>では、正気とは、―― 絶対的な正しさではなく、
>生活上の実践に利益があるかないかで決められる。
>善とは、―― 絶対的な善など望むべくもなく、
>共同体の利益になる行為かどうかで決められる。
正気と、善を、強引に定義した。
味もそっ気もない、プラグマティックな定義だと思う。
精神医療も、司法や行政も、みもふたもないような、
プラグマティズムだから、それでいい。
>義務教育、高等教育に適応して、
>組織に適応して働いて、
>恋愛に適応して、家庭に適応して、
>っていう、規格化が嫌い。
精神医療は、それらに適応できない者の病理を扱う。
では、病気とは、規格外のことである。
Model citizen in every way
May the road rise with you
―― Rise/Public Image Ltd.
―― John Lydon 作詞作曲、Bill O. Laswell 作曲、1986、Virgin

げみ
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- 2021年08月31日 00:00 |
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>例えば、中学に行って、高校に行って、
>就職して、結婚して、って当為性が嫌い。
主人公は、義務教育、高等教育に適応して、
組織に適応して働いて、
恋愛に適応して、家庭に適応して、
っていう、規格化が嫌い。
それらに適応できない者を、精神医療が扱い、
適法性に触れるのなら、司法、行政の領分だ。
乱暴に言って、つまり、狂気、
端的に言って、つまり、悪。
では、正気とは、―― 絶対的な正しさではなく、
生活上の実践に利益があるかないかで決められる。
善とは、―― 絶対的な善など望むべくもなく、
共同体の利益になる行為かどうかで決められる。

げみ
正気や、善は、おそらく、生きる意味を問うための、
大切な土台に数え上げられる。
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- 2021年08月30日 00:00 |
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生きること、に限らず、
絶対主義 ―― ものごとには絶対的な意味がある、
虚無主義 ―― そんなものはない、
そう二分すれば、ニーチェは虚無主義になる。
ニーチェは絶対主義を否定して、
しかし、虚無主義を批判した。
ものごとには、意味なんてないけれど、
だから、意味は自分で見つけろ、って言った。
自分で与えろ、自分で作れ、ってことだ。
ないものは、見つけられないもの。

げみ
以前には、人生には生きる意義があるのかどうかを
知ることが問題であった。
しかし、ここでは反対に、人生には意義がなければないだけ、
それだけよりよく生きられると思われる。
―― シーシュポスの神話/アルベール・カミュ
―― 清水徹訳、1969、新潮文庫
自分で意味を与える者、
自分で意味を作る者にとって、
最も邪魔になるものは、
プリセットされた意味である。
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- 2021年08月25日 00:00 |
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>人が生きる理由は何か、
>ってのは、今の自分が理解できる理由に、
>収めてしまってもいいのか。
なんだか、まるで関係のない話をしたくなった。
何から話せばいいのだろう。
高校1年の頃、僕は『りぼん』を読んでいた。
それ自体は、しかし、黒歴史、ではない。
もうほとんど憶えていないけれど、
同じクラスの女子が、
『りぼん』を読んでいるのを見かけて、
「高1にもなって『りぼん』て」みたいなことを、
僕は言ったのだと思う。
何も言い返さなかったその子には、
小学生の妹がいて、『りぼん』は妹と共有のもので、
それを知ったときに「ごめん」を言いそびれた僕は、
「ごめん」の代わりに、なぜか、
『りぼん』を読むという暴挙に出た。

げみ
僕が『りぼん』を読んだって、
何も伝わらないし、何も変わらない。
そんなことくらいは分かっていても、僕は、
無謀で、無策で、無為な購読を押し通した。
>他人との感覚的な通路を断ったままで、
>自分の思いを正当化させようともせずに。
>それが自分ですから、それが自分の感覚ですから、
そんなので自足させてしまった。
そっちが、僕の、黒歴史になっている。
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- 2021年08月24日 00:00 |
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人が生きる理由は何か、
ってのは、今の自分が理解できる理由に、
収めてしまってもいいのか。
ないものねだり、ではあるけれど。
14歳の自分に理解できた理由は、
23歳の自分が理解できる理由と同じか。
32と41では、どっちが嘘で、
どっちが本当になるのか。

げみ
分別盛りの50なら、
世の中に流通しているような、
誰にも反論されないような理由で、
分別くさく収まりをつけるのか。
先達に倣うのなら、
32や41の誰かの理由で、
14や23の自分を生きるのか。
60や70の誰かの理由で、
32や41の自分を生きるのか。
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- 2021年08月23日 00:00 |
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人が生きる理由、ってのは、
生きるには、何か理由がある、
ってことである。
そして、その理由は、ざっくり、
人で括ることができる、
ってことである。
つまり、おおよそ、人はみんな、
同じ理由で生きている、
ってことだろう。
以前には、人生には生きる意義があるのかどうかを
知ることが問題であった。
しかし、ここでは反対に、人生には意義がなければないだけ、
それだけよりよく生きられると思われる。
―― シーシュポスの神話/アルベール・カミュ
―― 清水徹訳、1969、新潮文庫
なぜみんな同じなのか、
そもそも、なぜ理由がいるのか、
そこは、考えないとして。
人が生きる理由は何か、
まるで他人ごとのような文字列は、
誰のことを言っているのだろう。
自分が生きる理由を、あらかじめ、
誰かに言い当てられるなんて、
そんなの、くやしくないか?
そんなの、うざくないか?
それよりも、自分なら、どんな理由にするんだ?
って問いに変えたほうがよくないか?
答を出し合える問いにならないか?

げみ
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- 2021年08月22日 00:00 |
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遺伝子を残すため?
嘘つけって。
なによりも、まず、
僕たちは、遺伝子ではない。
遺伝子が生きる理由なら、
それでも構わないとして。
僕たちは、人として、
何十年かを生きてきた後に、
人が生きる意味を問う。
なぜ生きるのか、って理由を問う。
遺伝子なんかで、
意味が足りるわけがない。
生きる意味を問わない者の、
生きる意味なら、
遺伝子で説明してもいいけれど。
生きる意味を問う者なら、
そんな答は、おおよそは、
人のものとして扱えないだろう。
塩基の並びなんて、
人に比べたら、おそらくは、
何の意味も書かれていないんだ。

げみ
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- 2021年08月21日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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