tetsugaku poet

qinggengcai

当たりまえの日常、について ―― 5/x


例えば、くしゃみの音が大きい人、
コーヒーを飲むときも、
カレーライスを食べるときも、
ずるずると音を立てる人、
必要以上に大きな声でしゃべる人。

周囲は迷惑だが、そんな鈍感さは、
当人にとっては、幸いなことだろう。
>疑わない者に、なぜ、はなく、
>問わない者に、疑問符はつかない。
>よって、純朴に、疑わない。

当人には、説明の必要がないんだ。
対して、迷惑を被る側は、説明できないことを、
何とかして説明しなきゃ収まらない。
ずるずると音を立てる悪因を探すのは、
ずるずると音を立てない人になる。

他人の悪因を探しても、自分に見つかるわけがない。
知る由(よし)もない原因の空白を、
空白のままで温存させることができずに、
挙証責任が転換されたけれど、
見つかっても、どうなるものでもなく、

例えば、次に隣のテーブルに来る迷惑な人たちが、
静かになるとは思えない。



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    杉87



    

    待てこら 未だ答えは聞けちゃ居ないのさ
    洗い浚い吐け 今宵は常套句なんて通用しないと思え

    ―― 喧嘩上等/東京事変
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2006、東芝EMI



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  1. 2021年11月30日 00:00 |
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当たりまえの日常、について ―― 4/x


「相手が悪い」ってことになれば、
当然に、相手の間違い探しが始まる。

日常の問題なら、当然に、
100%の正しさも、100%の間違いもなく、

1 から99 を認めるのが当然と思うけれど、
二極に分裂させるのが当然の人なら、

少しも肯定的に認めることはない。
相手の間違いだけが探される。

相手は、何かがおかしい、と思い始めるが、
おかしさを認め合うことはできないだろう。

おかしいのは、偏(ひとえ)に、自明性である。
「ゆえに、だから、当然に、したがって」である。

つまり、「当たりまえ」が違うんだ。



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    杉87



    

    いつのどこの何者でもない
    誰もが独りぼっち ネットなど見ている

    ―― 仏だけ徒歩/東京事変
    ―― 椎名林檎 作詞作曲、2021、Universal Music Japan



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  1. 2021年11月29日 00:00 |
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当たりまえの日常、について ―― 3/x


>「自分は悪くない」=「相手が悪い」、
>この等式を疑わない人がいる。
そもそも、「自分は悪くない」、そのことを、

>なぜ、疑わない? と問いたくなるけれど、
それだって、純朴に、疑わない。
だから、当然に、論証抜きに取り入れる。

「自分は悪くない」、
それは自明であり、したがって、それゆえに、
自明性によって抜け落ちる。

省略された前提になって、
良いも悪いも、意識に上ることはない。
残されるのは、他責性、他罰性、

ゆえに、だから、「相手が悪い」ことになる。



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    杉87



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  1. 2021年11月28日 00:00 |
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当たりまえの日常、について ―― 2/x


「自分は悪くない」=「相手が悪い」、
この等式を疑わない人がいる。
なぜ、疑わない? と問いたくなるけれど、

疑わない者に、なぜ、はなく、
問わない者に、疑問符はつかない。
よって、純朴に、疑わない。

それは、疑わない者にとっての定理、公式。
問いではなくて、問いを解くための方程式。
よって、等号は、ゆえに、だから、当然に、とか、

したがって、とかの順接で結ばれる。



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    杉87



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  1. 2021年11月27日 00:00 |
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当たりまえの日常、について ―― 1/x


>誰にとっても、当たりまえなことなら、
>僕は、考えることも、説明することもなくて、
>だから、文体は、自明性と非自明性の懸隔で揺れ動く、
>弁証法的な秩序と運動である。



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    杉87



予想がつく毎日の、よくある出来事の繰り返し、
それはそれで、有り難い日常である。
悪いことが起きない、ってのを善果として、
僕たちは、善因を探したりはしないけれど。

対して、不都合が生じたときには、
必ず、と言ってもいいほど、悪因が探される。
たいていは、自分は悪くない。
自分が悪いという原因を知りながら、

悪い結果が生じたのなら、それもまた、
予想がつく毎日の、よくある出来事である。



    

    願わくば そう 悲劇よりも喜劇よりも 見ていたいのは
    奇跡のような当たり前を照らす この日常

    ―― Ordinary days/milet
    ―― milet 作詞、Koichi Tsutaya、TomoLow、milet 作曲、2021、SME Records



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  1. 2021年11月26日 00:00 |
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年ごろ、徒然に ―― ブログの作法 36/36


    つれづれなるまゝに、
    日くらし、硯(すずり)にむかひて、
    心に移りゆくよしなし事を、
    そこはかとなく書きつくれば、
    あやしうこそものぐるほしけれ。
    ―― 徒然草/吉田兼好 著
    ―― 西尾実、安良岡康作 校注、1985、岩波文庫



>文体に沿わせているうちに、ついつい、
>書き手の意図よりも、文体が優位になって、

>書き手は、文体の自己生成を制御できずに、
思考が操られ、手指が動かされる。

まるで、寄生虫に憑りつかれた宿主のように。



他人と生きることを知らなければ、
自らの存在条件を認識して、

独りの人になることはない。
そんなのも、他人が教えてくれること。

成長した文体は、例えば、ブログ、なんていう、
得体の知れないプラットフォームに宿主を連れ出して、

自己再生産を図るために、臆面もなく、
文体をまき散らし始めるのかもしれない。

他の宿主を探すために、誰かの心に宿ればと。



文体の自己生成が止まらない。
僕は、こんなことを書きたかったのか、と訝(いぶか)しむ。

>心に移りゆくよしなし事を、
>そこはかとなく書きつくれば、

くだらないことを、とりとめもなく書きつけてみると、
>あやしうこそものぐるほしけれ。

なんだか妙に、狂ったような気分になってくる。



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    げみ



    

    今でも覚えているあなたの言葉
    肩の向こうに見えた景色さえも
    
    ―― M/森恵
    ―― 富田京子 作詞、奥居香 作曲、1988、CBS/SONY



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  1. 2021年11月24日 00:00 |
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年ごろ、徒然に ―― ブログの作法 35/36


>少なくとも、僕は、機能主義とか、原理主義とか、
>そんな対立は、考えなくてもいい。
それなら、とても単純で、とても楽ちんで、

機能主義=原理主義であるのなら、
原理は知らなくてもいいから、
機能させることにリソースを注ぎ込めばいい。

そして、人の文体プログラムは、
頭を使って、身体を使って、
心を動かせているうちに、

自らの機能を向上させるから、
人は、自己組織化する文体ロボットである。
自らを機能させることに集中すれば、

原理は、その後でも遅くない。



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    げみ



    

    あなたと出会い 時は流れる 思いを込めた手紙もふえる
    いつしか二人 互いに響く 時に激しく時に切なく

    ―― 小さな恋のうた/MONGOL800
    ―― 上江洌清作 作詞、MONGOL800 作曲、2001、HIGH WAVE



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  1. 2021年11月23日 00:00 |
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年ごろ、徒然に ―― ブログの作法 34/36


>文体に沿わせているうちに、ついつい、
>書き手の意図よりも、文体が優位になって、
>書き手は、文体の自己生成を制御できずに、
まるで、文体プログラミングで動くロボットのようだ。

>文体は、思考の秩序と運動であり、
文体ロボットの僕としては、
自分の運動機能が働けば、そのまま、
僕の目的を果たしていることになる。

>誰にとっても、当たりまえなことなら、
>僕は、考えることも、説明することもなくて、
だから、文体は、自明性と非自明性の懸隔で揺れ動く、
弁証法的な秩序と運動である。

>その文体には、その人そのものが現れる。
>さらには、その人は、その文体を生きている。
>ひいては、文体が、その人の生き方を規定する。
なんて、誇大妄想っぽく書いたけれど、

僕は、僕の文体には、僕そのものが現れることや、
僕は、僕の文体を生きていることや、
僕の文体が、僕の生き方を規定することなど、
知らなくても、目的を果たすことになる。

僕は、そもそも、文体とは何か、
なんてことさえ、分からなくてもいい。



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    げみ



語句も、配列も、順序も、韻律も、リズムも、
もっぱら、文体のために作られているから、
それらが機能することで、予(あらかじ)め、
または、同時に、原理を満たしている。

少なくとも、僕は、機能主義とか、原理主義とか、
そんな対立は、考えなくてもいい。



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  1. 2021年11月22日 00:00 |
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年ごろ、徒然に ―― ブログの作法 33/36


>つまり、一周も二周も回ったような周到さで、
>自らの否定も、自らの肯定も、自前で用意してくるような、
>壊すために作り上げ、作り上げるために壊すような、

>自分が独りで考えていることがすでに、
>複数の人たちと一緒に考えているような考え方で、
>さまざまな側面から、いくつかの位相が入っているような、

そんなのを、読み手に説明するためには、
読み手の思考方法を想定しなければならず、
無駄に難解な文体では、誰の思考にも沿えなくなる。

晦渋さを有難がるのは、浅薄なエリーティズムで、
そんなのが特権的、権威的な時代は過去になればいい。
しかし、あまりに平易な文体、著しく貧弱な文体も、

読み手の思考方法からは逸れてしまうだろう。



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    げみ



文体を選ぶ、ってのは、読み手とどんな関係を生み出すのか、
ってのを考えているんだと思う。
言葉と切り離せない背景や、言葉が堆積している地層や、

言葉が織り成す手ざわりや、温もりや、冷たさや、
コードや、連辞関係を、感知できる書き手と読み手なら、
文体は、高度な暗号になり、書き手は、

>意識的に、文体で、読み手の選別を図っている。



    

    遠く 遠く ただ 埋もれていた
    でも 今 あなたに 出会ってしまった

    ―― アイ/Goose house
    ―― 秦基博 作詞作曲、2010、Ariola Japan



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  1. 2021年11月21日 00:00 |
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年ごろ、徒然に ―― ブログの作法 32/36


>しっかりと独りになるためには、
>しっかりと他人がいなければならない。

他人がいるから、独りが分かる。
分かる、ってのは、分ける、ってことだ。

もっと分かる、ためには、もっと分ける。
繊細に分かる、ためには、繊細に分ける。

繊細、ってのは、ディテールを持ち込むこと。
さらに細かく分解されること。

分解された分だけ、世界は細切れになって、
時として、それは、理解、なんて呼ばれたりする。

そして、分けられたものなら、合わせることができる。
つまり、分離できたら、結合もできる。

分割できたら、一括もできる。
分裂できたら、統合もできる。

分節できたら、生成もできる。
具象化できたら、抽象化もできる。

分かれていないものは、合わせられないし、
合わさっていないと、分けられないから、

それらは、実は、同じ意味になる。



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    げみ



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  1. 2021年11月20日 00:00 |
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