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qinggengcai

下手っぴな優しさについての言い訳 11/xx


>優しさは、コンビニエンスな言葉だから、
>使い倒されていくうちに劣化して、
>価値がすり減ってしまいそうになるけれど、

優しい、ってのは、便利に使える言葉だ。
コミュ障にも、ポンコツに対しても、
でも、優しいよね、ってのは違和なく使える。

ほめるところが何もない人に対しても。
では、なぜ社会は、他人は、優しい自分を、
優しいと認めないのだろう、

って、そんな変てこな問いが浮かんだとしても。
それは、社会が、他人が、優しくないからである、
って、そんな変てこな答が浮かびそうになっても。



    200127g.jpg



優しさは、人の、とても上等な資質であると同時に、
ほとんど何も言っていないのと同じ言葉でもある。
なぜなら、優しい人なら、優しいのは当為であり、

自分が優しいことを自覚していない。



    

    I hope you don't mind, That I put down in words
    How wonderful life is while you're in the world

    ―― Your Song/藤井風
    ―― Bernie Taupin 作詞、Elton John 作曲、1970、UNI RECORDS



201203.gif

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2021年03月21日 00:00 |
  2. 優しさ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:2

コメント

当為→当然、ではないか?
ではでは、優しくない人にとって、優しくあることは「当為」でしょうか?
要は、人は優しくあるべきだ。という命題は常に真でしょうか?
  1. 2021/03/21(日) 09:55:34 |
  2. URL |
  3. oki #ibS8y52A
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

優しい人は、やることなすことが優しいから優しいのであって、
その為すべきことが優しい、優しくあるべきことが優しい、
優しくあらざるを得ないことが優しい。

例えば、優しいけれど、犬のお腹を蹴っ飛ばす、とか、
優しいけれど、不機嫌になった途端に相手をこき下ろす、とか、
優しいけれど、店員を怒鳴りつける、とか、
そういう逆接でつないだときには、
実は、もう、すでに優しい人ではなくなっています。
優しさには、そういう構文を成り立たせるような、
何も言ってなさがあります。

優しいけれど、いつも待たせて、冷たいね、って言う、
優しいけれど、いつも似てなくて、悲しいかい、って訊く、
そんな人は、そもそも、優しい人ではありません。

>ではでは、優しくない人にとって、優しくあることは「当為」でしょうか?
>要は、人は優しくあるべきだ。という命題は常に真でしょうか?
他人からの優しさを求める人にとっては、
自分が他人に優しくあることは当為でしょう。

優しさは、偏在しているので、
この世界は優しいか、現代は優しいか、
そんな問い方では答が得られそうにない。
さて、何を問いましょうか♪
  1. 2021/03/21(日) 11:28:44 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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