形式論理学を日常的な推論に適用する
非形式論理学 (informal logic) においては、
隠れた前提や、それに由来する誤謬推論を明らかにすることで、
議論の強さ弱さが評価される。
そのような暗黙の前提を明らかにすることも、
批判的思考の思考技能のひとつである。
省略された前提を明確にすることで、
自分が無意識に信じている偏見や独断を
自覚することが可能となる。
―― ウィキ/批判的思考
1922年3月3日、
差別のない社会を求めた全国水平社が創立され、
「水平社宣言」が読み上げられた。
「長い間虐(いじ)められて來た兄弟よ、
過去半世紀間に種々なる方法と、
多くの人々とによつてなされた吾等の爲めの運動が、
何等の有難い効果を齎(もた)らさなかつた事実は、
夫等(それら)のすべてが吾々(われわれ)によつて、
又他の人々によつて毎(つね)に
人間を冒涜されてゐた罰であつたのだ」
創立メンバーは、すべて男で、
兄弟よ、って呼びかけられるから、
百年後の僕たちには違和がある。
虐められてきた人たちの中で、
さらに虐められてきた女たちがいたことに、
僕たちは思いを馳せることができる。
それもまた、吾々によって、
また、他の人々によって、毎に、
人間を冒涜されていた罰であった。
罪の意識のなさが、罰を支えていることにも。

―― Sedat Girgin
弱い者達が夕暮れ さらに弱い者をたたく
その音が響きわたれば ブルースは加速していく
―― TRAIN-TRAIN/THE BLUE HEARTS
―― 真島昌利 作詞作曲、1988、メルダック
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- 2022年03月08日 00:00 |
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前件否定(ぜんけんひてい、英:Denying the antecedent)は、
誤謬の一種であり、次のような推論の論証形式に関する誤謬である。
もしP ならば、Q である。
P ではない。
従って、Q ではない。
この形式の主張は妥当ではない。
この形式の論証はたとえ前提が真であっても、
結論を導く推論過程に瑕疵がある。
「前件否定」という名称は、
「前件」すなわち論証の前提部分(もし-ならば)を
否定する形式であることに由来している。
「逆もまた真なり」という真理を建前にして
逆と裏を意図的に混用することで相手の誤認を誘い、
本来は偽である命題を真なるものと
強引に主張する手法としてしばしば見受けられる。
―― ウィキ/前件否定
ここで彼がホームランを打てばチームが勝利する。
―― 大前提の前件は「ホームラン」で、
彼はホームランを打てなかった。
―― 小前提は、前件を否定しているが、
よって、チームは勝てなかった。
―― 大前提の後件を導くことはできない。
努力すれば成功する。
―― 大前提の前件は「努力」で、
彼は努力しなかった。
―― 小前提は、前件を否定しているが、
よって、彼は、
―― 大前提の後件を導くことはできない。
驚くほど運がいい、デッドボールで出塁を果たした。
9回裏、試合はまだ終わらない。

―― Sedat Girgin
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- 2022年03月07日 00:00 |
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後件肯定(こうけんこうてい、英:Affirming the consequent)とは、
形式的誤謬の一種。
以下のような論証形式の推論をいう。
もしP ならば、Q である。
Q である。
したがってP である。
この形式は論理的に妥当でない。
言い換えれば、この形式では前提が真であっても
結論を導く推論の構造が正しくない。
「後件肯定」の「後件」とは、
大前提(条件文)の後半部分(上の場合、「Q である」)を指す。
小前提は後件を肯定しているが、
そこから大前提の前件(「もしP ならば」)を導くことはできない。
―― ウィキ/後件肯定
人間は哺乳類である。
―― 大前提の後件は「哺乳類」で、
クジラは哺乳類である。
―― 小前提は、後件を肯定しているが、
よって、人間はクジラである。
―― 大前提の前件を導くことはできない。
犯罪報道に、引きこもりの犯行が増えた。
―― 大前提の後件は「引きこもり」で、
彼は引きこもりである。
―― 小前提は、後件を肯定しているが、
よって、彼は、
―― 大前提の前件を導くことはできない。
犯罪者になる可能性が高い、
って導くことはできない。

―― Portre No5/Sedat Girgin、2021
「どうでもいい」とか
そんな言葉で汚れた 心 今 放て
―― 春の歌/スピッツ
―― 作詞、作曲、草野正宗、2005、ユニバーサルJ
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- 2022年03月06日 00:00 |
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媒概念不周延の誤謬 ――
三段論法において媒概念が周延的でない。
「全てのZ はB である。
Y はB である。
従って、Y はZ である」の場合、
媒概念B が周延的でない。
「すべての魚は脊椎動物である。
人間は脊椎動物である。
よって、人間は魚である」
―― ウィキ/誤謬
すべての魚は脊椎動物である。―― 大前提
人間は脊椎動物である。―― 小前提
よって、人間は魚である。―― 結論
媒概念とは、ここでは、「脊椎動物である」のことで、
「魚」(大前提)と「人間」(小前提)との共通点(媒概念)は、
「脊椎動物」である。
しかし、「脊椎動物」であることと「魚」であることは、
同値ではない。
つまり、「脊椎動物」のすべてが、「魚」であるわけではない。
「脊椎動物」っていう媒概念は、
大前提においては不周延的である。
「哲学が好き」を媒概念にして変奏してみる。
すべての頭がいい人は、哲学が好きである。―― 大前提
僕は、哲学が好きである。―― 小前提
よって、僕は頭がいい、
って結論するほど、僕は、頭が悪いわけではない。

―― Portre No7/Sedat Girgin、2021
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- 2022年03月05日 00:00 |
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合成の誤謬(ごうせいのごびゅう、英:fallacy of composition)とは、
ミクロの視点では正しいことでも、
それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、
必ずしも意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。
―― ウィキ/合成の誤謬
合成の誤謬(fallacy of composition)
「ある部分がX だから、全体もX 」という議論。
分割の誤謬(fallacy of division)
「全体がX だから、ある部分もX 」という議論。
―― ウィキ/批判的思考
例えば、今の世の中は優しくない、とか、
昔と比べて冷たくなった、とか、
僕なら、そんなことを悲しんだりはしない。
そんな大きなことは考えられない。
調べようもない世の中の優しさを量ったり、
比べようもない過去との比較をするよりも、
あるところにはある、ないところなはない、
優しさは、そんな、偏向の問題だ。
自分のもとに届けらることがないのなら、
優しさの総量の多寡は、自分には問題にならない。
ここにはいない人たちが、
ここにはない優しさを交換しているのに、
自分の身の周りには、少しも見つからない、
僕が悲しむとしたなら、そんなことが悲しい。

―― Portre No6/Sedat Girgin、2021
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- 2022年03月04日 00:00 |
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全称の誤用(false universal): 例外を無視した一般化で
「例外の撲滅」ともいわれる。
「誰もA を支持しない」の「誰も」は例外を無視している。
―― ウィキ/批判的思考
自分がそう思うだけなのに、
すべての、とか、みんな、とか、誰も、とかの、
全称を盛りつける、飾り立てる。
過度な単純化による二択しか考慮しない、
両極端しか考えないという誤謬につられて、
ついつい盛ってしまう、飾ってしまう。
なにごとにも例外はある、
なんて言ってしまえば、直ちに矛盾して、
そのフレーズにも例外があることになるけれど、
そこまで考えて盛るわけではないだろう。

―― Ekinoks 03/Sedat Girgin、2020
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- 2022年03月03日 00:00 |
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誤った二分法(あやまったにぶんほう、英:false dichotomy)
あるいは誤ったジレンマ(英:false dilemma)は非論理的誤謬の一種であり、
実際には他にも選択肢があるのに、
二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指す。
―― ウィキ/誤った二分法
>社会が間違いなら、自分は正しい、
>社会が愚かなら、自分は賢い、
>社会が醜いなら、自分は美しい、
楽天的でなければ、悲観的である、
好きでなければ、嫌いである、
仲間でなければ、敵である。
他にも選択肢があるのに、
過度な単純化による二択しか考慮しない、
或いは、ある範囲の選択肢、1から99の間があるのに、
両極端しか考えないという誤謬。

―― Ekinoks 01/Sedat Girgin、2020
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- 2022年03月02日 00:00 |
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権力への逆張り、反権力、反体制、
そんなのは、なんとなく、社会批判っぽいけれど。
気分は似ているけれど、同じではない。
反対すれば批判になる、ってことでもない。
社会と自分を相反する二者として、
強者と闘う弱者の物語に仕立て直して、
弱者の主張は、なんとなく、正義っぽいけれど、
弱者だから正義になる、ってことでもない。
似ていても、違うことがいくつもあって、
僕たちは、いつも、いつでも間違える。

―― Ekinoks 02/Sedat Girgin、2020
春の歌 愛と希望より前に響く
聞こえるか? 遠い空に映る君にも
―― 春の歌/スピッツ
―― 作詞、作曲、草野正宗、2005、ユニバーサルJ
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- 2022年03月01日 00:00 |
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