tetsugaku poet

qinggengcai

塗装生活 126/126


>過去はどこにも保存されていない。
>未来がどこにも準備されていないように。
>捉えどころのないことについて考え始めると、
僕は、頭がおかしい人になる、あまつさえ。

僕たちが作ったのかもしれない時間は、
―― 僕たちは、僕たちの時間の感覚を宇宙に押しつける。
可逆的なのかもしれないし、
―― 僕たちは、原因の後に結果があり、この順番は崩せない。

双方向に流れているのかもしれないし、
―― 順番を崩せないのは、僕たちの都合だ。
能動的に時間を流しているくせに、
―― 僕たちは、受動的にしか意識できないで、

主観的に時間を流しているくせに、
―― 僕たちは、客観的にしか観れないで、
しかし、そうだとしても、何も変わらないけれど。
―― 僕たちの世界が、それ自体、客観的に存在していること、

それだけですべてが描き出せるのなら、
僕たちにとって、世界はどんなに簡単だろう。



    211001v.jpg

    げみ



    

    何はともあれ この街を去った
    未来ではなく 過去を漁った

    ―― 琥珀色の街、上海蟹の朝/くるり
    ―― 岸田繁 作詞作曲、2016、SPEEDSTAR RECORDS



201203.gif

テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 2021年10月19日 00:00 |
  2. ラパン/ミニ
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:4

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

>>過去はどこにも保存されていない。
>>未来がどこにも準備されていないように
証明はできないけどね。

>可逆的なのかもしれないし、
一考に値するかも。

>能動的に時間を流しているくせに、
>―― 僕たちは、受動的にしか意識できないで
時計を見ないと時刻わからないしね、そのくせ、いろいろ考えた気がするのに一瞬だつたり(これはウソかな。)やつぱりもう年末だし。

>それだけですべてが描き出せるのなら、
んなわけ、ないでせう。m(__;m
  1. 2021/10/19(火) 16:52:50 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

>証明はできないけどね。
とりわけ、ないことの証明は。

>一考に値するかも。
考えても仕方がないと気づくまでなら。

>時計を見ないと時刻わからないしね、
時計と時間の区別もつかないのよ、
僕たちの毎日は。

>そのくせ、いろいろ考えた気がするのに一瞬だつたり(これはウソかな。)
ほとんどが、言葉にするための時間かも。

>やつぱりもう年末だし。
寒いもん。

>んなわけ、ないでせう。
僕たちにとって、世界は難しいもんね。
  1. 2021/10/19(火) 21:09:01 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

これでシリーズ終わりですか〜。
因果が世界を貫くならどこに自由があるのか?ってカントの出発点だったけど、自由なんてない、全ては決定されている、と割り切るのも一つかなと。
良く言われるように、自由とは僕らが内的に感じるものに過ぎないのかもしれない。
しかし、客観的な時間というものが想定されていて、それに較べると人を待ったり、試験の結果を待ったりする時間の如何に長いことよ。
けどね、終わってしまえばいその長いことはすぐ忘れちゃうんですよね。
もう次にやることが待っているから。
人の喜怒哀楽なんて悠久の時からすれば無に等しく、全ての人の営みも何か大いなるものの中に呑み込まれていくという気がする。
つまりは無常。
とはいえ、人の営みに意味がない訳でもなく、小さな営みが別のある人にとっては大きな意味を持つということも知っているから、人は生きていける。
自由は幻想に過ぎないかもしれない。全ては決まっているかもしれない。
けど、それにもかかわらず、と抗うこと自体に人生の意味なんていうと大袈裟だけど、それに似たものはあるのかもしれない。

ああ、そうそう、哲学ランキングで、ここいつも2位だけど、1位のブログ、新卒〜ってあれ何ですか?
  1. 2021/10/19(火) 22:35:13 |
  2. URL |
  3. oki #ibS8y52A
  4. [ 編集 ]

okiさん、こんにちは。

>これでシリーズ終わりですか〜。
塗装生活w、って、
なんのこっちゃw。

>因果が世界を貫くならどこに自由があるのか?ってカントの出発点だったけど、自由なんてない、全ては決定されている、と割り切るのも一つかなと。
そう思うのか、そう思いたいのか、
思う、と、思いたい、は同じなのか、
なんて考えてしまうのも決定されていると、
そう思うのか、そう思いたいのか。

>良く言われるように、自由とは僕らが内的に感じるものに過ぎないのかもしれない。
いつか考えてみたいですわ、
努力や環境や幸運とか、自由とか。

>しかし、客観的な時間というものが想定されていて、それに較べると人を待ったり、試験の結果を待ったりする時間の如何に長いことよ。
否定されるつらさかな。
違う、まだ来ない、違う、まだ表れない。

>けどね、終わってしまえばいその長いことはすぐ忘れちゃうんですよね。
>もう次にやることが待っているから。
やることがあれば、1日は早い。

>人の喜怒哀楽なんて悠久の時からすれば無に等しく、全ての人の営みも何か大いなるものの中に呑み込まれていくという気がする。
大いなるもの、スピノザの(ry

>けど、それにもかかわらず、と抗うこと自体に人生の意味なんていうと大袈裟だけど、それに似たものはあるのかもしれない。
実感としての自由、自由という観念、
プラトンなら、観念が普遍、
スピノザなら、観念が虚構、
ライプニッツなら、虚構は観念であるゆえに普遍。
僕は、実感があるほうが、
嘘でも幸せと思います。

>ああ、そうそう、哲学ランキングで、ここいつも2位だけど、1位のブログ、新卒〜ってあれ何ですか?
哲学ぢゃないよね。
哲学カテになってるけれど。
  1. 2021/10/20(水) 01:43:52 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #De6CjWPI
  4. [ 編集 ]

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