早まった一般化(はやまったいっぱんか、Hasty generalization)とは、 形式的な誤謬または詭弁の一つ。 以下のような論証形式の推論をいう。 類推の危険とも。 A はX である。 B もX である。 C もX である。 D もX である。 したがって、いかなる場合もX である。 この形式は論理的に妥当でない。 少ない例から一般的な結論を導こうとしており、 これが早まった一般化となる。 つまり、X を満たすものが存在するという 一部の個別の事実から全体を判断していて、 それ以外のE からZ までの中に、 X でないものが存在する可能性が 全く考慮に入れられていないため、誤りになる。 ―― ウィキ/早まった一般化 1 は、120 の約数である。 2 も、120 の約数である。 3 も、120 の約数である。 4 も、5 も、6 も、120 の約数である。 したがって、いかなる整数も ――。 ―― Sedat Girgin A は、優しくない。 B も、優しくない。 C も、優しくない。 D も、E も、F も、優しくない。 だから、優しい人なんて ――。 女なんてものは ――、これだから男は ――、 所詮、社会なんて ――、結局、人はみんな ――。 VIDEO みんなそんなもんだよ その言葉に何の意味があるんだろう そんなことを分かり合うために 人は人の中で生きてるの? ―― LOTUS IN THE DIRT/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2001、Warner Music Japan
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2022年03月20日 00:00 |
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個人的懐疑に基づいた論証(argument from personal incredulity)は、 ある前提を「個人的に」疑問に感じたことを理由として その前提が偽であると表明すること、 あるいは逆にある前提を好ましいと感じたことを理由として 真であると表明することをいう。 ―― ウィキ/無知に訴える論証 しかし、諸君、自分の病気を自慢するものがどこにあろう? しかも、それを種に威張るなんて、 もってのほかの話である。 さて、借問するが、自分自身の屈辱感の中にさえ、 快感を見いだそうなどと企らむような人間が、 はたして多少なりと自己を尊敬し得るものだろうか? くり返していうが、とくに強調してくり返しておくが、 すべて直情径行的の人間や活動家は、 彼らが鈍感で浅薄な人間であればこそ、 そのために実行的にできているのだ。 これをどう説明したらよかろうか? 第一、開闢以来ただの一人でも、 単におのれの利益のみのために 行動した人間があるだろうか? 人間というものは、 みすみす自分の本当の利益を承知しながら、 それを二の次にしてしまって、 だれにも何ものにも強制されているわけでもないのに、 別な冒険の道へ突進してゆく。 これを証明する無数の事実を、 いったいどうしたらいいというのだ! いったい人間の利益というものは、 絶対正確に計量されているだろうか? 今までいかなる分類にも当てはまらなかったのみならず、 全体に当てはまり得ないような利益が、 はたして存在しないだろうか? 諸君、わたしの承知している限りでは、実際のところ、 諸君は人間の利益台帳を編成するのに、 統計表の数字や経済学の方式の 平均数をとって来たのではないか。 そこで、今度は諸君におたずねするが、 こういう奇妙な性質を賦与された動物としての人間から、 いったい何を期待することができよう? まあ、試みに、ありとあらゆる地上の幸福を 人間に浴びせかけ、幸福というものの中に 頭ごとずんぶり沈めてしまって、その幸福の表面に、 まるで水面みのもにうかぶ泡のようなものが、 ぶくぶくと浮きあがるような目にあわして見たまえ、 また人間に十二分の経済的満足を与えて、 ただぐうぐう寝たり、生姜餅を食ったり、 世界歴史の永続を心配したりするよりほかに、 仕事がないような境遇に置いて見たまえ、 ―― それでもやつは、その人間先生は、 ただ恩知らずな気持ちのために、 穢らわしい天邪鬼あまのじゃくのために 厚顔無恥なことをしでかすに相違ない。 ―― 地下生活者の手記/ドストエーフスキイ全集 5 ―― 米川正夫訳、1970、河出書房新社 ―― Sedat Girgin
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2022年03月19日 00:00 |
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無知に訴える論証(むちにうったえるろんしょう、 羅:argumentum ad ignorantiam) または無知に基づいた論証(英:argument from ignorance)とは、 前提がこれまで偽と証明されていないことを根拠に 真であることを主張する、 あるいは前提が真と証明されていないことを根拠に 偽であることを主張する誤謬である。 他にも英語では、argument by lack of imagination、 appeal to ignorance、negative evidence(消極的証拠)などともいう。 ―― ウィキ/無知に訴える論証 神が存在しないという証拠はない。 ゆえに、神は存在する。 神が存在しないというのなら、 それを証明してから言ってくれ。 神が存在するという証拠はない。 ゆえに、神は存在しない。 神が存在するというのなら、 それを証明してから言ってくれ。 いずれも、無茶振り、 挙証責任の転換である。 ―― Prima Donna/Sedat Girgin、2020 VIDEO Do you remember me いつか教えてよ あの時の涙のわけを 笑顔の思い出を ―― Remember me/くるり ―― 岸田繁 作詞作曲、2013、Speedstar Records 人が生きる意味も、理由も、 あるとも、ないとも証拠は示せない。 いつの時代においても、 誰にでも当てはまるような絶対の意味や理由を、 僕たちは証明することができない。 しかし、人は、いったいどんなときに、 生きる意味や理由を感じることができるのか、 そう問い直したときには、互いに、 答を見出し合える問いになる。 きっと、独りでは無理だ、独りでは見つからない。
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2022年03月18日 00:00 |
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論点先取(ろんてんせんしゅ、英:Begging the question、 羅:Petitio Principii)とは、 証明すべき命題が暗黙または明示的に 前提の1つとして使われるという誤謬の一種。 論点先取の虚偽(ろんてんせんしゅのきょぎ)とも言われる。 論点先取は、循環論法の誤謬と関連している。 ―― ウィキ/論点先取 例えば、ルネ・デカルトの「我思う、ゆえに我あり」、 Je pense, donc je suis. では、 「我あり」を証明しようとしているけれど、 それを証明するために持ち出してきた「我思う」の中に、 すでに「我・je 」が用いられていて、 予め「我・je 」が存在することを前提としている。 真偽不明の「我・je 」を使ってしまうことで、 「我思う」だから「我あり」になるのか、 「我あり」だから「我思う」になるのか、 ぐるぐると回り始めて、循環を引き起こしてしまう。 ―― Sedat Girgin VIDEO 君のその小さな目から 大粒の涙が溢れてきたんだ 忘れることは出来ないな そんなことを思っていたんだ ―― 茜色の夕日/フジファブリック ―― 志村正彦 作詞作曲、2005、東芝EMI 何を忘れたのかを憶えているのなら、それは誤謬である。
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2022年03月16日 00:00 |
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循環論法(じゅんかんろんぽう、circular reasoning, circular logic, vicious circle)とは、 ある命題の証明において、 その命題を仮定した議論を用いること。 証明すべき結論を前提として用いる論法。 ある用語の定義を与える表現の中に その用語自体が本質的に登場していること。 ―― ウィキ/循環論法 アラーが正しいことは、コーランに書いてある。 神が正しいことは、聖書に書いてある。 カール・マルクスが正しいことは、資本論に書いてある。 ―― Hürmüz/Sedat Girgin、2020 差別や武力衝突に正統性を与え続けてきたこと、 権力の集中が起きて、独裁に転じたことが、 書かれていたなら、もっと正しかった。 VIDEO 踊ろうよ さぁ ダーリン ラストダンスを 暗いニュースが 日の出とともに町に降る前に ―― エイリアンズ/キリンジ ―― 堀込泰行 作詞作曲、2000、Warner Music Japan
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2022年03月15日 00:00 |
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トートロジー(英語:tautology, ギリシャ語:ταυτολογία, 語源はギリシャ語で「同じ」を意味するταυτοから)とは、 ある事柄を述べるのに、同義語または類語または同語を反復させる修辞技法のこと。 同義語反復、類語反復、同語反復等と訳される。 関連した概念に冗語があり、しばしば同じ意味で使われることもある。 また、撞着語法はトートロジーの反対の技法である。 ―― ウィキ/トートロジー 勤勉な者は怠けない。 正直者は嘘をつかない。 愚か者は考えが足りていない。 雨が降る日は天気が悪い。 ―― Sedat Girgin 根源的なものを垣間見たければ、 どんな職業にもたずさわってはいけない。 一日中、横になったまま、 嘆いたり呻いたりすることだ。 ―― 告白と呪詛/エミール・ミハイ・シオラン 著、―― 出口裕弘 訳、1987、1994、紀伊國屋書店 垣間見えるのは、どんな職業にも就かないで、 一日中、横になったまま、 嘆いたり呻いたりしている者の、 根源的なものである。 VIDEO いやなニュースばかり うんざりだね 誰もが誰かの子どもなのに ―― どこにいてもおなじさ/ハンバート ハンバート ―― 佐藤良成 作詞作曲、2021、SPACE SHOWER MUSIC
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2022年03月14日 00:00 |
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裁判長「人としての価値失わず」 旧優生保護法訴訟で異例の所感 東京高裁の平田豊裁判長は 旧優生保護法訴訟の判決理由の説明後、 原告の北三郎さん(78)=仮名=に 「手術により、子をもうけることのできない身体にされたが、 決して人としての価値が低くなったものでも、 幸福になる権利を失ったわけでもありません」と語り掛けた。 こうした所感が法廷で述べられるのは異例だ。 平田裁判長は「差別のない社会をつくっていくのは、 国はもちろん、社会全体の責任であると考えます。 そのためにも、手術から長い期間がたった後の訴えであっても、 その間に事情が認められる以上、 国の責任を不問に付すのは相当ではないと考えました」と結んだ。 ―― 共同通信社、2022/3/11 ―― https://nordot.app/874928635271905280 優生保護法、1948年施行、96年廃止。 その法律を受け容れ、 その法律によって差別を温存させ続けた、 1万7千日を生きてきた先人たちの意識を、 軽く考えないほうがいい。 その意識の未来にいる僕たちが、 過去の悪法、なんてことで、 自分から区別して否定しても、 容易に否定しきれない、 そんななにごとかであるように思う。 「差別のない社会をつくっていくのは、 国はもちろん、社会全体の責任である」 それは、差別、と名辞されるものが、 僕たちの正体そのものであることを、 弁(わきま)える、ってことである。 きっと、社会批判は、自分と社会を区別して、 社会が悪い、と言ってみせることではない。 ―― Sedat Girgin 「原告の男性は、旧優生保護法のもとで不妊手術を強制され、 憲法が保障する平等権、幸福になる権利を侵害され、 子どもをもうけることができない体にされました。 しかし、決して人としての価値が低くなったものでも、 幸福になる権利を失ったわけでもありません。 『旧優生保護法による手術は 幸せになる可能性を一方的に奪い去るものだ』 などと言われることがありますが、 子どもをもうけることが出来ない人も、 個人として尊重され、ほかの人と平等に、 幸せになる権利を有することは言うまでもありません。 手術が違憲・違法なものであること、 その被害者に多大な精神的・肉体的損害を与えたことは 明確にされなければなりませんが、 この問題に対する憤りのあまり、 子どもをもうけることのできない人たちに対する差別を 助長することとなり、その人たちの心情を傷つけることは あってはならないと思っています。 報道などの際にも十分留意していただきたいと思います。 このような観点から判決では 誤解を与えかねない情緒的な表現は避けましたが、 被害を軽視しているものではありません。 原告の方は、自らの体のことや手術を受けたこと、 訴訟を起こしたことによって差別されることなく、 これからも幸せに過ごしてもらいたいと願いますが、 それを可能にする差別のない社会を作っていくのは、 国はもちろん、社会全体の責任だと考えます。 そのためにも、手術から長い期間が たったあとに起こされた訴えでも、 その間に提訴できなかった事情が認められる以上、 国の責任を不問にするのは相当でないと考えました」。 ―― NHKニュース、2022/3/11―― https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220311/k10013525951000.html
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2022年03月13日 00:00 |
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小概念不当周延虚偽、 しょうがいねんふとうしゅうえん‐の‐きょぎ ―― (fallacy of illicit minor の訳語)定言的三段論法で、 結論中の小概念が、小前提中のそれより広く周延することから起こる虚偽。 たとえば「(大前提)すべての鳥は翼がある。 (小前提)ある動物は鳥である。 ゆえに、すべての動物は翼がある」では、 小前提の小概念は「ある動物」であるのに、 結論では「すべての動物」となり、 より広く周延するため、虚偽となる。 小名辞不当周延の虚偽。 ―― コトバンク/小概念不当周延虚偽 青梗菜は男である。―― 大前提 青梗菜は日本人である。―― 小前提 ゆえに、日本人は男である。―― 結論 小前提で、青梗菜だけが日本人、って思い込む。 ―― Sedat Girgin
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2022年03月11日 00:00 |
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大概念不当周延虚偽、 だいがいねんふとうしゅうえん‐の‐きょぎ ―― 形式論理学の定言三段論法で、 大前提で周延していない大概念を結論で周延させるために起こる虚偽。 たとえば「あらゆる犬は動物である。どのブタも犬ではない。 故にブタは動物ではない」で、 大前提の「動物」は動物集合の部分しか示さないのに、 結論の「動物」は動物集合全体をさすため虚偽となる。 ―― コトバンク/大概念不当周延虚偽 あらゆる男は人である。―― 大前提 どの女も男ではない。―― 小前提 ゆえに、女は人ではない。―― 結論 大前提で、男だけが人、って思い込む。 ―― Sedat Girgin VIDEO 高い場所に実をつけた 桃に手が届くように 君を抱き上げることが 幸せだと僕は気づく ―― 桃/槇原敬之 ―― 槇原敬之 作詞作曲、2001、Warner Music Japan
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2022年03月09日 00:00 |
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