僕の樹では、
他人によって作られた僕が、
他人を妄想しているらしい。
なんだか、僕は不確かで、
他人のほうが、余程、
確かな気がしてくる。
自分と他人なら、
自分は必ず遅い。
僕が出来上がってくる前から、
僕には、すでに他人がいて、
僕は、他人に遅れて、
この世界に生まれた。
風が吹いたり、雨が降ったり、
朝には明るくなって、
夜には暗くなって、
僕には、すでに自然があって、
僕は、自然に遅れて、
この世界に生まれた。
だから、僕が生まれなくても、
世界はそれ自体として、
存在したと思う。
僕が生まれたから、
そう思えるようになった、
と言うこともできるけれど。
他人も、自然も、
自分から区別して、
樹から降ろしてしまうことが、
できるのだろうか。
他人と関わらなければ、
人は他人の中に自分を配せない。
自然と関わらなければ、
人は自然の中に自分を置けない。
世界と関わることで、
世界と自分が同時に生まれる。
僕の樹には、僕のほかに、
誰もいないみたいだ。
でも、それはまったく間違っていて、
納得できない、って考えている。
―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
―― 1967、Parlophone
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2017年11月11日 21:07 |
- 荘子
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