石原慎太郎の小説でなんかあったなあ…
嫌悪がなんとかかんとか…嫌うことが真の行動だ…
とかなんとか云々w
青梗菜さんが99%に対して真の行動を促している?
青梗菜さんが「嫌われる」の立場にいるから、
コメントするなら当然「嫌う」の立場に行かされるw
自分が残り1%であることには、複雑に発生した疑惑から許可が下りない…という理由もありつつw
嫌悪は他者の排斥に移行する。「他者は死への脅迫の保持者」としたのはサルトルだったかな?
と、すると
他者の排斥は自己の維持のため…ということになるから、「嫌悪」とは「自己を死へ誘うもの」へ向けて発生するのかも知れない。
自分を生きようとすると嫌われるのか…。
「阿る(おもねる)」は「へつらう」という意味で、分解すると「小里偏」に「可」と書く。
つまり集落から「可」とされることは「へつらう」ことである。
「へつらう」ことは「へつらうこと」でしか集落にいられないことを示す。他者が居なければ「へつらい」は使う必要がない。「可」は常に相対的、客観的に出てくる評価。これは劣等感に繋がっていると思えるし、ファティックな「褒める」にも繋がっていると思える。
「へつらう」ことをやめて集落から「不可」になることが、青梗菜さんが示した「嫌われる」だろうか? で、ないならば99%という数字は出てこない。99%とは「へつらう」人々のことを指していると受け取れる…。
そして、そうならば、青梗菜さんは「へつらう人々」をバカにしているのだから、青梗菜さんの文章を好きな人は
「へつらってはいけない」と誘導される。それは「へつらい」に他ならないのだけど…。
青梗菜さんに対して「好意」を示すことは、とても難しく思えてしまうw
これは、まるで
「僕のこと好きか?」と聞くから、「大嫌いっ」と叫びながら僕に抱きつけ
と要求されているような(笑)
で、抱きついちゃうのが1%かな(笑)
- 2015/07/18(土) 10:50:39 |
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- 小奈鳩ユウ #0TSJikig
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ユウさん、こんにちは。
石原慎太郎、って、
またまたデフォで嫌われている人を出してきたなぁw。
>青梗菜さんが99%に対して真の行動を促している?
アンデルセンの「裸の王様」で、
みんな、王様の服をほめますよねぇ。
見える、見えないで馬鹿を測るのですから、
見えていれば、じゅうぶんで、
ほめることはないのにね~w。
だから、ほめる、ってことは、きっと、
分かっている、ってことなのです。
みんなで、佐村河内の曲をほめたのと同じです。
でね~、王様は裸だよっ、と言った子どもは、
分からなくていい、そう言ったのです。
嫌われると思いますよ~w、
みんなで作り上げた知ったかぶりの虚構を壊してしまったから。
>青梗菜さんに対して「好意」を示すことは、とても難しく思えてしまうw
いえいえ、ほめてやってくださいよ~。
1%くらいは抱きついてくれないと、
子どもは、集落から排斥されてしまうのですよ~。
人は、わけが分からなくても、ほめます、可とします。
自分と違っていても、同じだと言います。
分からなければ、分からない、自分と違うなら、違う、
僕は、正直なだけですよっ!w
分からない、僕とは違う、
もう1回、それを書いてアドラーは終わりです。
アドラーにしたって、
衒ったことを言って、ウケを狙わないと、
ニューヨークで、講演家としては成功しませんからね~。
馬鹿と思われてもいいし、分からなくてもいい、
王様は裸だよっ!
- 2015/07/18(土) 21:35:48 |
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- 青梗菜 #-
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