人間の権利は、いかなるばあいにおいても
自然の法に基づかねばならない。
そして、自然の法と人間の権利、
そのどちらにも共通する大原則、
地上のどこにおいても普遍的な原則がある。
それは、「自分がしてほしくないことは
他者にもしてはいけない」ということ。
―― 寛容論/ヴォルテール 著、
―― 斉藤悦則 訳、2016、光文社古典新訳文庫
自分がしてほしくないこと。⇒ 他人にもしてはいけない。
他人にしていいこと。⇒ 自分もしてほしいこと。
脈絡もなく、吉野弘の「I was born」に振って、
脈絡をつけようと、ヴォルテールに戻して、
ここで問題にしたいのは、唐突に、反出生主義、である。
反出生主義なんて、中古車の窓枠を塗ることに、
リソースを傾けている僕が問うことではないけれど、
この思いつきは、思いのほか、きれいに嵌(は)まると思う。
自分が「存在」してほしくないこと。⇒ 他人も「存在」してはいけない。
他人が「存在」していいこと。⇒ 自分も「存在」してほしいこと。

げみ
ヴォルテールを、反出生主義につなげるのは、
無理がある、正しくない、間違えていて、愚かだけれど、またしても、
>正しい自分なら、もはや、考えるには及ばない。
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- 2021年07月30日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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―― やっぱり I was born なんだね ――
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
―― I was born さ。受身形だよ。
正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。
自分の意志ではないんだね ――
英語を持ち出すまでもない。
日本語だって同じこと。
例えば、僕は、本を読む、
本は、僕に読まれる。
読まれる、とは、
読む、の受身形である。
同様に、生まれる、とは、
生む、の受身形である。
日本語だって受動態。
死ぬ、だって本来は、
死なれる、ではないのか。
そんなことがあってから間もなくのことだったんだよ。
お母さんがお前を生み落としてすぐに死なれたのは ――。
―― I was born/吉野弘詩集
―― 小池昌代 編、1952、2019、岩波文庫

なんて読み方をする人は、
きっと、稀だから、
僕の読み方は間違いでいいけれど、
>正しい自分なら、もはや、
>考えるには及ばない。
>正しくない自分だから、
>正しさについて考える。
正しくありたい あれない寂しさが
何を育んだでしょう
―― まちがいさがし/Goose house
―― 米津玄師 作詞作曲、2019、Epic Records Japan
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- 2021年07月27日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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>命題(p ⇒ q)は、
>自分がしてほしくないことは、他人にもしてはいけない。
命題を真として、
逆も、裏も、対偶も、真偽は一致すると考えて、
偽(p ⇒ ¬q)は、
自分がしてほしくないことを、他人にするのは構わない。
その逆(¬q ⇒ p)は、
他人にしても構わないことは、自分がしてほしくないこと。
裏(¬p ⇒ q)は、
自分がしてほしいことを、他人にしてはいけない。
対偶(q ⇒ ¬p)は、
他人にしてはいけないことは、自分がしてほしいこと。
それらは、自分が他人にするのは構わないとしても、
同じことを、他人が自分にするのは許せないだろう。
裏と対偶に隠されたメッセージが、
意地悪すぎてたじろぐけれど、ともあれ、
自分がする分には、できないことではない。

げみ
もしも 君が彼らの言葉に嘆いたとして それは つまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈 何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる
―― ありあまる富/Goose house
―― 椎名林檎 作詞作曲、2009、EMIミュージック・ジャパン
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- 2021年07月26日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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>以前には、予め定められた意義を求めていた。
>もしも、正解が用意されているのなら、
>それを上手にトレースすればいい。
>正しい意義に沿って、正しく行動して、
>予定通りに、正しさを受け取ればいい。
>しかし、よりよく生きるためには、
>プリセットされた意義を求めないほうがいい。
>ここでは反対に、行動が人生の意義を作る。
正しい答を知れば知るほど、
人は考えることをやめてしまう。
正しい自分なら、もはや、考えるには及ばない。
正しくない自分だから、正しさについて考える。
正しくありたい あれない寂しさが
何を育んだでしょう
―― まちがいさがし/Goose house
―― 米津玄師 作詞作曲、2019、Epic Records Japan

げみ
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- 2021年07月25日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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人間の権利は、いかなるばあいにおいても
自然の法に基づかねばならない。
そして、自然の法と人間の権利、
そのどちらにも共通する大原則、
地上のどこにおいても普遍的な原則がある。
それは、「自分がしてほしくないことは
他者にもしてはいけない」ということ。
―― 寛容論/ヴォルテール 著、
―― 斉藤悦則 訳、2016、光文社古典新訳文庫
命題(p ⇒ q)は、
自分がしてほしくないことは、他人にもしてはいけない。
逆(q ⇒ p)は、
他人にしてはいけないことは、自分もしてほしくない。
裏(¬p ⇒ ¬q)は、
自分がしてほしいことは、他人にもしていい。
対偶(¬q ⇒ ¬p)は、
他人にしていいことは、自分もしてほしいこと。
逆も、裏も、対偶も、真偽は一致すると考えて、
他人に微笑んでほしい人なら、
自分はどうする?
すぐスマイルするべきだ
子供じゃないならね
―― スマイル/森七菜
―― 渡辺慎 作詞作曲、1996、2020、Sony Music Records

げみ
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- 2021年07月24日 00:00 |
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ドアバイザーに両面テープ。
幅5mm、厚さ0.16mmを5枚重ねた。
こんなのでは、半年もつかどうか。
でも、その時は、その時だから、
その時の自分に任せよう。
僕なら、なんとかしてくれる。
所要時間は、1時間30分。

上手にスマイル出来るね
こんな時は努力が必要さ
―― スマイル/森七菜
―― 渡辺慎 作詞作曲、1996、2020、Sony Music Records
いつでもスマイル、上手にスマイル、
目的があって、継続しているのなら、
それだって、努力にほかならない。
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- 2021年07月23日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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チャラチャラしたクルマには、
チャラチャラした人が乗り込んで、
オラオラしたクルマなら、
オラオラした人が乗っていて、
パラリラしたクルマからは、
パラリラした人が降りてくる。
そもそも、クルマに手を入れる人、
ってだけで、利口そうな気がしない。
先入観は良くない、その通りで、
偏見も良くない、ごもっともであるが、
でも、たいていは、先入観の通りだから、
なるほど、偏見もごもっともである。
おおよそ、クルマなんてのは、
きれいにする以外には、
何も手をかけないほうがいいけれど、
それでも、手を加えたいのなら、
進んで馬鹿を引き受けなきゃならない。
「灼けたアスファルトに打った鼓動を
確かに俺達は聴いたんだ」 Angel
―― One Night Carnival/Goose house
―― 綾小路翔 作詞作曲、2002、東芝EMI

げみ
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- 2021年07月21日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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以前には、人生には生きる意義があるのかどうかを
知ることが問題であった。
しかし、ここでは反対に、人生には意義がなければないだけ、
それだけよりよく生きられると思われる。
―― シーシュポスの神話/アルベール・カミュ
―― 清水徹訳、1969、新潮文庫
以前には、予め定められた意義を求めていた。
もしも、正解が用意されているのなら、
それを上手にトレースすればいい。
正しい意義に沿って、正しく行動して、
予定通りに、正しさを受け取ればいい。
しかし、よりよく生きるためには、
プリセットされた意義を求めないほうがいい。
ここでは反対に、行動が人生の意義を作る。
仕事も、恋愛も、勉強も、自分がやってみる前なら、
自分にとっての意義なんか分かるわけがない。
意義を抜かれた言葉は、飛び交う情報、言語ゲーム。
分かったふりをすることだけが上手くなる。
もしも 君が彼らの言葉に嘆いたとして それは つまらないことだよ
なみだ流すまでもない筈 何故なら いつも言葉は嘘を孕んでいる
―― ありあまる富/Goose house
―― 椎名林檎 作詞作曲、2009、EMIミュージック・ジャパン

げみ
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- 2021年07月20日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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人生が苦労して生きるに値するか否か。
カミュは、結論する。
シーシュポスは幸福なのだ、
とイメージすべきである。
何回も、岩を山頂に運び、
その岩が頂きから麓(ふもと)に転げ落ちると、
また、何回でも、山頂に運び上げる、
なんてことを、幸福とイメージする。
以前には、人生には生きる意義があるのかどうかを
知ることが問題であった。
しかし、ここでは反対に、人生には意義がなければないだけ、
それだけよりよく生きられると思われる。
―― シーシュポスの神話/アルベール・カミュ
―― 清水徹訳、1969、新潮文庫
人生は苦労して生きるに値する。
というよりも、さらに言えば、
苦労しなければ生きるに値しない、
僕なら、そう結論する。
決して捕まえることの出来ない
花火のような光だとしたって
もう一回 もう一回 もう一回 もう一回
僕はこの手を伸ばしたい
―― HANABI/Mr.Children
何回でも ほら何回でも
積み上げてきたことが武器になる
―― 群青/Goose house
―― Ayase 作詞作曲、2020、YOASOBI

げみ
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- 2021年07月19日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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