往々にして、
そんなことを考えない人からは、
そんなことを考えて何になるのか、
と問われるようなことを、
僕は考えているらしい。
そんなことを考えても、
何にもならない、と考えるか、
そんなことを考えれば、
何かになるのかもしれない、と考えるかの、
違いだけかもしれない。
そんなことを考えて何になるのかは、
考えてみなければ分からない。
だから、そんなことを考える人も、
そんなことを考えない人も、
問いを同じくしている。
そんなことを考えて何になるのか。
そんなことを考えて何になるのか、
という問いには、
そんなことを考えても何にもならない、
という評価が潜在している。
ありていに言えば、
そんなことを考えて何の得があるのか。
そんなことを考える時間は、
無為に浪費された時間であり、
時間は、有為に使われなければならない。
そんな立派な意見を、逆に言えば、
有為とは、時間に制約された、
常に移り変わるもの。
では、無為とは、
時間から離れた、常なるもの。
一時の、損得や、勝ち負けや、善悪や、
二項対立ではないような位相を入れて、
言葉に表現する営為。
それが、自分の樹を立てる、ということ。
僕の樹には、僕のほかに、
誰もいないみたいだ。
そう言い得るためには、
みんなが立てた樹への理解が前提で、
その樹を切り倒して立てなければならない。
極めて常識的であると共に、
極めて非常識でなければならず、
自らが常識的であるゆえに、
非常識への転倒は容易ではない。
常に、常識的な問いが待ち受ける。
そんなことを考えて何になるのか。
今子有大樹、患其無用、
何不樹之於無何有之鄉、廣莫之野、
彷徨乎無為其側、逍遙乎寢臥其下。
不夭斤斧、物無害者、
無所可用、安所困苦哉!
―― 莊子/内篇、逍遙遊第一
君は、大きな樹を手にしていて、
でも、その無用さを嘆いている。
だったら、その樹を無何有(むかう)の郷(さと)の、
広漠な野に植えて、その樹の周りを彷徨(さまよ)って、
無為に過ごしてみたり、
その樹の下を散歩したり、
なんなら、昼寝でもしてみよう。
斧で切られても、失くすことはないし、
盗まれることもない。
それとも、その樹が無用ということで、
何か困ることがあるとでも。
―― Strawberry Fields Forever/The Beatles
―― John Lennon 作詞、Paul McCartney 作曲、
―― 1967、Parlophone
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2017年11月16日 12:47 |
- 荘子
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