日本列島=日本国家=日本国民、
それらを、ぼんやりと等号で結び始めたのは、
どんなに早くても江戸の中期だろう。
日本国、っていう概念は、
明治になって作られて、
ゆっくりと国が固まってきた。
自由、ってのも同じように考えてみる。
政治的に、宗教的に、社会的に、
ヒエラルキーにがちがちに封じ込められていた頃なら、
自由なんてものはなかった。
自由ってのも、ほんの仮初めの、
浅い歴史しか持ち合わせていない。
自由ではなかった、のではない。
自由なんてものがなかった。
自由なんて知らなかった。
だから、自由も不自由もなかった。
有無ではなくて、空(くう)だった。
自由という概念がなかった。
自由は、自らに由(よ)る。
自由が成り立つためには、
あらかじめ、または同時に、
個人、ってのが成り立っている。
社会にぐるぐるに縛りつけられていた頃なら、
個人なんてものはなかった。
自由とは何か、なんて問いは、
僕には、無理かもしれない。
僕は、不自由ではなかった、のではない。
不自由なんてものがなかった。
不自由なんて知らなかったし、
そして、だから、個人だった。
僕は、自由でない、ってことを知らないし、
個人になる、ってことが分からない。
どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか
太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう
―― 本能/椎名林檎
―― 椎名林檎 作詞作曲、1999、東芝EMI
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2018年07月07日 22:12 |
- 自由
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