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佐村河内守と新垣隆 2/x


ソーカル事件。

ニューヨーク大学物理学教授、アラン・ソーカルは、
著名な評論誌「ソーシャル・テキスト」に、
科学用語と数式をちりばめ、
意図的にでたらめを並べた疑似哲学論文を寄稿した。

疑似論文は1995年に受諾され、
翌96年、そのまま掲載された。
論文は高い評価を受け、
思想界から絶賛された。



聴覚障害、ヒロシマ、東日本大震災、
背景をまとわせたのは、佐村河内守だが、
それを売りに商売をしたのは、
NHKや、日本コロムビアや、
報道の権威、クラシックの権威だ。

僕たちは、
佐村河内守に騙されたのではない。

僕たちを騙したのは、
報道のプロ、クラシックのプロ、
プロの指揮者、プロの演奏家、プロの評論家だ。
ど素人にプロ集団がひっかき回されて、
今になって詐欺だとか、損害賠償だとか。
そんなのは、馬鹿というか、赤っ恥だと思う。



現代音楽の評論なんて、
音楽的な雰囲気を漂わせただけの遊戯だろう。

著者でさえ意味が分かっていない。
新垣隆が、適当に、取っ払いで作った曲なのに、
誰一人として見抜いた人はいなかったのなら。



96年、「ソーシャル・テキスト」誌の編集長は、
イグ・ノーベル賞を受賞した。

イグ・ノーベル賞は、
人々を笑わせ、
そして、考えさせる研究に対して与えられる。







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  1. 2014年02月13日 13:25 |
  2. 未分類
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:6

コメント

こういう話もあります。
ネイティブ・アメリカンの作家が小説を出し、マイノリティの文学として高く評価されていました。
しかし、その作家はまったくの白人でした。
そのことを評論家や編集者たちは誰一人見抜けませんでした。
わたしも見抜けなかった一人です。
  1. 2014/02/13(木) 14:42:47 |
  2. URL |
  3. 瀧野信一 #-
  4. [ 編集 ]

あはは、それはバレる~、どきどきする~w。
弱者を身にまとって、下駄をはきますな~。

なぜ長らく聴覚障害を隠していたのか、
そんな質問に、佐村河内は、
耳の不自由な作曲家の作品には、同情票がつくであろうこと、
それを避けたかった、と答えます。
すばらしい、
もっと高い下駄を履こうとするわけです。
  1. 2014/02/13(木) 19:50:57 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

語弊を招くのは承知の上で言うと、
人間には他人の不幸を喜ぶ気持ちが心の底辺に潜んでおり、
それは不幸な人に同情したいという傲慢に結びつき、
この件では作品自体を賞賛した方は間違いではないのですが、
作品に付随したレッテルを賞賛した方は、己の浅ましさを恨むしかない。
己の浅ましさをごまかす為に、マスコミは騒ぎ立てるしかない。
たぶん、解っていながら売っちゃってたわけだし。
本当は、売っちゃった側の人が、謝罪するしかないはずなんですが。
自分の浅ましさを認めずに、何かを批判することは無理でしょう。
騙されちゃって、まいったなぁで、笑い飛ばすのが一番。
大体、人間は本質でなくまとったレッテルが、大好きなんですね。
  1. 2014/02/13(木) 21:04:50 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

そう思います。
マスコミは、佐村河内をとことん悪く書いて、
消費して、厭きられて、終わり。
人々は、佐村河内が転落して、ざまあみろで終わり。
震災のときの、絆、と同じ。
乗せられて、消費して、陳腐にして、忘れられて、おしまい。
いつでも、どんなことでも、いつまで経っても、そんなものです。

僕の発想は、いつでも少数派で心細くて、
悔しいけれど、もう慣れっこになりました。
イグ・ノーベル賞は、笑って、馬鹿にするだけではだめで、
考えさせられる研究に対して与えられます。
  1. 2014/02/13(木) 22:11:11 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

謝罪文が出ましたが、青梗菜さんはどう読みます?
私のことさえなければ、後世に残る作品と言ってますね。
クラシックでも考えると、モーツァルトのレクイエムは、未完成、他の人が完成させた。
マーラーの第一交響曲巨人は、第五楽章あり、第二楽章に、花の章というのが入っている演奏もある。マーラーの意図は知らない。
有名クラシックだってこんなもの、エンターテイメントだということかな。
  1. 2014/02/14(金) 00:31:32 |
  2. URL |
  3. oki #-
  4. [ 編集 ]

謝罪文、読みました。
なんというか、残念な文章力で、
こんな人に騙されるなんて。

エンタメでいいでしょう。
楽しくないものを聴いてもしかたがないし。
文学だって、哲学だって、楽しくなければ。

書き手のエクリチュールの純粋さ、
それは、読み手に喜ばれ、読み手を驚かせ、
それで書き手も楽しいと思う、
そんな気持ちだと思ってます。
音楽だって、同じはず。
  1. 2014/02/14(金) 14:19:24 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

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