他の誰かからのメッセージが僕に届いても、
僕の思考の枠組みに収まってしまうのなら、
僕は誰とも出会えない。
そんなのは、自分と出会っていることに過ぎない。
みんなには、高すぎるか低すぎるのだろう、
なんてのは、自分の視点を固定しているだけ。
一人よがりなら、Yes ってのは、Yes でいい。
高いか低いかは知らないけれど、
自分の中に他人を内面化させて、
その他人が異議を唱えているから、
No ってのは、Yes のことで、
Yes ってのは、No のことになる。
君も僕に合わせることはできない。
それは悪いことではない。
僕の樹は、僕が他人と呼べるような他人には、
必ず、高すぎるか低すぎる。
―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
―― 1967、Parlophone
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2017年11月13日 20:21 |
- 荘子
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| コメント:2
青梗菜さん、こんばんは!!^^
> 僕の樹は、僕が他人と呼べるような他人には、
>
> 必ず、高すぎるか低すぎる。
「他人と呼べるような他人」とは、
> 他の誰かからのメッセージが僕に届いても
その人から、メッセ-ジを受け取りたくないと思うような、その人のこと、だという認識です。近いですか、それとも、遠いですか?m(__;m
- 2017/11/14(火) 22:33:44 |
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- くわがたお #-
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がたおさん、こんにちは。
>その人から、メッセ-ジを受け取りたくないと思うような、その人のこと、だという認識です。
ふふふw、ほんと、その通りだと思います。
話が通じない相手とは関わりたくないもの。
ブログも含めて、SNSって、
同じ考えの人だけでつながって偏見を増長させ、
互いにほめ合っているうちにいい気になって、
自分をよく見せているうちに勘違いしてしまうような、
思い上がりのツールです。
そんなのは、自分と出会っていることに過ぎないな。
- 2017/11/14(火) 23:23:08 |
- URL |
- 青梗菜 #De6CjWPI
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