問題にしたいのは、もう一度、文体、である。
それは、確かめようがないけれど、
文体を持っている書き手なら、書き手よりも、
文体が書くことを規定しているのではないか、
なんて、訝(いぶか)しく思う。
文体に沿わせているうちに、ついつい、
書き手の意図よりも、文体が優位になって、
書き手は、文体の自己生成を制御できずに、
僕が取り繕いたいきれいごとなんて、
文体には見透かされている気がしてくる。
今日だって、僕は、たいした意図もなく書き始めて、
書かれた言葉が、続く言葉を探して展開させて、
僕は、どんな結論になっても構わなくて、
僕ではなくて、文体が終わりにしたがる時点で、
結びにしよう、なんて思っているもの。
そして、そろそろ終わりに近いのは、ここで、
文体が終わらせようとしているからに他ならない。

げみ
I'm not a man of too many faces
The mask I wear is one
―― Shape of My Heart/Sting
―― Sting 作詞作曲、1993、A&M Records
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- 2021年10月31日 00:00 |
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>では、僕は、多少なりとも、変てこなことを考えたわけで、
>自分の変てこさが分かっている、ってことは、
>当たりまえを知ってなきゃならない、ってことになり、
つまり、一周も二周も回ったような周到さで、
自らの否定も、自らの肯定も、自前で用意してくるような、
壊すために作り上げ、作り上げるために壊すような、
自分が独りで考えていることがすでに、
複数の人たちと一緒に考えているような考え方で、
さまざまな側面から、いくつかの位相が入っているような、
そんな思考の作法が、双方向性を担保してくれる。

げみ
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- 2021年10月30日 00:00 |
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壊すのか、保つのか、そんな二分ではなく、
例えば、歩く、ってことは、
バランスを壊すこと、壊したままで保つこと。
話は跳ぶけれど、人を作っている細胞は、
すべて細胞膜で覆われていて、それにより、
それぞれの細胞の内と外とが峻別されている。
細胞膜にはチャンネルがあって、
それを開いたり、閉じたりすることで、
内と外の分子の出入りを制御する。
細胞膜の内側にはK+(カリウム)、
外側にはNa+(ナトリウム)や、
Ca2+(カルシウム)が多く含まれ、
これらのイオンの濃度の勾配は、
さまざまな反応の方向を決定づける。
個々の細胞を統合するには、
脳が不可欠になるけれど、
その神経系の電気信号も、
これらのイオンの濃度勾配を利用している。
細胞が死んだ、ってことは、
細胞膜が決壊し、細胞のイオン濃度が、
平衡状態になっている、ってことだ。
壊し切らないこと、保ち切らないこと。
生命は、自らバランスを壊しながら、
壊れた状態を保つことで成り立っている。
破壊と保持は、例えば、そんなバランスで。

げみ
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say
―― Englishman in New York/Sting
―― Sting 作詞作曲、1988、A&M Records
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- 2021年10月29日 00:00 |
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>当たりまえを上手く壊せる、ってことは、
>当たりまえを知悉している必要があり、それは、
>極めて常識的な人でなきゃできないことになる。
以下、極めて常識的に、当たりまえを壊す試み。
常識、とは、広辞苑、電子版によると、
じょう‐しき【常識】 ―― (common sense)
普通、一般人が持ち、また、持っているべき知識。
専門的知識でない一般的知識とともに、
理解力・判断力・思慮分別などを含む。
「―のない人」
「sense」に対応する「識」なら、
仏教でいう、認識の作用を意味すると思われる。
僕たちは、眼、耳、鼻、舌、身、意の六識で、
色、声、香、味、触、法を認識する。
「sense」は「知識」に限られず、
一般人が、経験から身についた感覚である。
ところで、そんなものを壊してどうなるのだろう。
常識をぶち壊せ、とか、常識にとらわれず、とか、
それは、どういう意味だろう。
壊すとしたなら、それは、文化、ではないのか。
ぶん‐か【文化】 ―― ③ (culture)
人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果。
衣食住をはじめ科学・技術・学問
・芸術・道徳・宗教・政治など
生活形成の様式と内容とを含む。
文明とほぼ同義に用いられることが多いが、
西洋では人間の精神的生活にかかわるものを文化と呼び、
技術的発展のニュアンスが強い文明と区別する。
文化は、人によって作られた人工物であり、
その社会において後天的に習得するものごとになる。
その社会の中で共有される考え方や価値基準の体系。
何度も壊され、何度も作られてきたものごと。

げみ
写真機は要らないわ 五感を持ってお出で
私は今しか知らない 貴方の今に閃きたい
―― 東京事変/閃光少女
―― 椎名林檎 作詞、亀田誠治 作曲、2007、EMI Music Japan
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- 2021年10月28日 00:00 |
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>当たりまえを上手く壊せる、ってことは、
>当たりまえを知悉している必要があり、それは、
>極めて常識的な人でなきゃできないことになる。
常識に安住していると、
自分が考える必要性を感じない。
みんながいてくれるだけでいい。
常識から離れたままでいることも、
自己充足、自己閉塞に安住することになる。
みんなはいなくてもいい。
自分が考えるだけでいい。

げみ
ところで、常識、って、どんな意味だっけ。
I am shinning in this moment, frame your shot
With your senses open wide, Leave that camera at your side
―― Put Your Camera Down/東京事変
―― 椎名林檎、Robbie Clark 作詞、亀田誠治 作曲、2016、Virgin Music
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- 2021年10月27日 00:00 |
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僕が考えたことを、他の誰かに説明できる、ってことは、
奇妙といえば、奇妙なことで、
誰にとっても、当たりまえなことなら、
僕は、考えることも、説明することもなくて、
では、僕は、多少なりとも、変てこなことを考えたわけで、
自分の変てこさが分かっている、ってことは、
当たりまえを知ってなきゃならない、ってことになり、
壊すべき当たりまえを示さなきゃ、
いきなり壊れたものを提示しても、
おおよそ、説明になるはずもなく、
当たりまえを上手く壊せる、ってことは、
当たりまえを知悉している必要があり、それは、
極めて常識的な人でなきゃできないことになる。

げみ
It takes a man to suffer ignorance and smile
Be yourself no matter what they say
―― Englishman in New York/Sting
―― Sting 作詞作曲、1988、A&M Records
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- 2021年10月26日 00:00 |
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>―― 僕たちの世界が、それ自体、客観的に存在していること、
>それだけですべてが描き出せるのなら、
>僕たちにとって、世界はどんなに簡単だろう。
問題にしたいのは、再び、文体、である。
術語も、難しい語句も使われていないし、
込み入っているけれど、単純な構文で、
ぶっちゃけ、たいしたことは書かれていない。
僕たちは、主観によって歪められた世界を観ている、
みたいな、ありふれたこと、ありきたりなこと。
そのまま、ありきたりに書くと味気ない。
かっこつけすぎると恥ずかしい。
くどいとうるさい、押しつけると暑苦しい。
文体によって書き手のキャラが決まり、同時に、
その文体に好意的な、読み手のキャラも限られる。
>僕くらいに文体に意識的な書き手はそうそういない。
意識的に、文体で、読み手の選別を図っている。

げみ
教えてよ 口に出した途端 言葉は裏切るものだと
唯独りにして 放っといて さようなら
―― 絶体絶命/東京事変
―― 椎名林檎 作詞、伊澤一葉 作曲、2010、EMI Music Japan
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- 2021年10月25日 00:00 |
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続いて考えるのは、モノローグ、ということ。
双方向を目指していても、言い出しっぺなら、
片方向から始めるほかはないけれど、
自己を絶対視した、閉鎖的なモノローグではなく、
双方向的、開放的で、変化にも寛容ぽく、
ダイアローグにつながるモノローグを醸(かも)してみる。
ダイアローグは、コメ欄が受け持ち、
モノローグ的な言語行為、思考の作法は、
コメントとしては適切ではないことになる。
心がけるのは、見掛け上の、らしさだけの対話ではなく、
思考の作法を双方向にすること。
外形ではなく、モードを移行させること。
なにより、書き手も、読み手も、対話を望んでいること。

げみ
自由 フェイクじゃない 元来の意味を見せて
騙るまじ 腐るまじ 追い続けていたい 貴様をずっと
―― 緑酒/東京事変
―― 椎名林檎 作詞、伊澤一葉 作曲、2021、Virgin Music
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- 2021年10月24日 00:00 |
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>対面コミュニケーションで話される言葉と、
>テキストコミュニケーションで書かれる言葉は、
>それぞれ、思いのほか異なっている。
フィリップ・アリエスの『〈子供〉の誕生』によれば、
書き言葉が一般的でなかった中世ヨーロッパには、
子ども、っていう概念がなかった。
つまり、子どもがいなかった。
話し言葉によるコミュニケーションが可能な、
7、8歳になれば、人として扱われるようになる。
大人として扱われる、と僕が書けなかったのは、
子どもがいなければ、大人もいなかったから。
大人、とは、書き言葉でコミュニケートできる人々、
子ども、とは、そのための学校に通う人々である。

げみ
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- 2021年10月23日 00:00 |
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対面コミュニケーションで話される言葉と、
テキストコミュニケーションで書かれる言葉は、
それぞれ、思いのほか異なっている。
片方向に最適化された書き言葉は、
レスの速さ、同期的なノリには不向きだ。
書き言葉の持つ正確さ、詳細さゆえに、
つまり、再現性の高さ、ディテールの散逸の少なさで、
―― 現実には、読み手のコンテクストごとに、
意味が散らばり、失われるとしても ――、
僕は、ブログのエントリの言葉を、書き言葉に依っている。
対して、コメ欄では、話し言葉っぽく変換される。
しかし、見掛け上の、らしさだけを変えても、
インタラクティブが担保されるわけではない。
会話をしているようなモードに移らなきゃ意味はない。
思考の作法を双方向にしなきゃ双方向性は生まれない。
LINE の吹き出しなどは、もちろんテキストではあるけれど、
それは、書き言葉ではなく、話し言葉と同然である。

げみ
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- 2021年10月22日 00:00 |
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