いや、素晴らしい。
リオタールは「答えのない不安に耐える力を」といいました。
なぜブログを書くのか、という問いに答えを付与することは、やろうと思えば簡単だっただろう、と思いますが、答えをはぐらかしているところが素晴らしい。
漱石は「世間に片付くことなんてないんだ」といいましたが、漱石は片づけようとはしてこなかった気がします。
つまりは、書くこととは、そういうふうに片づかないこと、だろうと思います。
- 2013/01/21(月) 10:50:25 |
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- 瀧野信一 #-
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わはは、なんだか正直でいいな~、読み返してみると。
ありきたりの通路をふさいで、別なところで読み手との通路をつくる、
なんて偉そうなことを書いてしまったから、
それがどういうことなのか示さないといけなくなって、
苦し紛れに開けた通路が、理由が探せない、分からない、ではお粗末でした。
片づかないことを書く、片づいたらもう書くことなんてない、
片づくって表現も、平易でいいですね。
どこかで使ってみようと思います。
- 2013/01/21(月) 20:11:26 |
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- 青梗菜 #-
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青梗菜さんとの付き合いはメルマガと掲示板からでしたね。
メルマガが衰退して、ブログの時代になった。で、今はブログよりTwitterだ。
お気づきか、僕のブログでは、美術館の記事が減ってます。
それはTwitterに移行、Twitter仲間も増えました。
青梗菜の次なる展開はー、まあTwitterじゃないな。
ブログでとどまっているような青梗菜じゃないから、何かやってくださいな。
- 2013/01/22(火) 01:40:39 |
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- oki #-
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自己に向かうのか、他者に向かうのか、
Twitterの軸足は、自己表現よりも関係に移していると思います。
というか、そんなことはどうでもよくて、
スマホとの親和性ってことになるのでしょうね。
Twitterですか~、
スマホの中の他者に、どう向き合いましょうか。
- 2013/01/22(火) 12:43:56 |
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- 青梗菜 #-
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