例えば、上田正樹。
彼は、オーティス・レディングに憧れて、
オーティスのように歌いたくて、
なろうと努力して、できなくて、
どうやってもなれないと分かったときから、
かっこいい上田正樹になり始める。
他人事なら、分かりやすい逆説。

厩圖/山口晃
上田正樹にとって、オーティスはかっこいい。
オーティスは、何がかっこいいのかを、
体現する人として現れる。
しかし、理想に同化しても、
オーティスのコピーが出来上がるだけで、
自分はかっこよくはなれない。
かっこいい自分になれた気がしても、
それは、オーティスになり代わった自分であって、
元来の自分は置き去りにされたままになる。
自分が憧れ、なりたいと願うオーティスは、
誰かの完コピでも、コスプレでもなくて、
後にも先にもいないオリジナルだからかっこいい。
昭和の、日本人としての、日本語での、
上田正樹のリズム&ブルースが生まれたとき、
上田正樹は、何がかっこいいのかを、
体現する人として現れる。
テーマ:哲学/倫理学 - ジャンル:学問・文化・芸術
- 2022年11月21日 00:00 |
- 自分らしさ
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