時に、
そのような模様になることが決められていた。
―― それなら、決定されていたと思う。
その上、僕が床に砂を撒き散らすことも決められていて、
―― それが、僕の運命で、
さらには、砂で描かれた模様が、
僕に何に見えるかも決められていたらしい。
―― それが、僕の宿命だ、ってこと。

げみ
しかし、僕が床に砂を撒き散らすことも決められていて、
それが、僕の運命で、避けられなかったとしても、
砂で描かれた模様が何に見えるかも決められていて、
それが、僕の宿命で、選べなかったとしても、
―― それを言って、何になるのだろう。
夢みた未来ってどんなだっけな
さよなら 昨日のぼくよ
―― 深呼吸/ハナレグミ
―― 永積タカシ 作詞作曲、2016、SPEEDSTAR RECORDS
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- 2021年04月17日 00:00 |
- 運命論
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子どもの頃に比べれば、僕たちは、
優しさを体現することが上手くなった。
表情も、仕草も、語彙も、発声も、その速度も、音量も、
意図しなくても、優しさを提示できるくらいになった。
もっと言えば、それしかできないくらいになった。
つまり、他人に対しては、意図しなければ、
僕たちは、優しくするしかなくなった。
僕たちは、自分の中に生まれてしまった優しさを、
持て余すことが少なくなった。
何を言えばいいのか、どう振る舞えばいいのか、
戸惑うことが少なくなった。
そういう意味では、僕たちは、
優しさに向き合うことがなくなった。
自分の下手っぴな優しさに、立ち尽くすような。
機械的に、手続き的にフォーマットに載せれば、
相手にも、機械的に、手続き的に優しさが伝わる。
共有するインデックスを指示するように、
見込み通りに、予想通りに優しさが届けられる。
上手な優しさの作法を手に入れた代わりに、
僕たちは、下手っぴな優しさの不作法を失った。
微かな痛みを抱えて、途方に暮れるような。
そんなのは、ないものねだりになるけれど。
きっと、弱くて、無能で、ふがいなかった自分が、
今も、優しさの底を支えている気がする。

何も知らない十四の秋 いつまで引きずる中二の時
ここらでそろぼち舵を切れ いま行け、未開の地
―― キリがないから/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月15日 00:00 |
- 優しさ
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物語の主人公なら、みんな、総じて、優しい。
嘘つきで、卑怯な人の物語など、
読みたくもないし、聞きたくもない。
観ていても、嫌悪感を募らせるだけ。
嘘つきも、物語に関与して嘘をつく。
嘘つきで、卑怯な人だって、
環境が揃わなければ、
嘘もつけないし、卑怯にもなれない。
では、物語に巻き込まれたときに、
優しい人は、主人公になる資格がある。
心は、環境と相互に作用して、
環境の側が、行動を起こさせる。
環境が揃ったときに、主役を演じて、
物語を作り出す資質を備えている。

嘘つきで、卑怯な人だって、
自分の物語を生きているけれど、
いつも、誰かに主役を奪われる。
自分には、汚れ役しか回ってこない。
自分の物語くらい、主役を引き受けなきゃ、
主役を張ることを続けなきゃ。
失って初めて気がつくなんて
そんなダサいこと もうしたくないのよ
―― 死ぬのがいいわ/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月14日 00:00 |
- 優しさ
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>或いは、努力することが苦にならない自分なら、
>いくらでも努力することができるのに、とか。
苦になることをするのが努力で、ぶっちゃけ、
それができれば、誰だって、苦労はしない。
労せずに反論を封じたいときには、
人それぞれ、とか、運命、とかが便利だ。
努力ができる、できないは、人それぞれ。
努力ができる、できないは、それぞれの運命。
努力したくても、できないのが運命。
反論をさせない、ということは、いきおい、
自分でも、どこにも答を見出せなくなるけれど、
差し当たり、他人を黙らせることはできる。
思考はどこにも行き着かなくなって、
やがては、自分も黙ることになるけれど。
というか、自分を黙らせるための説得を、
自分で自分にしてしまうんだ。
優しさ、の次は、運命論、を書いてみよう。
3日後の僕が、何を思いつくのかが知りたい。

>労せずに反論を封じたいときには、
>人それぞれ、とか、運命、とかが便利だ。
意図して使うのなら、コミュニケートするためではなく、
コミュニケーションを打ち切るために使われる。
>苦になることをするのが努力で、ぶっちゃけ、
>それができれば、誰だって、苦労はしない。
アホみたいな文章になったが、
苦労ができれば、苦労はしない、と簡約される。
苦労をしなければ、苦労はしない、とは違うから、
同語反復でもないらしい。
Honesty is such a lonely word, Everyone is so untrue
Honesty is hardly ever heard, And mostly what I need from you
―― Honesty/藤井風
―― Billy Joel 作詞作曲、1979、Columbia Records
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- 2021年04月13日 00:00 |
- 優しさ
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話は、また、逸れるけれど、
逸れてばかりだけれど、
服を買いに行く服がない、
ってのも、よくある構文で、
結論は、今、持っている、
ダサい服を着て買いに行くほかはない。
かっこいい服を揃えているのなら、
服を買いに行く必要がないと思われる。
困っている人に対して、
上手に優しさを表せるようになれたら、
優しくできるのに、
ってのは、僕がよく思うことで、
金銭的な余裕があったなら、
手を差し伸べることができるのに、
ってのも、僕がよく使う言い訳。
或いは、努力することが苦にならない自分なら、
いくらでも努力することができるのに、とか。

あれほど刻んだ後悔も くり返す毎日の中で かき消されていくのね
真っさらになった決意を胸に あんたは堂々と また肥溜めへとダイブ
―― 何なんw/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2019、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月12日 00:00 |
- 優しさ
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>タマゴとニワトリの、どちらが先なのかを知らない。
それは、誰のタマゴか、何のタマゴかが、
決められていないからである。
>不思議なことに、変わる、ってときにだけ、
>逆説的だけれど、先後の関係が生じなくなる。
>変わらないときに、先とか後とか言ったりするんだ。
なんて話も、タマゴとニワトリに絡めてみよう。
タマゴが先か、ニワトリが先か、ってのは、
問うことの無意味さに気づいたなら、
答える気がなくなる問いになる。
話は逸れるけれど、と書きながら、戻してくるけれど、
赤ん坊A が成長して、大人A になったときは、
当然、赤ん坊A が先で、大人A が後だ。
その大人A が、赤ん坊B を産んだときは、
当然、大人A が先で、赤ん坊B が後だ。
ニワトリのタマゴA が孵化して、
成長して、ニワトリA になったときは、
当然、タマゴA が先で、ニワトリA が後だ。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― それは、タマゴが先である。
そのニワトリA が、タマゴB を産んだときは、
当然、ニワトリA が先で、タマゴB が後だ。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― それは、ニワトリが先である。
時間は不可逆で、過去を先と呼び、現在を後と呼ぶ。
人も、卵細胞から考えれば、
タマゴが先か、ヒトが先か、って問いになる。
タマゴが先か、ニワトリが先か、って問えるのは、
どのタマゴも、どのニワトリも、
食べ物として、同じに観えているからだろうか。
次に、もともとニワトリでなかった鳥が、
進化か、退化か、ニワトリに変化した、としてみる。
もともとの鳥を、仮に、「ニトリ」と呼ぼう。
ニトリA がタマゴB を産んで、ニトリB が孵(かえ)り、
ニトリB が育ってタマゴC を産んで、ニトリC を孵した。
ニトリC が育ってタマゴD を産んで、
ここで、孵化したタマゴがニワトリD に育ったとする。
タマゴD が先で、ニワトリD が後だ。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― それは、タマゴが先である。
ニワトリの親ならニワトリだろう、ってことで、
ニトリC を親ニワトリと呼べば、
ニワトリC が先で、タマゴD が後になる。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― それは、ニワトリが先である。
しかし、ニトリの子ならニトリだろう、ってことで、
孵化した直後は、D はまだ、子ニトリだったはずである。
風変りな、醜いニトリの子として育ち、
成長したときに、実は、ニワトリだったという物語だ。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― それは、同時である。
ニトリD がニワトリと呼ばれるのと同時に、
ニトリC も親ニワトリと呼ばれることになる。
何が先か、という問いなら、
―― 変化するのが先である。

次に、何もないところから、
いきなりニワトリが創造された、としてみる。
最初に、タマゴのかたちで創られたのか、
ニワトリのかたちで創られたのか。
タマゴが先か、ニワトリが先か、
―― そんなのは、どうでもいい。
それは神がしたことで、僕が考えることではない。
タマゴでも、ニワトリでも、ヒヨコでも。
あんたの軽ぃディス へでもねーよ あんたの軽ぃヘイト へでもねーよ
あんたの軽ぃマウント へでもねーよ へでもねーよ それでえーの?
―― へでもねーよ/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月11日 00:00 |
- 優しさ
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例えば、優しくなる方法、なんてものは、
概して、優しそうな見かけを作る戦術で、
優しさを表現する演技の模倣で、
演技、って語感が気に入らなければ、
優しさを、身体を使って表現する技量で、
優しさを、言葉を使って表現する技巧だ。
技術的なことだから、使える優しさは、
他人に優しくすることでしか身につかない。
身についていない優しさは、
使えない優しさであり、
そして、優しさが使えない人なら、
端的に言って、優しくない。
そもそも、その技術がないから困っていて、
その演技ができないから困っているのだが、
僕たちは、いつも、右足と左足の、
どちらを先に出していいのかが分からない。
タマゴとニワトリの、どちらが先なのかを知らない。
互いに循環する原因と結果だけれど、
そんなものは、どっちでもいい話で、
右足でも左足でも、どちらも自分の足であり、
タマゴに喩えても、ニワトリに喩えても、喩えられるのは、
どちらも自分にほかならない。
不思議なことに、変わる、ってときにだけ、
逆説的だけれど、先後の関係が生じなくなる。
変わらないときに、先とか後とか言ったりするんだ。

あなたは弱音を吐いて わたしは未練こぼして
最後くらい 神様でいさせて だって これじゃ人間だ
―― 帰ろう/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月10日 00:00 |
- 優しさ
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>僕たちは、卒(そつ)がない優しさを求めているのではない。
>自分だけに向けられた優しさを求めている。
例えば、自分のために作られたような服、ってのはある。
それが、たとえ、ユニクロに積まれているような服であっても。
逆に、自分だけのために作られたものでも、
受け取りたくないものは、自分のためのものにはならない。
多くの人にとっては、取るに足らない僕の駄文だって、
稀に、自分に宛てられたと思ってくれる人がいる。
そのギターを選んだ自分が、そのギターに選ばれる。
その人を選んで、その人に選ばれなきゃ、恋愛は始まらない。
優しさだって、選んで、選ばれて、優しさになるのだろう。

何も知らない十四の秋 いつまで引きずる中二の時
ここらでそろぼち舵を切れ いま行け、未開の地
―― キリがないから/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月09日 00:00 |
- 優しさ
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>そして、自分が表わした振る舞いのほかに、
>他人の中に、自分が現れないとするのなら、
>優しさは、ほとんど、他人のものである。
僕が優しさを向ける相手は、
僕の言葉を聞いているのと同時に、
或いは、僕の振る舞いを見ているのと同時に、
自分の言葉を聞いて、自分の振る舞いを見ている。
僕の言葉を聞く自分を聞いて、
僕の振る舞いを見る自分を見ている。
自分の内側から聞こえる優しさを聞いて、
自分の内側から投影する優しさを見ている。

>人の、とても上等な資質だから、
>持ってしまった優しさなら、どんなかたちであれ、
>抑えずに出してしまったほうがいい。
コミュニケートすれば、優しさは、相手のものである。
上等な資質が、相手のものになる。
ぬけた 阿呆なゲームいちぬけた 夜が 冷めた風に吹かれてた
ふらつかないで 踏みしめて 内なる風に吹かれて
―― もうええわ/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月08日 00:00 |
- 優しさ
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>優しさは、ほとんど、他人のものである。
単有のものではなく、共有のもので、
単独的なものではなく、共同的なもので、
自分のものではなく、みんなのものだ。
誰かが、独自の優しさを打ち立てて、
それが本当の優しさ、なんて押しつけられても、
僕が受け取るのは、優しさとは別の何かである。
その意味では、優しさには、本当も、嘘もない。
優しさは、第三者的に、間主観的に、価値中立的に、
行為の外形から、メタ認知されるものだ。
自分は優しさは、優しくないのではないか、
自分の優しさは、どうしてこんなに下手っぴなのか、
優しさは、そんな疑わしさに駆動されたものである。

失って初めて気がつくなんて
そんなダサいこと もうしたくないのよ
―― 死ぬのがいいわ/藤井風
―― 藤井風 作詞作曲、2020、UNIVERSAL SIGMA
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- 2021年04月07日 00:00 |
- 優しさ
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