>不自由から逃れるための最も簡単な解法は、
>僕もよくやってしまうけれど、嫌う、ということ。
そして、自由から逃れるための最も簡単な解法も、
よくやってしまう、嫌う、ということ。
昔から、口だけの人が嫌いだった。
自分を棚に上げて、偉そうなことを言う人とか。
教育論を唱えながら、自分の子どもには見向きもせずに、
次々に養育院に放り込む思想家とか。
老齢になって、失明しても、性欲を抑えられなくて、
自分の女性関係のくだらなさを、歎異抄で正当化する宗教家とか。
しかし、それも、彼らの自由なのだろう。
正直な甘えん坊のような自由だったとしても。
嫌い、というよりも、うっかり、自由になって、
彼らのような自分になってしまう怖さ。
ついつい、彼らのように自由になってしまう弱さ。
改めて、自由は、責任、responsibility を伴う、と思う。
善悪は、自由の閾値である、と思う。
あまりにくだらない 願いが消えない
誰にも奪えない魂
―― 馬と鹿/米津玄師
―― 米津玄師 作詞作曲、2019、SME Records
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2020年06月15日 00:00 |
- 自分らしさ
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| コメント:4
まいまいさん、こんにちは。
>自分のことを棚に上げないと、
>何も発言できなくなっちゃって、
いちいち、他人のことは言えませんが、って前置きも、
だったら言うなよ、を誘うもんなぁ。
>というか、そもそも、発言することが嫌いだった、
>ということにしていたりします。
文末がもたつく感じが、がたお師匠的。
m(__;m をつけたくなるw。
- 2020/06/15(月) 00:56:01 |
- URL |
- 青梗菜 #De6CjWPI
- [ 編集 ]
青梗菜さん、こんばんは!!^^
>昔から、口だけの人が嫌いだった。
理論上は嫌い、私も。だが(ry 私はと云へば口から生まれてきた・・・とか云はれた始末だし。
> しかし、それも、彼らの自由なのだろう。
いいぢやないの、自由なんだから。
>彼らのような自分になってしまう怖さ。
怖いよね。あたしやすでに過去形(ry
> 改めて、自由は、責任、responsibility を伴う、と思う
ビッケか!
> 善悪は、自由の閾値である、と思う。
「誰にでもわかるやうに書いて欲しい。」なんて云ふ人はお客様ですか?みたいな。この文は何回か見た気がするけど、意味わかんない。閾値の捉え方?の違いですか?
> ―― 馬と鹿/米津玄師
> ―― 米津玄師 作詞作曲、2019、SME Records
「噛み終えたガムの味」と云ふ詩句が詩人としては気になります。少なくても一カ所の滑舌の悪さよ。m(__;m
- 2020/06/15(月) 01:03:52 |
- URL |
- くわがたお #-
- [ 編集 ]
がたおさん、こんにちは。
>理論上は嫌い、私も。だが(ry
だが、おまえがゆうな、って声が聞こえる。
>いいぢやないの、自由なんだから。
人間だもの的な肯定感。
>怖いよね。あたしやすでに過去形(ry
人間だもの的なお茶を濁す感。
>ビッケか!
ビッケて、ごめん、分からんっw。
>「誰にでもわかるやうに書いて欲しい。」なんて云ふ人はお客様ですか?みたいな。
「閾値、qinggengcai」で検索したら、
「もろもろ」というブログに、「その点おっぱ.い」というタイトルで、
「手のサイズS、M、Lが閾値なの」という投稿が見つかりました。
稠密ですなぁ。
>「噛み終えたガムの味」と云ふ詩句が詩人としては気になります。
自分で詩人て言っちゃう。
>少なくても一カ所の滑舌の悪さよ。
ご愛嬌、ということで。
- 2020/06/15(月) 10:30:03 |
- URL |
- 青梗菜 #De6CjWPI
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