tetsugaku poet

qinggengcai

アドラーのトラウマの否定、の否定


    アドラーの言うとおり、
    トラウマは否定してもいい。
    否定できるようなトラウマなら、
    好きなようにすればいい。

それは、ほとんど同語反復だと思う。
つまり、否定してもいいようなトラウマを否定する。
肯定するか否定するかは恣意的で、
なんとなく、世間並みに決めればいい。

    そんなものは、もとより、トラウマとは呼ばない。
    それについても、ほとんど同語反復だと思う。
    トラウマと呼べないようなトラウマは、
    否定しても構わない。

目的論で、原因論をひっくり返すのも同じこと。
成り立つ場合でないと使えない。
ひっくり返して、成り立つかどうかは、
なんとなく、世間並みに決めればいい。



        アドラーは、
        アメリカで最も収入のある講演家になり、
        運転手つきの高級車に乗っていた。
        1937年に世を去るが、その後を生きる僕たちには、
        アドラーが知らない、僕たちのトラウマがある。

        ホロコースト、ヒロシマ、ナガサキ、
        オキナワ、ペリリュー島、硫黄島。
        現在もなお続く、イラク、アフガニスタン、
        ナイジェリア、コロンビア、ミャンマー、インド。
        神戸、東北、チェルノブイリ、フクシマ。

        それらの、圧倒的な破壊に際しては、
        トラウマは否定できないだろう。
        否定しないと、その個人はトラウマに拘束されて、
        動けなくなるから否定するのは分かる。
        しかし、トラウマを丸ごと否定する理由にはならない。

        百歩譲って、少なくとも、
        否定すべきものとしてでも、トラウマがある。
        僕たちには、現在が、
        過去の積み重ねで作られたという理解がある。
        実際に過去に規定されているかは、どうでもいい。

        その理解がある限り、
        トラウマは否定できない。



  1. 2015年07月18日 21:36 |
  2. 反アドラー
  3. | トラックバック:0
  4. | コメント:8

コメント

青梗菜さん、こんばんは!!^^

私はトラウマを持っていません。だからでもそもそも、トラウマて何なのかが、わかりません。結構ネット検索してみました。EMDRとか厚生省とかアメリカの事情とかますます、自分はわかっていないとゆうことが分かった気がするのでございます。m(__;m
  1. 2015/07/18(土) 23:46:44 |
  2. URL |
  3. くわがたお #-
  4. [ 編集 ]

がたおさん、こんにちは。

トラウマは、やたらと使われすぎですわ。
本来の意味が抜けて、軽い言葉になってるなぁ。
EMDRってなんだろ?
音楽再生の規格か、ミサイルの略称っぽい。
僕も、分かってないし、PTSDくらいしか知りませんよ~。
デジャヴは、CSNYだったかな。

分かってない人のほうが、
核心を突くときがありますよっ。
例えば、アメリカ軍って、100か所くらい展開してるのかな、
なんて考えに向かう人が好きです。
合憲とか違憲とか、そんなふうに考える人は、
賢いのでしょうけど、頭が悪そう。
どうでもええやん、って思ってしまうw。
  1. 2015/07/19(日) 11:43:16 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

私は、トラウマ好きだなぁ。
もし、私が考えているようなトラウマという概念以外の、
個人的精神の歴史を持ち、感じ、考え、表現し、
その為に非常に苦しんでいる人がいたならば、
好きだなんて言っちゃって申し訳ない気がします。
あ、あれ辛かったなぁとか、
逆にとても楽しかったなぁとか、
もうあんな風に悲しんじゃだめだなとか、
あんなに嬉しかったのに、こんなに悲しい結果があるのだなとか。
全部私は引き受けようと考えているので、
トラウマこそ、私を育てるものだと信じています。
何かそれで精神がおかしくなるとか、ちょっと私にはわからない。
強いとか弱いとか、そういったものではない気がします。
私にとっては自分の歴史全部がトラウマだから。
世界全部、世界自身が感じるトラウマによって進行しているとも、
言えないでしょうか。
  1. 2015/07/19(日) 20:45:36 |
  2. URL |
  3. 海底まきがい #-
  4. [ 編集 ]

シャピロのやつですね、EMDR。
私は自分でやってました。手を左右に振って目でその指先を追う。
単純な行為と左右の脳への交互の刺激に集中することで暫し思考停止の状態に置かれます。

アドラーの言ってることで上手く行くなら
もう精神病院は存在しないはず。
今は薬で分離や否定を促すけど、根本的にそんな事は出来ない。

ただ、トラウマは独自のエロスをもたらす…という点では面白みはあるかな。
自他の受容こそがトラウマを昇華させる。

存在の恐怖を伴わないトラウマをトラウマと呼ぶべきではないな…とは思います。



  1. 2015/07/20(月) 15:09:42 |
  2. URL |
  3. 小奈鳩ユウ #0TSJikig
  4. [ 編集 ]

まきがいさん、こんにちは。

コメント、って触発されるわ~w。
がたおさんの、私はトラウマを持っていません、とか、
まきがいさんの、私は、トラウマ好きだなぁ、とか。
でね~、もちろん、僕は、それも分かるのです。

それも分かる、ってのは、
僕には、とても重要なことで、
だから、アドラーには、
どうして「それも分かる」ってことが分からないの?
って言いたくなります。
つまりは、アドラーは馬鹿だな~、
って感想になるのですけどw。

イデオロギーが強い人は、
僕には、松岡修造的キャラに映ります。
他人の多様性とか、「それも分かる」的な曖昧さとかに、
気づけていないと思うのです。
そして、自分では、感受性が強い、と思っているから困ります。
他人の感受性を感受する感受性に欠けていると、
自分は他人よりも感受性が強いことになってしまう、
そんな逆説的な、扱いに困る感受性の強さです。

トラウマを苦い思い出くらいの意味にすると、
今の僕は、過去のトラウマのなれの果てで、
楽しいことも、悲しいことも、僕の役作りみたいなもので、
そのキャラで、僕は今日を演じるわけです。
演じる以上は、いい芝居をしたいですね~。
今日まで生きてきた、ってことを賭けて、
いい脚本に仕立てて、いいオチをつけたいです。
物語性と偶然性というか、
お気楽にいえば、ゲーム性でもいい、
不確実性を味方につけて、論理的帰結を見い出す、
難しくいえば、そんな感じ。

>世界全部、世界自身が感じるトラウマによって進行しているとも、
>言えないでしょうか。
ホロコースト、ヒロシマ、ナガサキ、
世界が引き受けるトラウマですよねっ。
  1. 2015/07/20(月) 19:35:04 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

ユウさん、こんにちは。

>シャピロのやつですね、EMDR。
僕は、アネロスのやつです、EUPHO。
単純な行為と前立腺への刺激に集中することで、
思考停止、かつ極楽浄土の状態に置かれます。

>ただ、トラウマは独自のエロスをもたらす…という点では面白みはあるかな。
はい、オリエント工業も気になるなぁ、
って、このやり取り、
明らかにかみ合っていないような、
意外とかみ合っているようなw。

マッチョな時代ですからね~。
物語は、アウシュヴィッツに向かい、
ヒロシマ、ナガサキで結末を迎えようとする、
そんな時代です。
社会的、政治的な観点がないのではなくて、
自己と社会が、密接で不可分で、同化していたのでしょう。

僕たちは、なにかにつけて、
もっと弱っちょろくできていると思うのです。
自己中で、ばらばらで、社会との関わりが薄く、
拠って立つところもなく、
寄りかかれば、依存と呼ばれてしまう、
そんな時代に、アドラーを持ち出して、
違和を感じない人は、きっと鈍感なのです。
  1. 2015/07/20(月) 19:40:48 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

アドラーはフロイトの考えを、飛躍させた人かもしれないけれど、権力欲という概念で、ナチスに追われたのかな(心理学には疎いので、よく分からないけれど)。
人はよくトラウマと言うけれど、トラウマはそんなものじゃない。
私が生まれるときは、90%死産で、それでも生まれてしまったが、
深層無意識の中に(この星で生まれてよかったのか)という後悔に似た感情が残っている。
また、一歳のときに、お湯でやけどを負ったが、そのときからの記憶が残っている。(痛いという感情は消えているが)
今でも熱湯が嫌いだし、やけとが理不尽なもの、それを大人になって変換すると、地球は残酷なものと言う形に変質して、人の骨格が心理として残り続けている。
トラウマはそういう形で、変容しながら、いるんだ。
大人になって、トラウマがどうか、なんて噴飯ものだよ。
それじゃね。
  1. 2015/07/21(火) 08:42:36 |
  2. URL |
  3. 金さん #n05n40aw
  4. [ 編集 ]

金川さん、こんにちは。

アドラーはユダヤ人ですから。
ナチス政権樹立は、1933年、
アドラーがアメリカに移住したのが、1935年。

なるほど~、トラウマは、
かたちを変え、意味を変え、見つからないように潜んでいて、
しかし、隠れたくせに、見つけられるのを待っているような、
浮かばれなさもあるなぁ。

アドラーは、エンターテイナーですから、
奇を衒ったことを言うのはいいとして、
僕たちは、真に受けてはいけませんね~。
何も考えずに、世間の常識や流行に染まる人たちのほうが、
利口に見えたとしても。
  1. 2015/07/21(火) 23:08:02 |
  2. URL |
  3. 青梗菜 #-
  4. [ 編集 ]

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック URL
https://qinggengcai.blog.fc2.com/tb.php/943-a5a0794e
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)