そして、もし“国民性”というような
危険きわまりない語句を
自分勝手な意味にしか使えないジャーナリスト程度の良心くらいしか、
哲学が君に与えるものがないとしたら、
―― ウィトゲンシュタイン/ノーマン・マルコム 著
―― 板坂元 訳、1998、平凡社
>日本人は、なんてもの言いがある。
>日本人は、優しいとか、優しくないとか。
>日本は、なんて大風呂敷で包んだりする。
>日本には、哲学がないとか。
そんなもの言いは、国民性、なんて語句を、
自分勝手な意味にしか使えない程度の良心くらいしか、
哲学から与えられなかった者の謂いになる。
何につけ、国民性よりも、個人差が大きい。
優しさ、だって、哲学、だって、
あるところにはある、ないところにはない、偏向の問題だ。
日本人全体が備えていても、いなくても、
自分に備わっていなければ、まるで意味を成さないだろう。

げみ
けれども、君の生活について、また他人の生活について、
真面目に考えること、考えようと努力することは、
できないことではないとしても、
哲学よりも、ずっとむずかしいことなんだ。
―― ウィトゲンシュタイン/ノーマン・マルコム 著
―― 板坂元 訳、1998、平凡社
それら、個人の偏向の問題は、国民全体に敷衍して論じるよりも、
自分の身の周りで育み、増やして行くものだ。
生きて行く中で、何らかの要請がなければ、
哲学の難しさは、難解な概念を理解する難しさに留まる。
それは、自分で考え、身につけるという難しさではない。
―― プレイガーリー/小島麻由美
―― 小島麻由美 作曲、1998、PONY CANYON
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2021年10月12日 00:00 |
- ラパン/ミニ
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